選挙、投票どうしよう?迷ったらこう考えよう選挙政治入門
2026年衆議院選挙がスタートしました。
今回は、例年にも増して投票に悩む、難易度の高い選挙だと思います。
その理由をいくつか説明します。
①自民党内に高市派、反高市派がいる
いまの自民党人気の大半は高市早苗人気によるものですが、自民党の中に左派(主に岸田元総理を中心とする宏池会系議員や元石破内閣の面々)がいて、彼らは高市総理の政策に好意的ではありません。
従って、高市総理を応援するつもりで、自民党に入れることが、逆に高市早苗の足を引っ張ってしまう可能性があります。
②高市総理自身のスタンスもまだよくわからない
人気の高市総理ですが、最大の争点となる移民、減税の双方ともに、これまでの自民党の政策と大きく変わるようなものは、今のところ打ち出せていません。
移民の方は、不法移民を厳格に、減税は2年間の食品に関する消費税の免税のみであり、国民の意識からはだいぶ離れたものになっており、従来の投資家や企業、利権団体を中心とする支持者の自民党というところはあまり変わっていません。
高市早苗人気が本物か、一過性のものかもこれからわかってくるのはこれからであり、有権者にとっては判断がしづらいタイミングに選挙をやっていると思います。
③立憲と公明は参議院では別々のまま
今回の選挙の一つの大きな話題は、立憲民主党と公明党の合併だと思います。
しかし、両党の合併に関しては、衆議院のみで参議院はそのままです。
このような状態の中で、党として、今後どのような政治行動をとるのか、全く予想ができません。現状も、比例名簿は公明党の議員の方が上位に来ており、両党の候補者にどのような得があったのかもいまいち不透明と言えます。
これまで、両党それぞれを支援していた有権者にとっては、今回の選挙はかなりの混乱ではないでしょうか。
④乱立する新党
今回、多くの有権者の頭を悩ませているのが
国民民主党、日本保守党、参政党、みらい、という四つの新党の違いではないかと思います。
特に、日本保守党と参政党に関しては、マスコミが情報を出さないため、SNSをやっている層とやってない層で、大きく情報が違っていると思います。
維新やれいわは一定の認知、スタンスも明確になってきていますが、まだ歴が浅いこれらの党をどう評価するのか、有権者は悩ましいところではないでしょうか。
以上を踏まえた上で、最もシンプルかつ簡単な選挙、投票の考え方を一つ提案します。
●小選挙区→候補者の人柄、性格、地域での評判などで投票する
●比例代表→政党の政策を見て投票する
この二つが最もわかやすいと思います。
更に具体的にすると
候補者の人柄は、メディアに露出するような知名度がある議員は、それが参考になります。あとは、街頭で演説している時に立ち止まって聞いてみるのも良いと思います。
そして、人として好感が持てる、日本のために仕事してくれそう、など自身のシンプルな感性で判断して良いと思います。
政党に関しては、一つ一つ政党の政策を見ていくと大変なので、自分が重視する政策に関してだけ見ても良いと思います。
例えば、移民対策が最も重要だと思うのであれば、その政策のスタンスだけ見ると良いです。
かなり、党によって、スタンスが違うことがわかると思います。
同じような党の政策で迷った場合は、やはり顔となる党首の人柄や発言で選ぶと良いでしょう。
スタートアップはオワコン?AI時代を生き残る、2026年いま日本で最もアツい職業3選
はじめに スタートアップは時代遅れなのか?
今回、令和のいま、日本で最もアツい職業を選んだ基準は以下の三つである
①イノベーションが起きており、今後もビジネス的にグロースする見込みがある
②若くして成功が可能。夢があり、既に国際的なトッププレイヤーが生まれている
③AI時代に生き残れる分野である
現状、いまの日本のスタートアップ、 IT、web業界はどれも当てはまっていない。
なぜ、スタートアップとの比較になるのか?
それは、起業家、スタートアップを志す若者は、少なからず夢や野心を持っているからである。
では果たして、今の日本のスタートアップは、そんな若者の夢や野望に応えられるものになっているのか?もちろんそれは本人の実力次第だが、ここまでの実績を見る限り、ノーである。
日本のスタートアップ起業家に、ハリウッドスターとコラボしているような人はいるか?
世界的に名の知られた起業家がいるのか?
AI時代でも確かな見通しがあるのか?
いずれもノーである。
それに対して、今回選んだ三つの職業はいずれも既に、確かな世界のトップを日本は生み出している実績があり、この先も続く展望がある。
2026年、いま日本で最もアツい職業3選
①料理人
②アスリート
③漫画家(アニメーター)
この三種が、いま最もアツい職業、AI時代にも耐えうるポテンシャルのある職業に当てはまる。
その代表例、最もわかりやすいのは大谷翔平選手である。
果たして日本のビジネスシーンに大谷翔平のようなプレイヤーはいるだろうか。
これから、夢や大望を抱き、何者かにならんとする若者にとって、令和の時代、その最も面白い道が果たして、スタートアップ、IT起業家でいいのか?
