IT人の政治リテラシー向上を目指して

元政治家秘書、現IT起業家が主にIT起業家、エンジニア、デザイナーなどIT業界人の政治リテラシー向上を目指して、日々のニュースや政治トピックについて言及。たまに起業ネタや映画、アニメネタなども。ちょっぴり認識力が上がるブログ。

未来のイノベーション、これから訪れる3大テクノロジーとは

□3つのテクノロジーイノベーション

スターリンク、AI、量子コンピューター、核融合など世の中的に未来のテクノロジーで噂されているものではなく、今回はほとんど誰も言っていない、3つのテクノロジーについて紹介したいと思います。

 

それらはそれぞれ

エネルギーのイノベーション
②医療のイノベーション
③生命のイノベーション

に関わるものになります。

 

□シュタイナーの未来予想

具体的な中身に入る前に、これらのイノベーションの話は、19世紀末のドイツ・オーストリアの哲学者、ルドルフ・シュタイナーの話が元になります。

ですから、今回は彼の話の紹介になります。

 

ルドルフ・シュタイナー

シュタイナー教育

・シュタイナー建築(サグラダ・ファミリアの元ネタとして有名)

・バイオダイナミック農法(ヨーロッパではワインなど、ビオディナミが既に定着)

他にも医療、芸術、科学、哲学とあらゆる分野を網羅しており、中世ルネサンスレオナルド・ダ・ヴィンチのような多方面に才能を活用した人でもあります。

 

そのシュタイナーは生前、いくつかの未来に関する予想、予言を残しています。

例えば、共産主義が崩壊することを予言していました。

 

シュタイナーの話はまだ現代的には未解明のものが多いです。

実際はまだ現代人が彼の理論についていけてないだけではないか、と思わせる未来的なものがある可能性があります。

 

今回はそんなシュタイナーが、未来のテクノロジーに関して言及していたものを抜粋・編集して紹介しております。

 

□エネルギーのイノベーション

 

「未来では電気の力によらず、人が機械を直接動かせるようになる」

 

具体的には映画スター・ウォーズのような、ヨーダがフォースでモノを動かすイメージを勝手に想像しています。

 

そのこと指しを「振動学」あるいは「エーテル」という翻訳もありますが、人間の持つ解明されていない力を用いるという意味では、東洋では気功などの概念にも近いかもしれません。

 

そして実用化には至りませんでしたが、実際19世紀にアメリカのキーリーという科学者がその装置を発明したとされています(基本的には似非科学とされています)

https://en.wikipedia.org/wiki/John_Ernst_Worrell_Keely

 

シュタイナーによると、このテクノロジー英語圏の労働の10分の9、つまりほとんどの労働がこの新しい機械、エネルギーによって賄えることが書かれています。

 

そして、この機械は道徳心の高い人間しか使えないものになるそうです。

人の心に左右される装置というのも、人間の未知の部分の解明ありきの発明であることを想起させます。

 

なぜこのテクノロジー英語圏から広まるのか、というのもそうした資質はDNA、生まれ持ったものに左右されるようで、英語圏でそのような人物が次々に生まれてくるから、英語圏で広まる、ということだそうです。

 

いま、ドイツが深刻な電力不足なので、もしかしたら今回この話が持ち上がるのかもしれません。

 

□医療のイノベーション

まず、現在の西洋医学における投薬的な治療は必要なくなる可能性が示唆されています。

 

また、同時にシュタイナーは医療倫理の荒廃も予言しており、いまの時代を生きる人々にとっては、まさにその現場を今目撃していると言えるでしょう。

 

実際、人体、病理、食、栄養といった人間のミクロな領域は全く解明されていません。

(これらは科学者の間では当たり前の事実ですが、一般の人は「科学的な根拠」という言葉に、絶対的な信頼性を置きすぎています。)

今後、いよいよちゃんと人体のメカニズムに関して、解明されていくのかもしれません

 

そして、シュタイナーの示唆する未来の医療とは、より心理学的、精神的な治療になるようです。具体的な方法も多く提示されていますが、一つには音楽で治療する方法などもあります。

 

元々東洋医学の世界においては、病気は神経、脳からきていると考えられており、また「病は気から」という諺もあるくらいなので、日本人にとってはむしろ当たり前で、馴染みやすいものかもしれません。

 

3つのテクノロジーがどこから生まれるかも予言されています。

医療に関しては、中央、ユーラシア大陸の方で発達する模様です。

 

また、これら二つのテクノロジーに共通するのは、気に近い概念なので、個人的な仮説の一つとして、気の仕組みがある程度科学的に解明されるのではないかと考えています。

 

□生命のイノベーション

最後に紹介する生命に関するテクノロジーは、何らかのイノベーションにより、生命の誕生、受胎の時期などをコントロールできるようになるようです。

 

また、それがバイオテクノロジーでもたらされるというよりは、これも民族的な性質、生まれ持ったものからくるようで、しかも東洋から生まれるということが示唆されています。

 

最後のテクノロジーに関しては、更によくわからないところが多いので、簡単な紹介にとどめておきます。

 

三つの中で最も謎ですが、東洋で革新が生まれるのが確かなのであれば、今後日本においてより具体的なものが見えてくるのではないかと思います。

 

