IT人の政治リテラシー向上を目指して

元政治家秘書、現IT起業家が主にIT起業家、エンジニア、デザイナーなどIT業界人の政治リテラシー向上を目指して、日々のニュースや政治トピックについて言及。たまに起業ネタや映画、アニメネタなども。ちょっぴり認識力が上がるブログ。

ポストモダンの次に来るもの、分類の時代

ポストモダンの終焉

ポストモダンとは「個人主義により統一的な思想がなくなっていく現象」であり、平たく言えば、一人一人が自分の好みを追求して結局バラバラに分断されていくことでもある。

 

しかし、個人主義が一巡した21世紀に入り、ポストモダンは終焉を迎えつつある。

それはインターネットのもたらした力である。

 

ポストモダンを論じていた時代はインターネットを想定いていないにも関わらず、ウィトゲンシュタインばりの議論も終わらせ方をしたのはまずかった。

 

どのような現象が起きたかと言えば、インターネットを通じて、「思想的に近い個人」がどんどん繋がり出したのである。

 

これは例えば、日本のyoutube業界をみるとわかりやすいだろう。

どのようなyoutuberであっても「再生数」という知名度だけで繋がれ、どんどんコラボレーションをし、あたかもユーチューブエリートのような世界観を作り上げてしまっている。

 

さらにより一般的にわかりやすいのは、人々がSNSなどを通じて、気軽に趣味嗜好の合う人とどんどん繋がれる環境ができたことにある。

 

これは裏を返せば、人は自分の好きな人とだけ、話が会う人とだけ、自分と同じクラスの人とだけ付き合うようになり、それがコミュニティ化しつつある、ということである。

 

□イシューベースの政治団体の誕生

これはどのような現象になっていくかと言えば、将来的には例えば自転車好きな人が道路の真ん中で自転車を作る法案を通すために、全日本の自転車ファン数十万人を募って、政治家を動かす、みたいなことが起こりえる。

 

これまでは政治といえば、労働組合や宗教団体だけがおおよその団体票であったが、イシューごとに政治家を動かせるようなレベルの数が集められるようになる、ということである。

 

□いま現実に起きていること

これは国家というコミュニティの弱体化現象と見ることもできる。

 

そしてより深刻な問題としては、ユーチューバーたちをみるとわかるように、成功者や金持ちは同じ成功者や金持ちとだけつるむようになる。

 

そういたエリートコミュニティが自分たちの利己的な目的のために、その他から搾取するようなシステムを構築したらどうだろうか。

 

世界で起きている貧富の差、とは既にこれが表面化している現象である。

 

□分類の時代とは何か

個人主義は結局、「同根のコミュニティ」を誕生させたに過ぎない。

そしてそれは言い換えれば、「分類」を発生させたということである。

 

分類とは何か、わかりやすいものは例えば「金持ち」か「貧乏人か」である。

そして、それが資本のようなわかりやすい形では誰もが気づいているが、それ以外でも分類化が進んでいることにまだ人々は気が付いていない。

 

それがかなり表面化してきたのが今回のコロナ騒動でもある。

コロナに対するリスクの認識と対応は、それぞれが違う者同士、相慣れないレベルの分断を生み出している。

 

そしてコロナに対する認識と対応の違いはより本質的には「情弱か否か」「認識力があるか否か」というレベルに存在する。

 

そして、認識力が高い人は、認識力の低い人とは、話したくないし行動も違うし、おそらく見ているメディアなども違っているはずである。

 

表面的な違いは例えば薬を飲むか飲まないかくらいのはずが、実はもっと深いところで、差が生じている。それは、認識レベルの分断である。

 

これは実は金持ちか貧乏人か論にも当てはまる。例え金持ちでも、認識力が低いと詐欺にあったり、お金の使い方を誤り、一瞬で財を失ったりする。

 

つまり、いま生じているのは、単なる「金持ち」か「貧乏人」かというマルクスから続いているような階級闘争の議論ではない。

 

認識力があるか否かといった、本質的な人間の分断が起きている世界なのである。

 

最初に表面化してくるのは、単なる趣味人の集まるコミュニティに過ぎないだろう。

ラソンサークルが増えてきた、美食クラブが増えてきた、程度のものだろう。

 

しかし、だんだん、見えてくる世界観というのは、例えば味のわかる人しか入れないレストランであったり、お洒落な人しか買えない洋服店だったりする(それらは今も実際には存在するだろうが、それがより表面化してくる)

 

そして次に、先ほど述べたようにその集団が、次第に政治的な発言を行うようになるだろう。

 