これからの仕事を考える学生や若い世代は少しでも何かの参考になればと思う。
①料理人〜世界を圧倒する日本の食コンテンツ〜
世界で日本の料理人、食コンテンツの広がりは止まらない。
ほとんど無双状態と言って良い。
まず料理シーンにおいては、2020年度に、はじめて日本人でフランスでミシュランの三つ星を取った小林圭シェフの名前が挙げられる。
2025年版のミシュランガイドによれば、32軒の星付きレストランの料理長が日本人シェフであり、既にフランス料理会は、日本人シェフがいないと回らない、と噂されるくらいに日本人がフランス料理会で活躍している。
さらに日本人の活躍はフランス料理だけでなく、パティシエやチーズといった分野にまで広がっており、まさに日本人無双状態と言える。
海外における日本食レストランの進出も次々に起きており、枚挙にいとまがない。
ニューヨークに日本食レストランを出してヒットさせたノブ・マツヒサから、中国で大行列を生んでいるスシローまで、オーセンティックなものから、フランチャイズまで日本食コンテンツの広がりは世界中に渡っている。
日本のwebサービスでこのような海外展開できているサービスはひとつもない。
寿司や刺身を食べるのは、日本人だけで、欧米人は食べない、というのはひと昔前の話である。今は、海外のセレブリティや富裕層は、普通に寿司を食べ、食のためだけに日本を訪れる世界線になっている。
国内でも、賛否両論のシェフ、笠原将弘は、料理人であり、Youtubeのチャンネル登録者数が100万人を超え、料理を軸にその枠を超えた活躍を見せている。
そして実は料理界はイノベーションが多く起きている。
最も有名なのが、分子調理法を導入したスペインのエルブリであるが、身近なところにもたくさんのイノベーションが起きている。
例えば一昔前は焼肉といえば、ロースかカルビしかなかったものが、細かい部位で出されるようになったり、居酒屋の一メニューでしかなかった焼き鳥がコースで出されるようになったり、身近なところで、革新的なものが次々に起きている。
そして、料理の世界は、ノブ・マツヒサがロバート・デニーロとタッグを組んだように、日本人がセレブや海外の富裕層からも強いニーズがあり、コラボレーションが可能なのだ。
一方、日本のスタートアップ起業家は、シリコンバレーに比べて特に目新しいものがなく、日本人でなければできない、というものが少ない。海外のセレブや富裕層に重宝される日本人は、IT起業家ではなく、料理人の方なのだ。
わかりやすくいえば、イーロン・マスクが会いたいのは、日本のIT起業家よりも寿司職人なのだ。
また料理の世界の良いところは、20代、30代でもトップになり、成功できる夢があるところである。松嶋啓介がフランスでミシュランの星を獲得したのは、25歳の時である。
スタートアップの魅力は若くして成功できることだが、それは料理の世界も同じであることを見せつてくれたと言える。
②アスリート〜誰よりも有名な日本人、大谷翔平〜
おそらく今最も有名な日本人と言っても過言ではないのは、ドジャースの大谷翔平だろう。
大谷選手のすごいところは、メジャーリーガーとなっただけではなく、その中でもベーブ・ルートと比較されるくらいの、レジェンド、トップ・オブ・トップとなったことである。
日本では名の知られた起業家であっても、大谷翔平ほど知られている日本人はいないだろう。
日本の起業家は、日本では有名ではあっても、海外に出てしまえば、一日本国内の経営者ということになってしまう。
その点、アスリートは違う。世界の中のスーパースターになれる可能性がある。
大谷翔平以外で、日本でトップに君臨しているのは、ゴルフの松山英樹もあげないわけには行かないだろう。
他にも、サッカーの中田英寿、NBAの八村塁など、最近は多くの分野で日本から、世界的なアスリートが生まれている。
スポーツ、エンタメ分野は、AIに代替しづらいところも魅力的だ。
例えば、日本人は箱根駅伝や甲子園を観るのが好きだが、あれは、頑張っている若者を応援したい、という世界観で、AIではそれを再現することはできない。
エンタメ市場はゲームやアニメといったコンテンツ市場も伸びており、衣食住といった生活に不自由がなくなった現代社会において、娯楽はお金が流れ続ける分野なのだ。
③漫画、アニメ〜世界の頂点に立つ日本コンテンツ〜
海外で、日本人の名前は知らなくても、ポケモンや鬼滅の刃、あるいはジブリと宮崎駿の名前を知らない若者はいないだろう。
それくらい、日本の漫画アニメコンテンツは、全世界で爆発的に支持をされている。
日本の漫画やアニメを見て、海外に来たいと思う学生も多いが、こんなことは他のどの分野でも起きていない。
料理やスポーツは、その分野で世界的に活躍している日本人がいる、というものだが
漫画やアニメに関しては、この分野が日本が間違いなくトップという分野である。
日本がトップの分野に、日本人であることは、そもそも圧倒的なこの分野でアドバンテージがあると言える。
漫画やアニメに関しては、AIによって作成や作画が容易になってきており、今後が不安視されているところもある。