そして三つに共通するのは、いずれも「人間に関する新発見、革新がある」ということでしょう。それが物理からあるいはバイオから来るのかはわかりませんが、AIや量子コンピューターというものとは異なりそうです。

 

□予言とは何か

ここで、シュタイナーの言った未来予測、あるいは予言というものの性質について補足を加えたいと思います。

 

シュタイナーが言うには、予言とは、未来の事実が当てることの方に本質はないそうです。

ではどこに本質があるかといえば、予言が、「その人の意思を燃え上がらせる」ものを与えることにこそあるそうです。

 

ですから、今回の記事の予測、予言に関しても、このような話がある、ということで何らかのインスピレーションをもたらす可能性があるので、紹介しようと思った次第です。

 

□シュタイナーに関する補足

シュタイナーという人物の補足として、シュタイナーはアリストテレスデカルト、カント、ヘーゲル、といった西洋の哲学者をよく研究し、そして特にゲーテを研究していました。

 

シュタイナー全集やいくつかの著作を読めばわかるのですが、シュタイナーという人物は徹底した思考の人であるように思います。

よくシュタイナーといえばオカルトの方のイメージを持ってくる人もいますが、シュタイナーはオカルトの世界こそ数学的だとまで言っています。

 

ですからシュタイナーの言っていることを理解しようと思うときは、彼自身が思考に思考を重ねてその結論に辿り着いたはずだ、という仮説を持って臨むことが肝心であるように思います。

 

シュタイナーの言うことは、とても珍しく面白いものが多いです。

例えば、エーテルなど、日本では漫画アニメで聞くような話をします。

 

ですが、シュタイナーの思考の末に辿り着いた結論を、表象的な理解、すなわち、「シュタイナーが言っていたから」、という次元にとどめていては、その知識は生きたものにはなりません。自身で考え、理解した知識ではないからです。

 

むしろ、そうした理解のないまま、シュタイナーの言うことを右から左に流すことで、シュタイナー自身の捉え方に大きな誤解が生じている、と言っても過言ではありません。

 

これはシュタイナーに限った話ではなく、神秘、オカルト、あるいは科学や哲学といった領域において、人が言っていることをそのまま受け取るのではなく、思考の渦に晒してあげることが良いのだと思います。

 

今回の3大テクノロジーも一見すると訳のわからないものばかりだと思います。

ですが、なぜこのようなことが言えるのか?という疑問、思考から入ることで、真にシュタイナーの言うことを理解できる人も現れるかもしれません。

 

□テクノロジーの未来

シュタイナーはそう遠くない未来に、科学技術、テクノロジーが限界に達し、崩壊することも予言しています。

 

個人的にこの話は感覚的に納得できます。我々の日常をみるとそう思えます。

例えば、地球の反対側の人間と話し、パソコンで映画まで見られるような時代になっています。これはものすごいことだと思います。

 

しかし一方で、人の悩みやストレスは絶えません。

また日本ではそこまでテクノロジーが発達しても、いまだにデジタルにできることをアナログのままであったりします。

他にも、食糧危機を言いながら大量食料廃棄もあれば、金持ちの数が増えても貧困の問題は解決できていません。

 

ここに大きなテクノロジーと人間社会の実際との間にギャップが感じられます。

飛行機を飛ばせるのに、機嫌の悪い上司の問題はお手上げといった状況は、冷静に考えると、何かに途轍もないギャップがあるように思います。

 

これは

・人間がテクノロジーを使いこなせていない

・そもそもテクノロジーで解決できない問題が存在する

・何でもテクノロジーが良い、デジタル化すれば良いということではない

など複数の要因があると思います。

 

内面世界のイノベーションでも述べましたが、

https://itseiji.hatenablog.com/entry/2022/02/18/192520

 

これまでは、未来はテクノロジーの発展とともにありましたが、

これからは、未来はテクノロジーの発展とともにあるのではなく、

未来は人の成長と人間の理解と共に歩んでいくのではないでしょうか

 

テクノロジーをハードウェア、人をソフトウェアとすると、

例えるなら最新型のiPhoneにwindows94を搭載しているのが現代で、ここから少しずつOSが改善されていく、そのような時代になるのではないでしょうか。

成田悠輔が最強の理由

成田悠輔が最強なのは、アンチの沸きづらさにある。

それは他のタレント、YouTuberと比較するとよくわかる。

例えば
○メンタリストDAIGO
→そもそもメンタリストてなに

ホリエモン
→どうせ金儲け、悪い奴

○ヒカル
→なんの仕事してるかわからない、胡散臭い

ひろゆき
→専門家でないし、2ちゃんねるとか悪い

といった具合に、なにかを発見してもいくらでも揚げ足も取れれば、イチャモンもつけることができてしまう。

これに対して成田悠輔の肩書き、および経歴は
東大首席、イェール大学の助教授である。

×仕事批判
×学歴批判
×胡散臭い批判
×専門家批判
×成功してない批判(お金がない批判)
×社会的な地位批判

プラス、日本人はアメリカが上という洗脳を施されてるので、アメリカボーナスもついてくる。

日本人はイェール大学、ハーバード大学。あるいはシリコンバレー、ニューヨーク、ペンタゴンマッキンゼー、イーロンマスク、とかに非常に弱い。

 