コミュティ形成に関しては、ある面において、学歴でも年収でもないところで、コミュニティが形成されることは悪いことではないが、言い換えればそれは誤魔化しようのない世界、自分というものに全てが帰結する世界ともいえる。

 

ちゃんと誠実に、社会のことも考えて仕事をするような人が評価される、という意味では至極真っ当な世界でもある。

 

しかし、誠実な人間がますます誠実な人間と付き合うように、不誠実な人間はますます不誠実な人間と付き合い、やがてそれが肥大化し、社会全体、地球全体が対処を迫られるようになるだろう。

 

つまり、例えるなら、最初はユートピアのような犯罪者がいない平和な世界が実現するが、いずれ、誠実な国(コミュニティ)と不誠実な国とに分断され、その対処に迫られるような現象が起こりかねない、ということだ。

 

そしてその時に、人間の本質とは何か、その存在の理解が一般の大衆レベルにおいても変化が訪れないと、大きな悲劇が起きるであろうことは想像に難くない。

 

□分類の時代のビジネスとその課題

 

分類の時代、自分が好きな人とだけ繋がっていくコミュニティは、ビジネスにおいても変化をもたらす。

 

まず、わかりやすいところでは飲食店が客を選ぶ時代になる。

既にこれは起きている現象だが、それがもっと表面化するだろう。

 

飲食店はいくらでもあるが、人気店は全く客に困っていない。

簡単に店側からの逆選択が生じる。

 

ファッションでそれが起きるのは、ある意味ユニクロのようなファストファッションの登場やモノ余り、人々のリテラシーの向上、そしてSDGsなど様々な遠因がある。

 

ものの値段と質がわかると、後は自分の好みやデザインなどで買うようになる。

作る側も、決められた客に対して受注生産したほうが、遥かに効率が良い。

そして、飲食店と同じように、充分な客がいれば今度は質の高い客を選ぶのは至極当然であり、これは他の分野でもそうなって行くだろう。

 

中国の「信用スコア」というのは、ある意味これが最も歪んだ形で表面化したものと言えるだろう。

 

スコアが高いものと低いものでは、アクセスできるものも、手に入るものも違ってくる、という世界観である。

 

もう少し違う角度から見ると、オンラインサロンはこの現象の先走りとも言える。

 

既にサロンメンバーでないと得られない情報やサービスが存在するだろうが、サロン内であらゆるサービスが手に入るとなり、さらに貨幣のようなものを持つと、それはある意味国のような存在となる。

 

この現象がより進むと、例えばマスコミの報道を見ていても、マスコミというものを見ているコミュニティの中での現象しかわからなくなってくる。

 

つまり、自分が所属しているコミュニティによって、見ている世界が変わり、気がついたら世界の変化に取り残されていくようなことも発生するだろう。

 

会員化、コミュニティ化されることはある意味、資源の最適な分配、という側面もある。

なぜなら物の価値がわかる人のところに物が集まりやすくもなるからだ。

 

また人は好きな人同士集まる、それは認識領域の同質性から生じている話をしたが、実際こうした現象はおそらく、人類が始まって以降普遍的に変わっていないだろう。

ただし、それが多くの人にとってそのような認識がなかっただけだが、ますます社会が分断され、アクセスできないサービスが増えることにより、それらが顕在化されていくことになるだろう。

 

この先、コミュニティサービスや会員制ビジネスというのは大いに流行るだろう。

しかし、その先にまず課題が二つ見える。

 

一つは例えばある非常に腕の良いテーラーがいたとして、その人をコミュニティ内で奪い合うような現象である。今でいえば企業が優秀な人材を取り合うようなものだ。

それがあらゆるサービスで発生する。

 

そのような状態になった時に、仲裁する存在が今のところ存在しない、ということだ。

企業であれば契約書を書き、違反したら国家が法律を執行するような問題だが、腕の良い板前がどこのオンラインサロンに所属するかなど、まだ法律が全く追いついてこないだろう。

 

更に言えば、そこまでコミュニティが乱立するような時代というのは、必然的に国家コミュニティの力が大幅に衰えているため、果たして仲裁するような存在がいるのか、ということである。

 

もう一つは、コミュニティ化という名の圧倒的な差別が発生した場合、所属しているコミュニティによっては例えば、まともな食べ物さえ手に入らないような状況が発生する可能性もある。

 

優れたコミュニティは優れた人を集め続け、ますます繁栄する一方で、そうではないコミュニティ、あるいはコミュニティに入れない、はぐれ者の受ける便益は、国家の弱体化と相まって、ますます衰えていくだろう。