しかし、おそらく、絵が描けないが、AIには考えられない世界観やストーリーを考えられるクリエイターが、AIを使ってこの市場に参入してくる、という世界線になるのではないかと考えている。
おわりに〜学歴社会の終焉、それでもスタートアップに行くのなら〜
今回、この三種の職業を推す最大の理由は、AIの進歩によるホワイカラー不要説に答える目的もある。
AIが最も得意とする教師あり学習は、間違いなく、大学受験、偏差値エリートといったホワイトカラーや、専門家がこれまで行ってきた仕事の上位互換となる。
従って、これまでのような、良い大学に言って、資格を取るか大企業か公務員になる、というキャリア設計は、いよいよ終わりを迎え、安定ではなくリスクの高い選択肢となりつつある。
そのような中で、若者は何を基準に仕事を選べば良いのか、親もどのような仕事を子供に勧めたら良いのか、不安があるのではないかと思う。
そして、料理人、アスリート、アニメーターのトッププレイヤーたちは既に世界でも国際的に活躍しており、このような活躍の仕方はすでに、日本の企業のホワイカラーにはできていないことである。
一昔前にあった、職業のヒエラルキーのようなものも、AI時代にはいよいよ持って崩れ去るだろう。
最後に、AI時代を見据えてなお、スタートアップを目指すのであれば、日本のスタートアップ業界を知る必要があるだろう。
結局、日本のスタートアップは、コアなイノベーションが起きておらず、日本語という言語の障壁に守られた、数少ないwebアプリケーションの分野を奪い合う熾烈な争いに加わるか、
ある程度、小規模なニッチなサービスを回してそこそこの売り上げを立てるか、という二択しかほぼなくなってきている。
スタートアップといっても、シリコンバレーとは比べるまでもなく、どちらかといえば、スモールビジネスでWebをやっている、といった方が正確だろう。
従って、いまスタートアップ、webで勝負をするのであれば、おおよそそれくらいが、最終的なゴールになる、と思って起業した方が良いだろう。
スタートアップという言葉が日本でも流行っておよそ、十数年。
2026年、いま。本当に若者の夢を大望を叶えるフィールドがIT分野なのか、かなり事情が変わってきたのではないかと思われる。
日本人はなぜブランドビジネスが下手なのか
はじめに、日本人は欧米人の富裕層がなぜ高級ブランド品を買うのか
ここから理解がズレているように思う。
まず、日本人がブランド品を買う理由から整理しよう。
最も多いのは、製品価値、つまり品質が良い、デザインが良い、このブランドが好き、だから値段が高くても構わない、というものだと思う。
もう一つはステータス価値、つまり人とは違う高級なもの、特別なものを身につけている、だから自分は周りとは違う特別、といった優越感を感じるための価値である。
以前日本で4°Cが炎上したのは、このステータス価値というものと、女性側の金額で大事にされている度合い判定の二重要因だと思われる。
つまり、基本的に多くの日本人は製品を購入するときに、特に男性は製品価値だけで考えがちだということである。
良いものが安く買えれば良い、そういう文化である。
だから、男性の作り手も良いものをできるだけ安く作ろうとする。
これに対して女性は男性よりも、製品価値以外の価値に目を向ける。
製品価値とステータス価値、おおよそ日本人の女性、あるいは日本の富裕層がブランド品を購入する理由は、割合は異なっても、概ねこの二つに集約されるはずである。
しかし、実は欧米の富裕層がブランド品を買う理由は全く異なるのである。
まず、製品価値、これは当たり前と考える。
つまり、高級である以上、製品価値があるのは当たり前と考える。
ただし、これは欧米の富裕層の中でも目利きができる富裕層(真の富裕層)の話で、そうではない富裕層は製品価値よりもステータス価値で選ぶ。
決定的に異なるのは、欧米の富裕層が求めるのは「体験価値」あるいは「感情価値」である。
まず、ハイブランドの店舗、旗艦店に行くと、大抵は常連客用のフロアーが存在する。多くの日本人はこれもステータス価値だと考えているが、欧米の富裕層はそうではない。
これはステータス価値なのではなく、体験価値なのである。
つまり、欧米人の富裕層にとって、高級ブランド品を買うというのは、買うという行為そのものがエンターテイメントであり、不愉快なものであってはならないのである。
だから、目利きもできない成金富裕層と同じ扱いを受ける、というのは彼らにとっては、そもそもそのブランドを買う価値がない、ということに等しいのである。
これはホテルも同じである。
欧米の高級ホテルにはクラブラウンジが多いが、あれも日本人はステータス価値と思い込んでいるが、本当は体験価値なのである。
だから、クラブラウンジに不快な客が増えたら、欧米の富裕層はラウンジを使うことはしない。
もう一つ、日本にはよく世界的な5つ星ホテルがない、日本の高級ホテルはサービスが低い、と言われる原因もここにある。
日本の高級ホテルは、欧米に負けず劣らず、対応は丁寧だが、その根底にあるのは、マナー的な価値観であり、体験価値や感情価値、という軸でサービスや接客をしていない。