また、学歴などを盾に中身のないことを言いつつ、他の人がまともなことを言うと潰しにかかる以下のような層も、成田悠輔に関してはイチャモンをつけることが難しい。

○東大生など知的エリート

→学歴は俺らより下、とヒカルとかなら見下せる

but

→成田悠輔の方が大体学歴が上

 

○御用学者

→所詮素人と、ひろゆきとかなら見下せる

but

→成田悠輔の方が大体経歴が上

 

したがって他の人が正しいことを言っても、大体いちゃもんつけられて潰されてしまうが、成田悠輔に関しては日本人が1番イチャモンをつけられないゾーンにいる。

これは、成田悠輔は間違ったことを言わない限り、ほぼ彼の言う通りに物事が進む、ということも意味する。

彼が致命的な失言をしない限り、暫くは彼を中心に日本が動きそうである。

 

日本に世界の文化的中心都市を

□世界の中心都市は西へ移動する

まずこの話は中東から始まり、世界の中心都市が徐々に西へ西へ、と移動しているというフランスを代表する知識人、ジャック・アタリの説をベースにしている。事実、シュメルから始まり、世界の中心は西に移動し続けている。

 

アタリによれば、いまの世界の中心都市はサンフランシスコだが、既にサンフランシスコはITバブルにより地価が高騰し、中心としては既に崩壊の兆しがあると言っても良いだろう。

 

そしてそこより西になるとハワイはないとして、香港、上海、そして東京辺りがとりあえずの候補となる。

 

□東京は既に世界都市

ここでもう少し、日本に世界都市ができる可能性がある根拠をもう少し述べておく。

 

まずシンプルに都市圏の広さである。東京都単体では1000万人でも、周辺の県を合わせると東京都市圏は3000万人規模と言われる。これだけの規模の都市圏は世界でもほぼ類を見ないサイズである。経済の規模的にも世界最大級の都市圏と言える。

 

次にそれだけのサイズにも関わらず、行き届いたインフラに治安の良さと、都市としてそれなりに高水準に機能していることである。

 

大阪も(あるいは日本のどこか他のところになるかもしれないが)京都という街全体が世界遺産のようなものを含んだ関西圏、という意味では東京とは違う角度の魅力を持っているといえよう。

 

つまり、既にポテンシャルとして世界都市であるのは間違いがなく、世界の「中心」都市となるためには、何が足りていないか、という状態ではあるのだ。

 

なので、何が東京あるいは大阪に不足しているか、という視点で考えて行く。

その前に、まずはここでは中心とは何か、という点についてまとめておく。

 

□世界の「中心」都市とは何か

 

まずここで世界の中心都市としている意味は、「文化」に関するものである。

 

例えば、世界の政治の中心はワシントンD.C、北京、あるいはブリュッセルかもしれないが、世界を動かすインパクトのある文化を生み出しているのは、シリコンバレーとその近くにハリウッドを備えたサンフランシスコである。

 

文化の中心とは、もっといえば、時代の最先端をいくような新しいものを排出することである。イノベーションとクリエーションが最も起こる都市、と言っても過言ではない。

 

現在日本、特に東京や大阪はその真逆に位置しているが、ポテンシャルがあるにもかかわらず、その様なのは、その認識が不足し、世界中心都市として足りないものが当然あるからである。

 

□東京や大阪、あるいは日本に足りないもの

それはこれまでのジャック・アタリが話している世界中心都市を考えれば、容易にイメージが湧く。それは、ベニス→アムステルダム→ロンドン→ニューヨーク→サンフランシスコである。

 

まず容易にイメージがつくのが、誰もが憧れるようなチャンスと刺激に満ちた都市であることには間違いないだろう。

 

世界中から夢を見た人を惹きつけるあるいは、多くのクリエイターやアーティストが憧れるような都市である。

 

この点まず、日本は東京も大阪も含めて、排他的だ。

ようやく国としてインバウンドとか言い始めたが、元が鎖国体質なので、開国したつもりでも全く世界の水準に到達していない。

 

仮に将来は伸びるかもしれないクリエイターがお金もなく日本に来ても、入国できない、仕事もない、そんな状態になりかねない。少なくとも外国人の受け入れに関して積極的とはいえない。

 

つまり、文化および法制度的に外国人、特にクリエイターや起業家が集まりやすいようにする必要性は大いにある。

 

むしろ実は世界中心都市の条件は、ほぼその一択に尽きると言っても過言ではない。

なぜなら優秀なイノベイターやクリエイターが日本にいれば、当然お金も集まる。

日本をシリコンバレーの二の舞にするのは馬鹿げているが、お金は人が集まれば自然についてくるので、お金を集めることは世界都市の条件にはならない。

 

□最高のクリエイター、イノベーターが一人いれば良い

イノベイターやクリエイターと言っても、実は最初は一人いれば良い。

 

シリコンバレーでも、最初はイーロン・マスクがいて、そこに集まってペイパルマフィアが生まれたように、イノベーターやクリエイターが同じイノベータたちを惹きつけるからだ。

 

その意味では、世界都市にするための具体的なアクションとしては、一人のスーパーイノベーター、あるいはクリエイターを日本で生み出すか、世界から招聘することにある。

 

もっと言えば、イーロン・マスクが望む条件を全て飲んで、日本でビジネスをしてもらえないかお願いすることも良いと思われる。

 

