岸田内閣の支持率が、20%台前半と歴代最低域に達しています。
多くの人が政治に不満を抱きつつも、総理を幾ら変えても良くならない日本の現状に、多くの人が何かしらの違和感を持っていると思います。
何が問題であり、どうすれば解決できるのだろう、と多くの国民が思っているはずです。
その問題の核心と解決策をこれからお伝えしようと思います。
答えから先にお話します。
まず、問題の核心は「個人の票を集団票に置き換える組織の器がないこと」
そしてその解決先は「地方議会や地方自治体をその組織の器とすること」
になります。
●なぜ国民の意識と政府の意識はズレるのか?
順に説明していきます。
まず、多くの国民が感じているのは、総理や政権与党との意識のズレだと思います。
いまの岸田内閣はこの点に関して、事例として特に説明がしやすいです。
例えば、一般の人々は世界的なインフレに生活の負担が重くなっている一方で、岸田政権は増税し、海外にお金をばら撒き、自身の給料は上げる、ということをするわけです。
これに対して、国民は、岸田総理は全く国民の方を向いていない、と思うわけです。
そして、経団連の会長が奇しくもコメントしたように
「防衛もやりデフレ脱却もしているのに、なぜこれで支持率が上がらないかわからない」と。
これは岸田総理も同じような面持ちではないかと思います。
しかしこれではコミュニケーションが国民との間に成り立っているようには見えません。
ではなぜ、こうした総理、経団連会長と国民の間でこれほど意識の差が生まれるのでしょうか。岸田総理に庶民感覚がない、それもあるかもしれません。
●政治の仕組みを知る
しかし、真に核心となる理解を得るには、政治の基本的な仕組みを知る必要があります。
まず、なぜ政治において宗教団体や労働組合が強い影響力を持つのでしょうか?それは、彼らが集団として、組織として票を持っているからです。
政治を語る上では、政治は多くの人の日常生活や、経済活動と違う力学を持っているシステムであること、まずこの理解、前提がないと政治のことが全く理解できなくなります。
例えば、ビジネスの現場においては、ビジネスパーソンは「対価と提供する役務」を具体的に話し合うことをします。
それが、商取引という世界のシステムだとすると、政治とは「政策と票」を具体的に政治家と話し合うシステムなのです。
同じ交換取引であっても、供物が違うのです。
つまり、全く違う力学、あるいはプロトコールが存在するシステムなのです。
多くの人がこのプロトコールを知らずに例えば
「私は総理と友達で、政策を口添えできる」
あるいは
「私は大臣と親しいから、意見を言ってきた」
このような会話がよく永田町界隈では発生します。
しかし、これらの会話は、政治の場においては決して効果的なものではないのです。
なぜなら、票の話がセットになっていないからです。
(違法ですが、政治家にお金を渡すことで政策を実現させることもできるかもしれませんが、今回の主たるテーマはそちらではないので割愛します。以後も似たような話は割愛しますが、詳細は巻末に説明を付記します)
政治家はその政策、発言の背後にどれだけの票がセットになっているのか、それで意思決定するシステムにあるのです。
(また反対に票の話がなく、一個人の意見だけで政治が動いてしまう場合も問題があります。)
宗教団体や労働組合が力を持つのは、政策の要求と一体でこの票の話ができるからです。だから、政治家が動くのです。
そして、これこそが、国民の意見が全く政治家に届かなくなっている現象を説明するロジックです。
つまり、個人が幾ら投票しようとも、どのような政治思想を持っていても、集団として票にならなければ、政治家を動かすことはできない、ということです。
●国民の声をどうやって政治家に届けるのか
宗教団体や労働組合というのは、特定の信条や利権を政策に反映させたい、という点で一致団結しますが、多くの国民、例えばインフレで生活が苦しい、それが国民の大多数であっても、その票を束ねる器がなくては、政治家を動かすことができないのです。
従って、国民の声を届ける、特に生活に関することで政治家を動かすための組織とその器が必要になるのです。
ではその多くの国民の声を代弁する組織として、何が相応しいでしょうか?