だから、丁寧で不快にしないサービスは得意であっても、素晴らしい体験価値を提供するサービスができないし、そのような予算もつけない(欧米の高級ホテルではサービスマンが一定の予算を与えられ、顧客のサービスに使用できる)
話をハイブランドに戻すが、体験価値とはもちろん購入時だけに留まらない。
次に多いのは、修理や交換、返品といったときの対応である。
例えば、ユニクロは製品価値も高く、返品交換の時なども、日本人らしく対応は丁寧だが、顧客が多すぎるため、どうしても一人一人にきめ細かく店員が対応することは不可能だろう。
その点、ハイブランドの店舗は、電話対応一つとっても顧客が少ない分、丁寧な対応が可能である。
(とはいえホテル同様に、実際は日本のハイブランドのサービスマンは体験価値や感情価値を理解してサービスができているかはまちまちだと思うが)
つまり、本来はある程度不快なはずの、修理、交換、返品といったプロセスですら、快適なものにする、それが価格に乗っている、というのが富裕層の理解である。
例えば、同じ品質のカバンが
10万円で量販店
100万円でハイブランド
で売られていたとしたら、製品価値は10万円で、残りの価格差90万円は体験価値や感情価値ということになる。
ハイブランドが一等地に店舗を構え、プロモーションにセレブを使用することも、マーケティングという考えでもあるが、そもそも体験価値を高める、というところに本質がある。
よく、ハイブランドの価格は場所代とPR代で、製品としてはほとんど価格ほどの価値がないから買わない、という意見がある。
それは、製品価値だけでものを見ているというだけで、そういう人はハイブランドを買う価値は確かにない。
しかし、体験価値にお金を払っても良いと考える富裕層にとって、それは織り込み済みのコストということになる。
また、ハイブランドの中でもよりステータス価値を重視しているブランドと、体験価値を重視しているブランド、製品価値を重視しているブランドと実は分かれて差別化もされている。
エルメスをよく買う人と、頻繁にルイビトンを買う人はそもそも顧客が違うし、企業側の戦略も違うのである。
実はこれはスターバックスも同じである。
家で仕事をするよりも、スターバックスのなんとなくお洒落で居心地の良い空間で仕事をする方が、体験価値が高い。だから人々はスターバックスで高いコーヒーを買うのである。
サードプレイスとかお洒落だからとか色々言われるが、本質は体験価値にある。
あるいはAppleの製品も同じである。
スティーブ・ジョズズはMacを買い、開けるときの体験を非常に重要視していて、そのために梱包にわざわざ高い特注のケース仕様がapple製品は使われている。
おそらく、このジョブズの発想も体験価値という概念がない日本のコンサルタントが型通りに考えると、コスト高という見え方しかできないだろう。
ディズニーランドのようなテーマパークが向こうでも生まれたのも然りである。
つまり、欧米人はビジネスやマーケティング、あるいはブランディングの中心に必ずと言っていいほど、体験価値、感情価値を据えるのである。
言い換えれば、彼らは人の感情や欲望を非常に重視し、そこに科学的なアプローチも持ち込んでいるのである。
これに対して、日本のモノづくりの文化は常に製品価値が中心である。
良いものを安く作ること、そしてブランディングにもその良いものを作れば信用がついてくる、そういった考えになるのである。
ユニクロは世界で確かに売れている。
だが、世界で売れるハイブランドや高級品やサービスに日本のものは一つもない。
それは、日本人は製品価値しか頭になく、体験価値や感情価値に目がいかないからである。
従って、マーケティングやブランディングの考え方も欧米と日本ではまるで違うのだが、多くの日本のマーケティング人材ですら、マーケティングとは何かを定義から日本風に変えてしまっているのが現状である。
(整理)
■日本の富裕層がブランド品を買う理由
①製品価値
②ステータス価値
■欧米の(真の富裕層)がブランド品を買う理由
①体験価値、感情価値
②製品価値(目利きができた上で)
ステータス価値のみで目利きができないと欧米では成金扱いで、富裕層として認められないが、日本の富裕層はステータス価値重視が多いため、門前払いとなりがち。
製品価値が中心
顧客のニーズを含めた商品開発
良いものを作れば、信用が得られ、ブランディングになる
体験価値、感情価値が中心
目に見えないモノの価値づけ
いくらでどのような体験価値を創造し、それがどう売上や利益につながるか
総裁選の前に、自民党とは何か?を知る。なぜ多くの国民の意向が無視されるのか
支持率を見れば明らかなように、多くの人が、いまの岸田政権、自民党に対して不満があるように思います。
それは、国民の意向や意見が全く政治に反映されていないように見えるからです。
しかし、実際は岸田政権も自民党も全ての国民の意見を無視しているわけではありません。
いくつかの利権団体に意向は忠実に実行していると言えます。
今の自民党と国民との乖離、なぜ国民が無視され、無碍にされるのか?