□なぜ中国ではないのか

もう一つ日本に有利なのは、上海や香港あるいは深センもポテンシャルはあるが、まだ中国という国は閉じられていることに問題がある。

 

流石にいつ、何の理由もなく逮捕されるかわからないような国には、まともな人は寄り付かない。治安以前に、人権を守ることが実は結構重要なのだ。

 

その点、カルロス・ゴーン事件などを見ていると、日本の人権侵害も酷いものだが、全世界で人権侵害が起きている中で、比較的にマシとは言えるだろう。

 

コロナにおける騒動も、他のどの国よりも実は民主主義が機能しているのではないかと思うわれる節さえある。

 

□あくまで欧米人や中国人から見た文化の異質さが重要

また現在のアメリカのサンフランシスコ、あるいはニューヨークは既に流行を過ぎている、というのも理由に挙げられる。

 

どのような都市であっても、人間は飽きてしまう。

クリエイターやアーティストと呼ばれる人種は特にそうだろう。彼らは常に新しい刺激、コンテンツを求める。

 

そして欧米人のクリエイターやアーティスト、あるいはイノベーターにとって、既にヨーロッパもアメリカも使い古されたコンテンツに過ぎない。あるいは、何の目新しさも感じない。

 

それに比べて、言語も違えば宗教観も含めて意味不明な日本に来たほうが、よほど刺激的である。

 

将来的には上海や香港になるかもしれないが、総合的に見て安全でよくわからないものがたくさんある日本て面白そうだよね、というのが世界から見た日本で、実はそれに気づいてないのは日本人だけなのではないかと思うときがある。

 

こういう話をすると、日本はガラパゴスで成長性もないし、 DXもサービス業も何もかも時代遅れじゃないかと思われるかもしれない。

 

ハッキリ言ってそんなものをイノベーターたちは求めていない。

 

例えが悪いかもしれないが、日本人がアフリカに観光に行くときに、お洒落なレストランやウォシュレットがあることを期待して行くのか、という話である。

もちろん、高級ホテルにはどちらも備わっているだろうが、だいたいの人がアフリカに行く目的は、日本にはない広大な大自然などの方ではないだろうか。

 

それと同じことがいまの欧米人にも言える。既にサンフランシスコやニューヨークにあるものを求めてなど、彼らはいない。

 

またここで重要なのは、世界の中心が未だアングロ・サクソンであり、あるいは最もお金を持っているのは欧米人か中国人だとすると、彼らから見たときの異質性こそが最も重要なのである。

 

そう考えると、彼らから見て最も異質なのが日本という国ではないだろうか。

言語も違う、思想もよくわからず、どこにもない食べ物や建物がある、刺激を求める人々にこんなに魅力的な場所はない。

 

そして日本人だけがわかっていないかもしれないが、日本という国は明確にアングロ・サクソン文化圏にいまは属している。

 

考えて見て欲しい。流石に異文化と言っても敵対している文化圏には流石にクリエイターは集まれない。異質と言っても全く言語が通じない、商取引の慣行が違う、などはやはり難しい。

 

先ほどのジャック・アタリのフローでもわかるように、ある程度の文化的な親和性は必要なのである。

 

繰り返しになるがその点で中国はない(台湾もいまは立場的に難しいだろう)インドも商慣習という点では異質で、タイのバンコクはまだ世界都市と言っても、それは観光都市の域を出ない。

 

欧米人から見て日本人は異質だが、同じアングロ・サクソン文化圏の中に存在する異質さだから良いのである。

 

□もう一つの世界中心都市の要素

世界の中心都市としての特徴の一つは「文化」の中心であること、そしてもう一つはこれまでの流れから見ていただければお分かりのように、「商業」の中心でもあることだ。

 

先ほども説明したようにクリエイター、イノベーターが集まればお金は集まるだろう。あとはそれに付随して現れるビジネスパーソンが如何にビジネスをしやすい環境であるか、というのが重要である。

 

その点、今の日本、東京は独自ルールや規制が多すぎる。

都市以外の規制は産業保護などの観点も考慮するとして、都市に関しては国際水準に合わせていく必要がある。

 

それも、どちらかといえば、中国ではなく、はっきりと欧米のスタンダードに寄せていく必要があるといえる。

 

ただし、その中でも日本の独自性をいくつかの点で打ち出す必要はある。

例えば本当に日本にイノベーターやクリエイター、そして資金が集まれば、シリコンバレーのようになるであろう。

 

ここでシリコンバレーの二の舞を繰り返してはならない。

それは地価が上がりすぎて、元々住んでいた人が住めなくなって出ていった、とう現象である。

この現象の再発は二重の意味で良くない。

一つは、サステイナブルの時代の世界最先端都市が、率先してサステイナブルでないことは、全く持って「イケてない」からだ。イケてない街に最先端の人は寄り付かない。

 

同じ理由で、一度失敗している例があるのに、また同じパターンをするのもイケてない。

ある意味、格好いい街づくり、世界の中での都市作りのセンスが求められることになる。

 

□日本人は欧米人から見たらピカチュウみたいなもの

とはいえ、こんなにシンプルにちょっと開国すれば世界中から人が集まる魅力を持っているにもかかわらず、それに気がつかずに永遠と自虐ネタを繰り返す日本はコントと言ってもいいだろう。

