IT人の政治リテラシー向上を目指して

元政治家秘書、現IT起業家が主にIT起業家、エンジニア、デザイナーなどIT業界人の政治リテラシー向上を目指して、日々のニュースや政治トピックについて言及。たまに起業ネタや映画、アニメネタなども。ちょっぴり認識力が上がるブログ。

ジャンプヒーローに学ぶ「頑張って強くなる」の嘘

ジャンプヒーローといえば、如何にも主人公が頑張って修行して強くなっていくイメージがあるだろう。

 

それがイメージでしかないこと、彼らが本当は何で強くなったかを知り

頑張って成功するとか、頑張ってお金持ちになるとか、

日本人の「頑張って何とかする」の勘違いに気づいていこう。

 

まずは80年代のジャンプといえば「Dr.スランプ」だ。

そもそも主人公のアラレちゃんはロボットなので、生まれた時から強い。

ガッチャマンも宇宙人なので、最初から地球人より強い。

 

続いて「北斗の拳

これは修行のシーンはないが、一応激しい修行をしている設定になっている。

だが、修行も何も、北斗神拳の伝承者になることができなければ、強くなることはできない。

 

次に90年代といえば、同じ鳥山明の「ドラゴンボール」だ。

主人公の孫悟空は、カメ仙人のところで修行してかめはめ波を身につけたり

界王様の元で修行したりする、ある意味代表的な「頑張って強くなる」バトルアニメだ。

しかし、よくよく考えて見ると、悟空が一番強くなったのは、猿に変化したときとスーパーサイヤ人になった時だ。どちらも頑張ったからではなく、悟空がサイヤ人だからである。元気玉などは、悟空が自分がサイヤ人だという自覚がない中での舐めプに過ぎない。

 

バトルではないが「スラムダンク」もバスケの練習に励む、青春スポーツ漫画だ。練習ありきのように見えるが、そもそも劇中の魚住ではないが、大きくないとバスケは難しい。小さい選手もバネがないと戦えない。

ハンデがあっても高校レベルでは戦えるが、デカくてうまくて練習する選手がゴロゴロ出てくる、プロには通じない。ある意味高校で終わってるから、そこが描かれなかったようなものだ。

 

そして2000年代に入っての代表作といえば「ワンピース」と「ナルト」だ

どちらも修行シーンが満載だが悟空と同じように、本当に強くなるところは一切頑張っていない。

 

ルフィは覇気とか色々ジタバタするが、結局「悪魔の実」をかじったことが強さの秘密だ。

まずいフルーツを食べるだけで戦闘力が高くなり、人によっては、ブラックホールまで作れてしまうから、頑張って強くなった人には気の毒な世界だ。

 

ナルトも修行シーン満載だが、ナルトが強いのは結局どこまでいってもお腹の中に九尾のチャクラを入れられたことが大きい。

最後の決戦でスーパーパワーアップするのも、何だかの生まれ変わりだから、力を授ける的な展開だ。

 

もちろん、どのジャンプヒーローにも言えることは、単に生まれ持ってだけでなく修行もしている、ということで、修行だけで本当に強くなっているキャラはおそらく皆無だろう。

 

最近大ヒットした「鬼滅の刃」ですらそうだ。

結局、主人公の炭治郎は無残打倒の手段を、自分の祖先の中に見出す。

敵の鬼に関しても、無残の血を飲んで人間を食べれば強くなる、という努力とは無縁の強化スタイルだ。

 

他にも

BLEACH黒崎一護 →刀を与えられる。卍解

テニスの王子様」越前竜馬 →父親が超天才。生まれながらのエリート環境

ブラッククローバー」アスタ&ユノ→チートな魔法書を与えられる

幽々白書浦飯幽助→魔族転生

聖闘士星矢」星矢→ゴールドクロス

ジョジョ」全員スタンド

「呪術回戦」虎杖悠二→最強の呪いが体内に仕込まれる

キャプテン翼大空翼→何もしなくても強い。チート。

お洒落には段階があった!お洒落のレベル7段階を教えます

レベル1機能重視ファッション

服として機能していればよく、全くこだわらないタイプ。合理主義に服を選ぶ。

仕事人間や、異性、ファッションに興味ない人が多い。

(特徴)

・いつも大体同じような服装

・サイズ感や上下組み合わせが合ってない

・汚れ感や年代感があることも

 