それを知る為には、自民党を知る必要があります。
●自民党の歴史●
自民党を知る為には、自民党の歴史、三つの大きな派閥の歴史を知る必要があります。
それぞれ
・清和会
・宏池会
自民党とは大きくこの三つの派閥にそれぞれ利権団体がくっついている政党です。
●清和会
清和会は安倍元総理などがいた派閥です。
清和会を大きくしたのは安倍総理の祖父、岸信介(総理在位1957-1960)です。
岸信介は元々満州にいた後、CIAとも協力関係にあった人物で、浙江財閥とCIAとそれに連なる利権が元々は強い派閥だったと言えます。
最近、清和会が勢いがないのも、満州利権の賞味期限が切れているからだと推測されます。
●宏池会
宏池会は財務省(旧大蔵省出身)の官僚中心の派閥で、池田勇人(1960-1964)にまで遡ります。君は何学部だ?と東大前提で質問をすることで有名な宮澤喜一や、今の岸田総理も宏池会出身です。
●経世会(平成研究会)
最後は現在の総裁候補の一人、茂木幹事長らが所属する経世会です。
経世会の歴史はDAIGOの祖父竹下登(1987-1989)に遡りますが、実際のところは田中角栄が創設者と言っても過言ではないと思われます。田中角栄は日本全国に新幹線を作り、地方にお金をばら撒いた政治家でもあり、この時に今の特別会計も誕生しています。
要約すると自民党の三代派閥とはつまり
・米中利権
・財務省を中心とした官僚利権
・地方利権
この三つの利権が中心にある政党だ、ということがわかると思います。
結論から言えば、ここに国民が入っていないので、自民党と国民がズレる、国民の意向を自民党は無視することになります。
●政治の仕組み●
例えば、増税は財務省がやりたいことで、国民は嫌だと思いますが、自民党に対しては財務省の方が影響力が強いので、増税されることになります。
従って、税金を例にすると、自民党が減税するには、財務省以上の票ないし利権が国民がないと、自民党を動かすことは難しい、ということになります。
つまり、派閥の仕組みで考えた場合、いまの自民党が国民とズレるのは自明ということです。
またこれ以外にも、経団連やアメリカの民主党から強い影響を日本政府は受けます。
岸田政権になってからも株価は落ちていません。一時期急落しましたが、日経平均8000円台を叩いた民主党と比べると随分順調です。
つまり、岸田政権は国民の期待は裏切っていても、投資家や大企業の期待には応えているということになります。
このように影響力の強い団体や利権、派閥の構造を追っていくと、政治のなぜ?はすっきりとわかるようになります。
●どうしたら国民の意向を政治に反映できるのか●
以前、学者の成田悠輔氏が、若者が投票に行ってもデータ的に自民党が有利になるだけ、という話をしていました
基本的には同意で、一票の価値とか、選挙に行けば政治が変わる、というのは政治の構造を考えると実はそれほど有効ではないことがわかります。
現行の制度下では、国民目線に政治を変えるには大きく分けて二つの手段しかないと思います。
一つは政党を作ることです。
これに近い考え方が参政党だと思われます。
つまり、自民党は利権の都合で国民目線の政治ができないので、国民目線の政党を作ってしまおう、というものです。
ここで注意が必要なのは、例えば民主党も自民党ではない政党ですが、労働組合が支持母体の政党なので、国民目線と労働組合目線が違う場合、国民視点の政党とはならない、つまり、自民党以外の政党もそれぞれに利権があるため、国民目線の政党でないと新党の意味がない、ということです。
維新の会、共産党、公明党なども同じです。彼らは自民党とは違う利権の代弁者であって、必ずしも国民の利益代表とは限らないです。
アメリカのような二大政党になっても永遠に国民向けの政治がされないのは、どちらの政党も国民の利益を代表していないから、と言えば話がわかりやすいかもしれません。
もう一つは政治団体を作ることです。
民主主義の仕組みでは多数派が強いです。
国民一人一人が個人でいくら声をあげても、それがまとまってなければ意味がないのが、いまの政治の仕組みです。仕組み上そうなっています。
ですが、それほど多くの人が同じ意見を持っているのであれば、一つの団体として、政治団体としてしまえば大きな力を持ちます。
例えば、減税日本の会、などとして100万人くらいがその会に所属をして投票するとなると、自民党も財務省も簡単に税上げはできなくなるはずです。
日本で政治団体の動きが弱いのは、60年代の学生運動のトラウマが影響していると思います。結局政治に力を入れるよりも、良い会社に入った方がよほど良い暮らしができるという教訓が世代によっては強いはずです。
また、民間でマスコミのあり方を変える、地域から政治を変えるなども有効な手段だと思われます。
ただし、非常に注意が必要なのは、安全保障を中心とした日米関係という論点だと思います。
●国民政治の課題●
国民目線の政治が自民党とズレるもう一つの大きな理由が、安全保障を中心とした日米同盟、つまり、外交や防衛といった極めて専門性の高い分野のリテラシーのズレがあると思います。