 

そして欧米人はよくわからない日本として、ますます面白がっているように感じる。

 

オリンピック世界の水準からはるかに遠い開会式も、きっと東洋の神秘として思っていてくれていることだろう。実際は単なる既得権益の作り出した時代遅れのアウトプットだとしても、全然違う文化のことはなぜか肯定的に見えるときは見えるものだ。

 

日本人は簡単にものすごくよくなれるのに、日本人だけが謎にそれが無理だと思い込んで、籠の中でグルグルと回り続けるハムスターのような愛されキャラとして、欧米人に見られている気もする。要するに日本人は、欧米人にとってはもはやピカチュウそのものなのである。

 

一方で、特にアメリカ、カナダ、オーストラリアみたいな国はもはや民主主義と資本主義の末期のような状態で、トランプのような強力な破壊者が現れない限り、変わることができない状態である。

 

それに比べて日本は、ちょっと国民と政治家の意識が変われば、良いだけである。つまりある意味、日本人が良くなるのに、大きな変革を必要としない。

 

そしてそのもはや末期となった欧米の都市、そしてまだ世界都市にはなれない中国の都市、その間を埋めるのは日本しか存在し得ないと思うのは私だけであろうか。

地方から世界で戦えるベンチャー企業を

□地方発のベンチャー企業

おそらく、今後、日本のイノベーションは地方から産まれるであろうと予想している。

そして地方で生まれたユニコーン的な企業はそのまま地方を中心にプチコングロマリット化して行くだろうと考えられる。

 

これは今の日本のスタートアップの原理原則からすると、相反していると思われる。

東京、大阪以外では人もいない、資金もない、営業先の企業もないからである。

 

にもかかわらず、地方の方が、可能性があり得ると思うのは、いくつか根拠がある。

だがまずは、実際の具体的な成功例から説明した方がわかりやすいと思われる。

 

既に地方発のコングロマリット化しつつあるのは、山形鶴岡市にある「スパイバー」だ。

NASAでも実現できなかった人工蜘蛛の糸の製造・量産化に成功し、既に数百億の資金を集め、製品をパリコレに出典し、その社員の数割は世界中から集まっていると言う、知る人ぞ知るバイオベンチャー企業である。

 

そしてスパイバーからスピンアウトした会社が街づくりをやっており、ブリツカー賞受賞の建築家坂茂とタイアップしてホテルを作ったり、農業学校を作ったりと、まさにコングロマリット張りの多角化した事業を行なっている。

 

□なぜ地方からベンチャーが生まれるのか

さて、なぜスパイバーがここまで成長できたか、ということを取り上げるとそれだけで一冊の本が書けそうだが、地方だからそれができた、ところだけを今回は取り上げる。

 

日本の地方といえば、閉塞的で非協力的で新しいものはとりあえず却下されるイメージだろうが、鶴岡市は慶応の研究所を支援する、という決断をくだした。これがまず重要であったと思われる。

 

確かに東京や大阪の方が人口は多いが、何か新しいことをやるには実は街が大きすぎるという問題もある。

 

都市というものは、ニューヨークのようにクリエイターやアーティストが一箇所に集まって、新しい作品を生み出す、といったコンテンツ的なイノベーションには向いている(あるいはITビジネスも)が、まず大規模な施設や法の規制の変更が必要なビジネスのイノベーションにはまるで向いていない。

 

その点、地方はビジョナリーな市長とビジョナリーな起業家だけがいれば、とりあえずやれることの幅が広がる、というのは大きな利点である。

 

日本の場合は、一般に考えられている以上に地方の裁量が大きいため、挑戦的な市長や議会、住人がいれば大きく街は変わる(やや違う例だが鯖江市などもそうであろう)

 

もちろん、そこから地元住民への溶け込みなどはスパイバーも相当苦労はしていると思われるが、まず、この地方の少数プレイヤーでスピード感のある実験ができるのが大きなポイントだと思われる。

 

次に生活コストである。アメリカのシリコンバレーからのテキサスではないが、ベンチャーといえばやはり資金に乏しいので、生活コストが安いことは重要である。

その点、鶴岡市は、暖房費はともかく、家賃や食費などの生活費は東京の2分の1、あるいは3分の1以下だろう。日本の地方は鶴岡に限らず、生活費が安いことがベンチャー向きと言える。

 

□真のベンチャーとはdisruptを生み出すもの

しかし、最も本質的な理由は文化的な要素が大きいのではないかと思われる。

東京や大阪は良くも悪くも、雑音が多く、文化的にどうしても影響を受ける環境にある。

 

例えば東京でベンチャーといえばITで、なんとなく20代30代で億を稼いで六本木ヒルズに住んで西麻布で遊んでいるという、もはや一つのテンプレートが存在している。

 

そして実際のところ、これは単なるお金儲けのサクセスストーリーであって、シリコンバレー的な本場のベンチャーとはまるで違うと言わざるを得ない。

 

真のベンチャー、スタートアップの定義とはなんらかの「disrupt」を伴うサービスを産み出すことである。disrupt、つまり陳腐化とは具体的にいえば、AppleiPhoneは固定電話を陳腐化させた。Netflixであれば既存の映画やメディアの陳腐化であり、Amazonであれば小売物流といった世界である。

 

