IT人の政治リテラシー向上を目指して

元政治家秘書、現IT起業家が主にIT起業家、エンジニア、デザイナーなどIT業界人の政治リテラシー向上を目指して、日々のニュースや政治トピックについて言及。たまに起業ネタや映画、アニメネタなども。ちょっぴり認識力が上がるブログ。

善悪と人間の能力

どのような政策が良いか、それを考え、判断する以前に、どのように判断するのか、その前提を考える必要があります。

 

そうした前提となる考え、前提論、本質に近いことを考えることが重要です。

そうした前提、より本質的なところを曖昧にして、表象的なところだけを議論してもあまり意味がないと言えます。

 

ある哲学者が面白いことを言っていました。

「最高の調律師が調律したピアノを、最高のピアニストが弾けば、最高の演奏になる。
しかし、最高のピアニストが調律して、最高の調律師がピアノを弾いたらそれは聴いていられないだろう」

これを善悪の例えで話していました。


つまり、物事の良いか悪いかを決めるには、適切な時間や場所の概念が必要である、ということです。

他にも物事には、適切な場所、タイミングというものがあるいくつかの例を挙げます。

例えば、砂漠で喉が渇いている人に水をあげたら、命が助かります。
反対に、溺れかかっている人に水を飲ませたら、命にかかわります。

水そのものが悪いのではなく、その扱い方や相手で、全く文脈が違ってきます。
これは食べ物や薬などでも同じことが言えると思います。

善悪などない、ということではなく、このように物事の収まりが良いところ、物事には適切な場があることをまず理解することが大切です。

人の能力、仕事に対しても収まりという点では似ている部分があります。

例えば優れたコンピューターエンジニアは、デジタル化された社会においては重宝され、お金をもらえるかもしれません。


ですが、獲物を弓矢で捕まえて生活するような原始的な社会では、全く評価されないでしょう。

ある場では重宝され、ある場では評価されない、というのは物事の適切な場があることとよく似ています。

つまり、人間は能力を発揮し、それで賃金を得るためには、能力を評価できる人、あるいは場が必要になるということです。