例えば、多くの国民にとって増税か減税か、というのはそれほど悩むような論点ではないと思いますが、アメリカがどれくらいの影響力を持っているかは、リアリティを持って感じることはまず難しく、ましてや、どのような方向性が良いのかもわからない、ここに政治における国民のリアリティの欠如が生まれてしまいます。
もっとわかりやすく言えば、例えば政権与党に参政党がなったとして、国民目線の政治をしても、この日米同盟のリアリティで失敗したら、自民党以上の不幸が国民にのしかかる可能性がある、ということです。
つまり、国民目線だけの政治ではダメで、結局のところ、バランスを取ることこそが最大の論点で、そのバランスが著しく国民に不利な状況になりつつあるのが現在、というのがより正確な認識なのだと思います。
つまり、より具体的に言えば、国民目線の代議士とアメリカと対話ができる代議士の双方が組んだ政党が設立されることが、いまの日本においては最適と言えます。
従って、自民党の何人かが離党し、国民寄りの政治家と共に新党立ち上げ、というのが理想的な一つの展開ではないかと思います。
政府用語集解説①
政府が使う単語用語は、日本人の本音と建前のようにわかりづらいものがあるので、本当はどういう意味なのかを解説していきたいと思います。
特に英米は言葉使いが非常に巧みで洗練されています。
●独裁国家
グローバル資本の言うことを聞かない強い政治家がいる国のこと
反対に独裁者であっても、外資の投資をどんどん受け入れる国の独裁者は素晴らしい指導者と呼ばれる。
官僚による全体主義の構築
要するに政治家を通して何かをやろうとすると民主主義だと面倒なので、政治家の上に官僚や経済エリートを持って来てソ連みたいなことをやりましょうという意味。
ダボス会議はその実行メンバー集めのコミュニティで、全体主義なので監視社会、ベーシックインカムとセットに議論されることが多い。
●グローバルスタンダード
外資と米英に都合の良いスタンダードのこと
●SDGs
中国を叩き、新しい環境利権を作ろう運動
政治文脈が使う意味と一般に浸透している意味が違うことに注意
●移民政策
正規雇用を減らして企業利益を上げよう。そして移民利権も美味しいです。
●マイナンバー
資産課税するからタンス預金減らせ、な
●陰謀論
人々をマインドコントロールしてたので、ネタバレやめてください
あと、新しい産業作って経済回したいっす
●バイオミート
バイオミート食品の会社から献金がありまして
あと、新しい産業作って経済回したいっす
●ムーンショット計画
なんかすごいこと多分できるので、税金で研究開発費よろしくお願いします
●前例がないので
責任取りたくないのでやりたくないっす
●専門家が言うには
専門家が言えば人々は思考停止に信じるだろう
●国連が言うには
国連とか言えば人々は思考停止に信じるだろう
●検討します
しません
世の中を変えるには、富でも影響力でもない、本当に必要なものはなにか
多くの人が
・総理大臣になって権力があれば
・大金持ちになれば
・有名人になって影響力があれば
・あるいは天才であれば
・もっと甘い人は志さえあれば
世の中を良くできる、変えられると思っているのではないでしょうか。
まず残念ながら、歴史と現状を見る限りその全ては失敗に終わっています。
■富、目的がなければ無意味なもの
まず、富です。
例えば、一時期ホリエモンはライブドア旋風を起こし国政に出ようとしましたが、敢えなく逮捕されました。
またロックフェラーやロスチャイルドといった噂の大富豪の面々も、結局自分たちの利権を守る方に流れるので、世の中を良くしようということに現実なっていません。
お金持ちになれば、世の中を良くできる、変えられるというのは残念ながら幻想と言えます。
きっと自分が高い家や服を買うということは実現できるでしょうが、世の中を変えるのはそれだけでは叶いません。
今の世界中の大富豪は誰1人として世の中から戦争一つ無くすことができていません。
■影響力、幻想の産物
次に影響力です。何回総理大臣が変わっても日本が良くなる様子はありません。
いい加減無駄だと気づいても良い頃でしょう。
政権交代も一度ありました。
そして松本人志のように、影響力のある人物であっても簡単にメディアによって葬られてしまいます。
マザーテレサは多くの人の心を打ち、多くの人を救ったかもしれませんが、世の中を変えるには至りませんでした。
一個人のなし得ることは偉大ですが、影響力だけでは限界があります。
■権力、単なる投資家の使いパシリ
アメリカの大統領であっても、日本の総理大臣であっても選挙にはお金がかかるそうです。
そのお金のために、投資家、お金を出してくれる人の言うことを聞かざるを得ません。
世界一の権力者、日本のリーダーなどというのは単なるハリボテです。
彼らはスポンサーの単なる使いパシリに成り下がります。
こうして政治権力が役立たずになっていきます。
■知性、天才を名乗るなら貧困の一つも無くして見せよ