GAFAとそれに並ぶようなベンチャーは常に何らかの既存の技術や製品を陳腐化させている。

イーロン・マスクはペイパルでは金融システムを、テスラでは電気と自動車をdisruptさせにかかっている。

 

その点、ソフトバンク楽天GMOサイバーエージェントライブドアといった一世を風靡したITベンチャー世代も、実は本質的にはdisruptは起こしていない。

 

アメリカで成功したものを日本に持っているか、真似て成功しているか、既存のものをグロースハックするレベルにすぎない。

 

ましてや最近のスタートアップと呼ばれるようなベンチャーはほとんどがニッチか、日本語という言語の壁で守られているだけのガラパゴスサービスであるのがほとんどである。

 

むしろ、ソニーウォークマンや、ホンダのスーパーカブといった時代の方が、日本でも真のdisrupt型のベンチャーが生まれていたといえる。

 

そして、スパイバーが日本の中で唯一のベンチャーらしいベンチャーだと思われるのも、スパイバーがdisruptを起こす可能性があるからだ。

 

□disruptの本質はカウンター・カルチャーにある

そして、disruptがなぜ起きるかといえば、その本質がカウンター・カルチャーの文化にあるからだと考えている。

 

アメリカでもニューヨークからはベンチャーらしいベンチャーが生まれないのも、そのためである。

 

つまり、ちょっと起業してお金儲けして遊ぶ、という発想自体、東京というカルチャーの中に隷属して、その中でのポジション取りに過ぎない。

 

そんなことのために昼も夜も仕事ができるような連中は、東京というカルチャーの中でのポジション上げはできても、全く違う文化を生み出すことはできないだろう。

そもそもの出発点も目的も、何もかもが違うからだ。

 

単なる起業というものを一括りに見るとわからなくなるが、同じベンチャーでもカウンター・カルチャー的なものか、既存の中でもポジション上げかは大きな違いがある。

 

日本で東京のITベンチャー人と話していても、大手町や丸の内で働いている大企業の賃金労働者と、お金の追求というカルチャーが共通根底にあるためか、ジーンズを履いただけで大して中身は変わらない印象を受ける。

 

本当のベンチャー人らしいベンチャー人は、完全に東京のカルチャーに我慢がならないと思われる。そしてそのようなカウンター・カルチャーを持つような人間からでないとdisruptは生まれない。

 

それこそスティーブ・ジョブズのガレージではないが、雑音のない山に引き籠もって、黙々と誰もが理解できないようなものを作り上げるような、そういう世界観である。

 

なので、地方だからベンチャーが生まれるとは限らないのもそのためで、地方には地方のカルチャーもあり、そこに染まっていればそれはdisruptを産まない。

 

disruptを起こせる起業家が、自由に活動できる場所こそが真のベンチャーを産むのである。

 

最後に、地方からコングロマリットが生まれる理由だが、地方が貧しくなるにつれ、その地方の特性を活かして収益化する、ということがそもそも急務になるためだが、そもそも日本の場合は地銀も含めて地方であらゆることを賄えるサービスが揃っている、というのもある。

 

これがアメリカとかになると、巨大資本に潰される問題や、まともに仕事をやれる人がいない問題など色々あるが、日本の場合はある程度均一な労働力があるのも不幸中の幸いである。

 

また、ガラパゴスなことも不幸中の幸いで、東南アジアですらデジタル化したのに、中途半端なアナログのままであるせいか、実際はハードもソフトも、システムの更新に一仕事必要なこともそのままビジネスチャンスとなる。またまだその資金もかろうじてある。

 

それは東南アジアがパソコンを飛び越してスマホに行ったようなもので、日本の地方も遅れすぎているがゆえに、FAXからいきなり劇的な進化を遂げ、気がついたら世界最先端の未来都市を作ってしまうこともあるかもしれない。

 

とはいえ、一番はやはりカウンター・カルチャーの創世だろう。

ジョブズAppleイーロン・マスクのペイパルがシリコンバレーというニューヨークに対するカウンター・カルチャーをある種生み出したように、一人、一つの企業体からでた文化が新しい文化圏を作り上げる、それが地方から起こる予感がするのである。

ジャイアニズムの次に来るもの

日本人が苦手な議論の一つに「悪とは何か」というテーマがあると思う。

 

ここでは善悪を上から目線で論じる代わりに、アニメや映画で「悪」として描かれる存在がどのように変遷していったかを紹介していこう。

 

まずは90年代までを見てみよう。タイトルとそれぞれの代表的な悪役はどんな連中か並べてみる。

 

次にここ最近、2000年代ものを挙げてみる

  • X-MEN →マグニート(能力者のために戦う)
  • アベンジャーズ→サノス(宇宙の平和のために宇宙の人口の半分を消す)
  • Naruto →マダラ(世界の平和のために全員幻術にかける)
  • 鬼滅の刃   →無惨(人間を食べないと生きていけない)
  • コードギアス →(主人公がテロリスト)
  • ワンピース  →(主人公が海賊)

 

単純に比較してみると、従来の悪役のキーワードは「暴力」と「支配」というもので、一番わかりやすいのがドラえもんジャイアンで、悪役は言うなれば「ジャイアニズム」が主流であった。

 