レベル2選んでもらうファッション

店員や彼女に選んでもらって、本人は何もわからないまま、適度に綺麗目にまとまっている。

自分がお洒落でないのをわかっていて、人の意見に従えるタイプ。

(特徴)

・清潔感はある

・トップスは良いが全体のバランスが悪い時がある

・本人のセンスと服装が何故かかけ離れている

 

レベル3異性向け、目的があるファッション

モテたいとか、ファッションをツールとして他に目的がある。服そのものが好きなわけではない。スーツやキャミなど、 異性が好むラインでなんとなくまとめるタイプ。雑誌やYouTubeからある程度、流行を掴み、異性に好印象なスタイルを自分で揃えられる。男性ならドレスカジュアルとか、そういうレベル。

(特徴)

・雑誌に載っている服や、そこそこ有名なブランドが多い

・無難。冒険はしていないが、外さずに綺麗にまとまっている

・モテや目的(営業やTPOなど)重視

 

レベル4ブランドファッション

ハイブランドなど、ブランドメインで固めてくる。ハイブランドで固めてくるので、あまり外れはないが、かなりの資金が必要。結果的に良い服をたくさん買うことでセンスも磨かれていく。

(特徴)

・見た目ですぐわかる有名ブランドが多い

・割と派手なスタイルが多い

・似合ってなくてもブランドが良くしてくれることも多い

 

レベル5似合う、計算されたファッション

自分がどういう服が似合うかがわかっている。女性はこのレベルまで行く人も一定数いるが、男性はあまりこのレベルまでいかない。カラーベースや、顔立ち、キャラなどから、自分がよく見える服を自分で選べる。ちょっと頭を使った計算されたファッション。「あざと可愛い」とかもこのゾーン。

(特徴)

・靴や小物といったものと全体のバランスが良い

・コーディネートにストーリーがある

・「派手」「お洒落」というより「似合っている」という言葉が合う

 

レベル6スタイリストファッション

いわゆるお洒落なタレントなどはほぼ全てここ。プロのスタイリストに流行や見せ方を含めて任せてしまうため、本人は選ばないが、必然的にセンスや知識は高まってくる。

(特徴)

・普通の人が着ていないような服、着れない服

・新しいスタイル、斬新なスタイル、普通の人が思いつかないような組み合わせ

・誰が見ても「お洒落」と言われるようなスタイル

 

レベル7趣味がファッション

似合うを超えて、本当に服が好きで、遊びや趣味でファッションを楽しむタイプ。ファッションにかなりお金も使う。自分の似合うがわかってから崩すと格好いいが、自分の似合うがわかってないまま崩しにくると、個性的な人になりがち。洋服好きな男性が主に多い。冒険が過ぎて、異性からはウケない服もチョイスしがち。

(特徴)

・個性的(良い意味でも悪い意味でも)

・その服はどこで見つけてきたんだ、という強烈なインパク

・哲学や世界観がある

 

プロ(ランク外) プロフェッショナルファッション

デザイナーやスタイリストレベル。どういう見せ方をどういう風になど、細かく計算し尽くしたアドバイスや着こなしができるレベル。ファッションが仕事になるレベル。7を超えた次の段階。

 

・一般的にお洒落でない、と言われるのは1、2、7(個性的過ぎて素人にはわからない)のレベルの人。

・5、6、7はある程度ファッションのリテラシーが、そもそも違いやお洒落レベルがわからない。

・こうやってみると、実は本当にファッションが好きで、お洒落にこだわりがある人はごく少数。

・ファッション雑誌を読むのはせいぜいレベル2、3。本当にファッションが好きな人は読まない。

海賊王になるって言ったもの勝ち

ワンピースのルフィは「海賊王に俺はなる!」と言い

Narutoのナルトは「火影になる!」と言う

 

そしてどちらも「絶対に無理だ」と周りに言われて育つ。

しかし、ルフィの方はまだ冒険中だが、ナルトの方は既に火影になっている。

 

正直な話、ルフィもナルトもアホキャラなので、好みではない。

デカいこと言っているのは、正直イラっとするが、

でもやはり言ったもの勝ちだなと思う。

 

結局ルフィは、海賊王を目指すことで仲間を増やして行く。

しかも最初は全然弱いのに、だんだんと強くなって行く。

 

これが、「近所の海賊に俺はなる!」がルフィのスローガンであったら

ゾロが仲間になることもないし、イーストブルーの外の仲間たちと出会うこともないだろう。

 

ナルトも同じで、「中忍に俺はなる!」と言ったら、お腹の九尾が懐くこともなく、ずっと中忍の任務をこなす下っ端の忍びで、物語が終わっていただろう。

 