次に知性を検討しましょう。
歴史上最大の知性が集まったのは、近現代で代表的なのはマンハッタン計画でしょう。
映画オッペンハイマーで観るように、アインシュタインやファインマン、ノイマンといった最高の知性が集まってました。
しかし、彼らが作り出したのは原子爆弾であり、アインシュタインほどの知性をもっても、戦争を止めることはできませんでした。
その後、ハイエクが世界賢人会議よろしく、モンペルランソサエティを作りましたが、EUは未だ多くの問題を孕んだままでいます。
世界のエリートダボス会議も、今ではエリートたち自身の思い込みとは裏腹に、日々醜態と傲慢を晒すだけの集まりになっています。
自分は天才、エリートだと思い込んでいる人たちは、口ほどにもないほどに何も成し遂げていません。
■志、甘すぎて最早響かない空想の産物
そして最後の志です。
志だけで世界が良くなるなら、世界はとうの昔に戦争のない世界になっているでしょう。
そしてこれらの現実は今の若い人々は皆気づいていることだと思います。
自分が総理になれば世の中を変えられる、そのような大人の戯言にうんざりしているのが、いまの若い世代なのではないでしょうか。
いまの若い人が支持できる、本当に世の中を変える手段、それはワールドトリガーよろしくの戦略と戦術、そして運になります。
また、運というのは更に具体的にすることができます。それはタイミングです。
天の時を見計らうことになります。
ワールドトリガーはまさに今の若者の現実感を代弁しているセリフであり、今後このような発言をする人も現れ始めると思います。
戦略と戦術、運、つまりタイミングを図って世の中を大きく変えることを実現した人物は歴史的には何人かいます。
その代表例の1人がキングダムで有名な秦の始皇帝になった政です。
政は中華統一という目標実現のために、戦略と戦術を立てて中華を統一しました。
そして時代が僅かにズレていれば、秦はそれを成し遂げられなかった可能性があります。
政はキングダムで見ればわかるように、楚王と比べて最初から権力を持っていたわけではありません。また経済は呂不韋に劣り、武力は蒙武に及ぶべくもなく、知性は韓非子に及ばないでしょう。
しかし政だけが、中華統一に対して具体的な目標と戦略と戦術がありました。
富も知性も権力も、目標と戦略と戦術に紐づいていました。というよりも、本来目標や戦略と結びつかないと、意味がないのです。
多くの人が、目標も戦略もなく、たた喚くから運動になって終わっていくのです。
また、お金があれば、権力があればと考えているうちに人生が終わるか、お金や権力を手にした瞬間、これまで批判していた体制側と同じことをするようになっていくのも何度となく歴史では繰り返されています。
ですから、我々が世直しを言う人間を見るときは、目標があるのか、それに対して戦略や戦術があるのかで評価すべきであり、同じように我々が世直しを言うのであれば、常に戦略や戦術があることを理解してもらう必要があるのです。
多くの世直しを口にする野党や芸人が思いばかりを口にしますが、それは時代に合っていません。
具体的になぜ自分が総理になれば、何がいまの権力者と異なり、それをどう実現できるのか、その説明ができない人間はことごとく、ここ半世紀の間繰り返してきた同じ失敗しかしないでしょう。
そして最も重要なのが目標、つまり大義です。
完全な戦略や戦術も、それが目指すところが人の不幸や自己中心であるなら、それは人類にとって災いになります。戦略と戦術に大義が加わる必要があります。
そしてある意味、いまの時代、大義はわかりやすいところにあります。
それは人々のための政治、市民のための政治です。
秦の始皇帝のような中華統一のようなものとは違う、誰でも思い描き実現できる可能性を持ったものです。
誰もがその大義のためにできることがあり、その大義を実現したら影響を受けます。
誰でも簡単に持てる大義であり、戦略や戦術も少し考えれば良いし、思いつかない人はキングダムの信のようにそれを考えられる人と共にいれば良いだけです。
ですから世の中に少しでも疑問を感じ、世の中を良くしたいと思う人は、まず身近なところにある大義に目を向けてください。そしてその大義を実現できる戦略と戦術を考えるところから始めることです。
それは、富でも権力でも知性でもなく、誰でもなし得ることです。
そしてその想いが真に迫る時、政のように後からそれらのものは必要なだけ、ついてくるのではないでしょうか。
薬屋のひとりごと 今日本人が気づくべきこと
本作品のあらすじは、人攫いに遭って宮廷に売り飛ばされた薬屋の少女が、宮廷内で毒見役として徐々に頭角を現していくストーリーになっている。
設定だけを聞くと、相当重いように聞こえるが、実際観てみるとラブコメの要素ありの全体的に明るく描かれている作品である。
このアニメには実は日本人が気づくべき本質が詰まっているが、言われてみないと気が付かないと思ったので、解説を試みる。
主人公の猫猫(これでマオマオと読む)は薬屋であり、設定で強化されているが、毒が大好きなのである。