宗教団体や労働組合、あるいは企業体というのは、理念からしてその考えとは異なるものです。
最も国民の生活に近いその意図を反映させやすい、理念が近い組織はなんでしょうか?それが地方議会、地方自治体です。
地方議員や知事は、選挙によって選ばれます。そこで票の収束がされるのです。
つまり、地方議員や知事、地方議会というのは、宗教団体や労働組合同様、個人の票を束ねる器にもなることができるのです。
そして、最も国民の生活、意識のところに近い組織の器となり得ることが最大のポイントです。
●地方政治と国政政治の違い
これも多くの方が誤解しているかもしれませんが、国政政治と地方政治は同じ政治という言葉がついていても、本来は全く役割が別物である、と考えた方が良いと思われます。
まず、国政政治は国という極めて大きな組織を運営する役割になります。
マクロ経済や外交、防衛といった多くの国民に関係はあっても、身近な政策を扱う場ではないです。さらにいえば、特定の国民、個人個人の困りごとを聞く役割は持っていない機関です。
これに対して、地方自治体というのは県そして市区町村、細かくなればなるほど、例えば地域の道路を直して欲しい、市民が集う公園を整備して欲しい、など国民の生活の要望を叶える機能であり、政府よりもずっと国民に近いところにいます。
つまり、地方議会、地方自治体は国民の生活目線、生活のことを考える機関であるといえます。
これは言い換えれば、国民が政府に持っている不満の多くは、政府ではなく、地方政治に参加し、地方議会に訴えるべき可能性もある、とも言えます。
しかし一方で、国政に関することで、人々の生活に影響を与えるようなものもあるわけです。
その代表的なものが税制で、例えば税金を減らして欲しい、と国民が地方議会に訴えてもそれは国の専決事項であるから無理で、やはり国会議員を動かす必要があるわけです。
減税だけをテーマにするなら、例えば「全国減税の会」という組織が全国にあり、100万、200万という票が実際に動かせるなら、ある程度成功するかもしれません。
しかし、実際には税金以外にも多くのテーマがあり、個々にその団体を立ち上げてやり取りをするのは、極めて煩雑で現実的ではないです。
(もしかしたら、オンラインでそのような細かくテーマ設定した政治団体を都度運用することもあるいはできるかもしれませんが)
そこで地方議会、地方自治体が国民の意見を国政に反映する変換装置となりうる所以が出てくるのです。
●地方政治の限りないポテンシャル
地方議会、地方自治体が、市民目線、国民目線で市民のために存在し、市民を代表する議員、議会、長であれば、それを通じて国民は国と対話ができるのです。
具体的には、国の方針に自治体長がノーと言うことができます。
例として適切ではないかもですが、静岡県のリニアの話などがそれに当たります。
また、国政選挙の際にはより大きな影響を持つことができます。
実際、維新の会が大きな力を持つ大阪府では、与党自民党でさえ、野党に甘んじている、あるいは大阪で何かをするには維新の協力が必要になります。
地方議会が無所属、あるいは地域政党で国政政党の地方支部が野党、少数派となるだけで、だいぶ世界観が変わるということです。
この話は日本人の場合、江戸時代に徳川幕府が何かをやろうとしても、前田家加賀100万石がノーといったら、無視できない影響がある、というイメージの方がわかりやすいかもしれません。
従って、いまの日本の国民と政府とのズレ、自分たちの意見が反映されない、という問題の解消には、地方議会に市民目線、国民目線の人を選ぶことで解消されます。
その点を考えますと、いま最も日本を変えるために核心に迫った活動をされているのは、今の段階では元明石市長の泉房穂さんだと思います。
明石市を市民目線の街とし、子育て、子供教育など強化し、人口増を成し遂げ、地方政治のポテンシャル、そしてその可能性を日本全国に知らしめました。
そして、その勢いを持って、日本全国で同じような市民目線の議員や長を応援する活動をされています。
全国に市民目線の議員、議会、長を輩出することが最もいまの日本の問題の核心に迫っています。また、そのような人々も増えています。
おそらく、本能や直感で何が問題でどうしたら良いか気づいたのだと思います。
そして、この流れを整えるためには、少しだけ理論建てた説明があった方が良いだろうとも判断しました。
●地方政治と国政の役割分担が大事
また、対照的に、維新の会やれいわ、参政党といった面々は、やや所在違いの印象を受けます。彼らは皆、本来の主戦場は地方議会だと思います。