これに対して、昨今のアニメや映画の敵役は複雑化している。

悪役にも事情があったり、世界のために人を殺したり、作品によっては主人公の方が悪役のような物語もある。

要約すると「悪人にも都合がある」「本人は善意のつもりだがはた迷惑」「そもそも種族が違う」

みたいなものがキーワードと言えよう。まず言えるのは、「悪」が複雑化しており、昔のように悪といえばジャイアニズムだけ、ということではない、ということだ。

 

※もちろんこの区切りは全部ではない、90年代でもマトリックス逆襲のシャアといった複雑な敵キャラも出てくるし、最近でも例えばロードオブザリングのサウランのように、クラシックにジャイアニズム全開の敵役も存在する。あくまで全体の傾向だと思って欲しい。

 

また、一つの作品の中からわかりやすく悪の変遷がわかる作品がある。

それは「007」である。

 

欧米のプロパガンダを込めた作品でもあるので、冷戦時代はわかりやすいくらいに世界支配をしたい共産やナチズム、あるいはマフィアのような犯罪組織がジャイアニズム的な敵役として描かれていく。

 

しかし、冷戦の終結後はテロリストが悪役となるが、このテロリストたちがまた複雑である。

元々はスパイであったり、企業を通して裏から国家を支配したりと、どんどん知能犯罪者になっている。

 

またある面、日本人の中では、悪に対する思考マヒのような現象が起きてもいる。

悪の方が格好いい、あるいは世の中には善も悪も存在しない、といった風潮である。

 

それは一重に、安全な日本の中では、悪とはアニメや映画の世界で自分とは無関係なことが多いからではないだろうか。

 

だが、21世紀を代弁する悪役は、おそらくアベンジャーズのサノス的なものであると予想される。そしてそれは、日本人にも降り掛かってくる問題である。

 

サノス的な悪の特徴は以下のようなものである

「言っていることが論理破綻を起こしている」

「一見すると善のような主張をするが、やっていることは悪」

「本人だけが善だと思い込んでいるがどう見ても悪」

「よくわからない信念で人の命を奪う」

「正義の名の下に人に危害を加える」

 

かつて、世界大戦において、人類はわかりやすいジャイアニズム的な悪を経験した(おそらく人類史においてこれが最後であろうと願う)

 

むしろ、世界大戦が起きるまでは、ジャイアニズム的なものは、アメリカの西部開拓よろしく、普通に行われていたとも言える。

 

世界大戦という大災害を得て、ようやく人類はジャイアニズムを悪と見なしたのである。

 

つまり、人類規模的な悪の被害が顕在化しない限り、人類規模で新しい悪を認めることがなかなか難しい。

 

そしていまの、日本、世界を見渡せば、サノス的な事象がいくつか発生していることも、具体例をあげなくても、勘の良い人ならすぐに気が付くと思う。

 

いまの時代というのは、ジャイアニズムとは異なる悪が顕在化し、人類がそれを悪と認識しない限り、どこまでも肥大化していく、そのようなことを試されているフェイズだと言える。

ベーシックインカムに関する要旨と論点を整理する

 

ベーシックインカム

■前書き

ベーシックインカムは選挙の際などに話題になりますが、混乱の多い分野だといえます。

 

なぜなら、人によって微妙に思い描くイメージが異なるからです。

 

またベーシックインカムという政策、制度が本当に言われるような良いものなのでしょうか。

ここでは

ベーシックインカムには、実は複数の種類があること

ベーシックインカムの問題点

以上を整理していきます。

 

ベーシックインカムの種類

まずベーシックインカムの種類について整理していきます。

ベーシックインカムには大きく3つあります。

①現金給付型

②高負担高福祉型

③所得補償型

 

①現金給付型

これは既に自民党で何回か実施されています。

国民に数万円あるいは条件をつけて数十万円支給をするやり方です。

 

つまり、このやり方でのベーシックインカムは既にある程度実施されていて、金額をもっと増やすか否かというところが、論点となります。

 

多くの人がベーシックインカム、という話しをする時は、働かなくてもいいくらまで、現金をもっと増やすイメージだと思います。

 

②高負担高福祉型

これは主に北欧諸国で実施されている制度です。政府が学校や医療といった、生活に必要なサービスのほとんどを無料で提供する代わりに、税金負担が大きくなります。

 

③所得補償型

こちらは最低賃金、最低所得を政府が補償、補填する制度です。

 

生活保護最低賃金などがこれにあたります。

 

つまり、こちらもある程度、既に実施されている制度です。

 

あとは生活保護のような制度の金額を上げるか、あるいは最低賃金を引き上げるかの話しになります。

 

ベーシックインカムに関する10個のポイント

①基本的には国が実施するもの

国が行う政策、というのが当たり前ですが、重要なポイントです。

 

そうするとつまり、どのような形で分配するにしろ、国にお金がないとできない、つまり、お金にしろサービスにしろ、クーポンにしろ、配るのには財源が必要です。

 

②どのような財源になるのか

 

国の財源は基本的に「税金」か「国債」になります。

 

ですから、北欧諸国のように多く税金を負担するか、将来の借金とするかしかないわけです。

 

つまり、無限にお金が湧いてくるわけではありません。

 

③インフレを考慮する必要性

無尽蔵にお金を刷って財源にすれば良い、という発想もあります

 