通常、毒味と言えば、いつ主君の代わりに命を落としてもおかしくない、現代では認められない、誰もが就きたくない仕事のはずである。
そのような仕事だが、薬屋であり、毒が大好きっ子の猫猫は喜んで毒を飲みに行く。
猫猫は全体的に明るい。
だが、宮廷に売り飛ばされる前も、足の不自由な父親と貧しい暮らしで、娼館の世話になり、わざと化粧で顔を醜女にしないと売り飛ばされるような治安の街に住んでいる。
これも設定だけ聞くとだいぶ陰鬱だが、当の猫猫は宮廷も自分の育った荒れた環境もたいして変わらない、と言って宮廷から出られるようになった後も、割と自由に行き来をする。
おそらく多くの日本人が最初に思うのは、猫猫可愛そうで、その後すぐに、その気持ちが薄れていく、それが本作の視聴者の心境の流れではないかと思う。
ここに重要な示唆が含まれていると思う。
まず、毒味役という危険かつ誰もがやりたくない仕事も、それが天職であるような人間にとっては、そうではない、ということである。
作中、猫猫は何度も毒をすするが、プロなので、どれくらい飲んだら大丈夫かを見極めて毒を味わう(さらに言えば毒の耐性があり、あまり効かない)
従って、リスクもあまりない。
これは別の職業で言えば、心底戦闘が好きな軍人にとって、戦闘や戦争が苦にならないのと同じである。
ただし、それらは一般の人、あるいは適性のない仕事を強制的にさせられている人からすれば、苦痛以外の何者でもないわけである。
戦争が嫌いな平和的な人を無理やり徴兵して、戦場に送り込むのは、どう考えても人道に反している。
つまり、多くの日本人が最初猫猫に同情してしまうのは、猫猫が毒見役が天職であることを知らないからで、それに気づくと、なんだと思うわけである。
だがここに、多くの日本人の現実も詰まっているように思う。
まず、多くの日本人がいま、仕事を天職でしてはいないではないかということである。
猫猫に最初同情するのは、自分たちと同じように奴隷のようにやりたくない仕事をさせられているから、だから共感をする。
そして実際は違うから、なんだとなる。
日本人は共感や同情が強い文化を持っている。欧米人や他のアジア人に比べても、かなり情緒的な民族であるように見える。
だが、共感の前提が常に自分目線になっていることに問題がある。
例えば、もし猫猫が現実にいたら、多くの人々が嘆願書のようなものを出し、可哀想だ、と言い、おそらく寄付も募り彼女に毒を飲ませないようにしよう、などというキャンペーンがなされることだろう。
だが当の猫猫は、毒見役は天職であり、むしろそんなことをしたら傍迷惑に違いない。
つまり、本人は天職、好きでやっているという意思確認もせず、自分の目線だけで勝手に可哀想と思い込み、善意の押し付けをする。
例えば、ウクライナに千羽鶴を送るような行為も、日本人のこうした情緒的で、中途半端な共感から出ているように思う。
相手の立場に立って共感はできるが、いつも自分目線で共感が中途半端なのだ。
自己満足的なボランティア、相手が本当に必要なのか喜んでくれているか、ではなく、なんとなく自分が良いことをした、という気分になるだけのものが生まれるのもこのためだろう。
そしてこの同情の根底の問題は、まず多くの人が天職、自分の好きな仕事、やりたい仕事に就いていないということが本質的な根幹にあるのではないだろうか。
また同時に、日本、あるいは世界全体の問題として多くの人が天職ではない仕事に無理やり、主に経済上の理由から就かされていて、かつ天職に就かせるという概念が社会から欠如してしまっていることにあるのではないか。
毒見役でも軍人であろうと、天職であれば楽しんでやれる。
作中では娼館の娼婦たちも比較的明るく描かれている。
だが、無理やり、強制的にそれらの仕事をさせられている人にとっては地獄である。
天職か否かが、その人の人生を天国にも地獄にも変えうる。
あるいは猫猫の明るさは気の持ちよう、マインドセットによることかもしれない。
しかしそれは、天職であるから他の人からすれば過酷な環境も楽しく過ごせるだけで、例えば猫猫に武官をやらせようとしたら、おそらく気が滅入るに違いない。
なんでも気の持ちようというのはやや暴論であり、やはり天職であるか否か、それが天国と地獄を分ける境目なのではないだろうか。
天職とはなかなか面白いもので、全く人によって価値観が異なるのである。
例えば、誰もが羨むプリンセスとして生まれても飛び出す人もいれば、ドロドロした王族皇族に進んで入りたがる一般女性もいる。
売り飛ばされた毒見役とは逆で、温室で生まれたプリンセスでさえ、天職でなければそれは苦痛になりうるということである。
日本人が共感をする上で、いま一歩なのが、こうした相手にとって、人によって心情が異なる、という個別性にまで想像が届かないまま、自分目線の同情でやったつもりになっているのが勿体無いということ
そして、天職という概念があれば、実は世界観が逆転しうること
これらのことは今の日本人が気づくべきことで、実は鮮烈なメッセージを有している作品ではないだろうか。