まず維新の会は、大阪府と大阪市のねじれを解消するために生まれた地域政党であり、それを実現させたことは大きな意義があると思います。
しかし、その後、国政で自民党、民主党が弱体化して議席を取ってしまったが故に、自民党とくっつき権力の一端となることを目指してしまったことが残念です。本来は、大阪を中心とした近畿全体を良い方向にする地方政党を目指すべきだったと思います。
れいわや参政党はその政策や、目指すべきところが完全に国民目線、国民寄りの政党です。
政府が国民の生活を考えることが役割にないように、国民目線が強い政党が政権与党を担うこともまた問題があります。
例えば、極端な話、完全に国民目線で考えた場合、税金は低く、お金はばら撒いてしまった方が良いという結論になります。(実際、れいわの政策はそのような内容です)
しかし、国という単位になると、諸外国との関係、あるいは国全体のことを考えてどこにどうお金を使うかなど、国民一人一人が持っているリテラシーをはるかに超える専門的かつ複雑な知識や、高度な判断が要求されるわけです。
国民一人一人の目線と言うのは、言い換えると一国民の都合でしかないわけで、それがマクロ的な政策にまで反映されると、それもまた問題があるわけです。
素人が外交をし、防衛政策を考え、マクロ経済の意思決定をするということになりますから。
さらに言えば、中央集権か地方分権かという二元論ではなく、両方のバランスを如何に取るかが重要です。
●地方分権の話ではない
ここは大きく間違えやすいところかもしれないので、補足をします。
今回の話は地方分権、強い地方を作るというものとは似て非なるものです。
仮に強い地方を作り、国に影響力を強めれば、その地域だけに利権を起こし、その地域だけ豊になる、ということは可能です。
今回の大阪万博というのはそれに近い話です。
地域の力を強めるだけなら、手段は他にもあります。
有力な企業があり、地方議会にも影響を及ぼすことができます。
トヨタがある愛知県などもその事例になります。
そうではなく、今回の話は如何に市民、国民の意見を国政に反映させるか、という論点です。また、企業が強い地域は、その企業に取って都合の良い地域になり、市民目線の街作りがされない可能性もあります。
また、強い地域をただ作ることは、その地域の人の生活は部分的によくなるかもしれませんが、日本全体を良くすることにはつながらない場合もあります。
市民の意見が地方政治を通じて、国政に繋ぐ、ということが話の本筋になります。
明石市のように、市民目線の街づくりが、結果的に人を呼び込み豊になるということはありますが、その地域を良くする、強くするのはまた別の話になります。
●世界の問題の核心へ
そして一人一人の市民目線、あるいは国民目線と政府の視点が大きく異なる、という話は多くの人の想像よりも遥かに重要です。
実はこの話は世界の混乱、世界の問題の核心につながる話です。
世界政府、資本主義の次、監視社会など、多くのシステムが議論されていますが、ほとんどが前提を間違えた混乱の副産物だと思っています。
まず、民主主義をどのように機能させるか、これがいま本当に重要なテーマです。
民主主義に代わるシステム議論ではありません。
民主主義が機能していない、という前提を見直す議論が先です。
そしてそのためにわずかな、シンプルですが重要な本質的な着想が必要です。
次回は、今度は世界の問題の核心とその解決策について話せればと思います。
---------------------------------------------------------------------------------------
(今回話しきれていないテーマに関して)
・日本の問題の本質にはマスコミや古い体質もあるのでは
・政治はお金や利権でも動かせるのでは
・アメリカや、中国、資本家が日本に影響与えるのでは
・自民党や官僚サイドに問題はないのか
・イノベーションや研究開発は
など
おそらく日本の問題の核心、というテーマに関しては多くの方が以上のような議題にも問題がある、と考えると思われます。
結論から言えば、多くの点に問題があるのは確かです。
しかし、深い傷を負った体に薄いガーゼを当てて見た目を誤魔化しても、根本的な治癒にはならないように、根深い問題にはまずその核心から明らかにする必要があると考えています。
また、他のテーマに関して、問題点が指摘され、改善も提示されているようなところは、敢えて取り上げる必要性はないと判断し、他では誰も言っていない重要な核心を優先的に書いていきたいと考えています。