しかし、お金をすれば、物価の上昇、インフレになるので、お金をすれば良いとは限りません。

 

例えば100万円支給されても、バスに乗る運賃が100万円であれば、それだけでは生活できないでしょう。

 

ある程度お金をすることで景気対策にはなるかもしれませんが、

例えば、いまの物価で例えば1人400万円お金を配る場合、物価の方がどうなるか予想がつかないところがあります。

 

④誰が負担するのか

税金や国債ベーシックインカムをやるとすると、結局誰かが負担していることになります。

 

結局、そうするとお金を稼ぐ人、あるいはからほとんど税金を取り立てるか、借金をして未来の誰かに負担させることになります。

 

お金を稼ぐ人から取るシステムだと、そういう人はいくら仕事をしても、意味がなくなるので、海外に出て行くか、あるいは仕事をしなくなります。そうすると制度が破綻することになります。

 

⑤既にある程度実施されている

ベーシックインカム」と言葉が新しいので誤解を招きますが、現金給付、社会福祉生活保護など、実際は既にある程度ベーシックインカムのような政策は実施されています。

 

⑥ではなにができていないか?

つまり、ベーシックインカムと新たに言う場合は、給付の金額と内容を増やすことです。

 

また、現金ではなく、例えば無償化やクーポンのような型など方法は現金以外もあり得ます。

 

⑦働かなくてもいいのか?

多くの方がベーシックインカムに抱くイメージの一つに、働かなくも生活が補償される、というものがあるのではないでしょうか。

 

しかし、実際は例えば全ての仕事をAIにできない限り、誰かが負担することになります。

 

また、仕事を外国人や移民を奴隷化して労働させて、実現していた時期も人類史の中であります。

 

結局誰かが働かないといけない、という状態で一部の人が働かなくもいいような社会は、昔の奴隷制度に近くなるイメージを持つ必要はあるでしょう。

 

⑧高負担高福祉は管理社会的な側面

北欧諸国のような高負担高福祉の場合、前提として、確実に税金を取る必要性があります。

 

そのためには、国民の所得はもちろん、細かいステータスを一元で管理する必要性があります。

 

日本でもベーシックインカムマイナンバーが一緒に議論されるのはそのためです。

 

したがってベーシックインカムにする場合、ある程度の管理社会になる前提は受け入れないといけないことも、併せて考える必要性があります。

 

⑨どのような税金にするのか

税負担は前提ですが、どのような税金にするかは多少選択肢があります。

 

例えば消費税をとてつもなく高くするのか、北欧諸国のように所得税を上げるかです。

 

法人税を上げる場合は、法人が海外に逃げる可能性も考慮する必要があります。

 

個人も優秀な人材が高い税金で海外に逃げ出す可能性はもちろん考慮が必要です。

 

⑩大きい政府か小さい政府か

税金を取り分配するものが必要なので、当然政府が存在し、かつ大きな政府が前提になります。

 

小さな政府、自由主義、資本主義というより、

大きな政府社会主義共産主義ものが

ベーシックインカムを実施する社会システムには合っている、ということも併せて知っておく必要があります。

 

結論として、ベーシックインカムを実施する場合、いくつか併せて考える必要があるポイントが複数あることに気がつくと思います。

 

なんとなく、フワッと働かなくてお金もらって生きられる、メリットしかない制度のように考えることは問題があると言えます。

 

ベーシックインカム」というものの中にも複数の方法があり、それぞれのやり方次第で、税金や社会保障など複数に関連してきます。

 

関連する項目を合わせて吟味する必要があります。

 

決してバラ色の制度ではありません。

善悪と人間の能力

どのような政策が良いか、それを考え、判断する以前に、どのように判断するのか、その前提を考える必要があります。

 

そうした前提となる考え、前提論、本質に近いことを考えることが重要です。

そうした前提、より本質的なところを曖昧にして、表象的なところだけを議論してもあまり意味がないと言えます。

 

ある哲学者が面白いことを言っていました。

「最高の調律師が調律したピアノを、最高のピアニストが弾けば、最高の演奏になる。
しかし、最高のピアニストが調律して、最高の調律師がピアノを弾いたらそれは聴いていられないだろう」

これを善悪の例えで話していました。


つまり、物事の良いか悪いかを決めるには、適切な時間や場所の概念が必要である、ということです。

他にも物事には、適切な場所、タイミングというものがあるいくつかの例を挙げます。

例えば、砂漠で喉が渇いている人に水をあげたら、命が助かります。
反対に、溺れかかっている人に水を飲ませたら、命にかかわります。

水そのものが悪いのではなく、その扱い方や相手で、全く文脈が違ってきます。
これは食べ物や薬などでも同じことが言えると思います。

善悪などない、ということではなく、このように物事の収まりが良いところ、物事には適切な場があることをまず理解することが大切です。

人の能力、仕事に対しても収まりという点では似ている部分があります。

例えば優れたコンピューターエンジニアは、デジタル化された社会においては重宝され、お金をもらえるかもしれません。


ですが、獲物を弓矢で捕まえて生活するような原始的な社会では、全く評価されないでしょう。

ある場では重宝され、ある場では評価されない、というのは物事の適切な場があることとよく似ています。

つまり、人間は能力を発揮し、それで賃金を得るためには、能力を評価できる人、あるいは場が必要になるということです。