夢は大きく、そして口に出してしまったほうが良い

でも、それを否定する人がこんなにも多いのはなぜなのだろう

 

一つは、多くの日本人は目の前の人間を「定点観測」してしまうからである。

ルフィが海賊王になる、と最初に言い出したのは、イーストブルーの村の中である。

 

さすがに、ここから何年後かにグランドラインまで行って、四皇と張り合うところまでは、村人は想像もつかない。

 

ルフィの伸びしろ、旅に出たら、条件が変わることを考えず

「いま目の前にいるルフィ」だけを見てものを言ってしまうのだ。

 

ナルトも同じだ。単なる村のいたずらっ子の少年が火影になる、と言っても

通常8歳の子供が火影になれるわけがないが、その8歳の時点で皆ものを言ってしまう。

 

しかし、結果としてナルトは成長し、火影になる

ルフィはまだ海賊王になっていないが、既に四皇クラスの海賊になり、海賊王にリーチをかけている状態だ。

 

これは経営者、投資家などにも当てはまる。

結局、投資家も経営者、あるいは親や教師もほとんどは定点観測でしか物を見る頭しかない。

 

だからやれストーリーがどうとか、実績がどうとか、あなたにはできるできない、と好き勝手にものをいう。もっと漫画を読んだ方がいい。

 

しかし、そんなナルトにも小さい頃から、彼の才能を見出した人物がいる。

その一人がカカシ先生だが、カカシは物語の中でもイタチの次くらいに頭が良いキャラ設定である。(作中で頭が上から数えて良い方)

 

ルフィも最初に彼を見出したのは、四皇のシャンクスである。

 

要するに、見る能力がある人は、定点観測しないし、独自の判断基準を持っている。あるいは、信頼し、その成長を見守ろうとする。それが重要である。

 

既に、九尾チャクラをコントロールできるようになった時に、ナルトが火影になれるなんてことは誰でもわかる。このときに、「火影に俺はなる」と言っても大多数が、頭は悪いけど、まぁなれるだろうと、感じるはずだ。

 

幼い時に言った夢を追いかけ続け、条件やステージが変わったからである。

 

しかし、幼い時に「火影になる!」と言わなければそのステージに来ることはなかったのだ。

 

だから、投資家であれ、経営者であれ、教師であれ、親であれ、やるべきことは定点観測の否定ではなく

 

見守ることと、信頼すること、そしてカカシやシャンクスのように自分の目で自信を持って物事を判断する力を身につけることである。

 

投資家で例えると、既に九尾モードのナルト様にすごいっすねとか擦り寄っても、次期火影様からしてみたらモブに過ぎない。これが上場手前の勝ちゲームに群がるアホな投資家の行動だ。

 

少なくともナルトが中忍になったあたり(シード調達付近)でナルトと仲良くなっておく必要がある。

 

とはいえ、現実世界では、「火影になる」「海賊王になる」

つまり、「大金持ちになる」「総理になる」

みたいなことを言う人間がいてもイラっとするのは事実だ、

 

なぜなら、単なる承認欲求とか、利己的な動機にしか見えないからだ。

総理になって、何をなすかが大事であり、富を得てどう使うかが大事なのに、手段と目的が入れ替わっている人間が、特に政治家になることほど危険なことはないからだ。

 

だから現実には、もっと使命や大義名分がいる。

「世の中を本質的によくするために総理になる」

「人々の暮らしを豊かにするため、事業を起こす」

 

これが更に具体的になると

政治家なら「税制改革」や「経済政策」

起業家なら「ヘルスケア」や「住宅」といった具体的分野

に落とし込んで話をすることだ。

 

先ほど、周囲の人間が定点観測をやめるべきだと言った

今度は、夢を語る側が単なる子供みたいな承認欲求ではなく、

もっと使命的なビジョンを語るべき番である。

 

この両者が重ねれば、日本からも優れた企業や人材はより一層生まれることだろう。

ストーリーシンキングに物申す

個人的に今年で流行りが終わるなと思っていることが二つある。

①スタートアップ

②ストーリーシンキング

 

この二つは去年までのトレンドでもあり、ある意味一体不可分なものだ。

 

スタートアップというまだ売上が立っていないような企業に投資家が投資する

その最大のポイントが「ストーリー」がしっかりしていることだ。

 

このトレンド二つが古いという根拠をそれぞれあげる。

 

まず、スタートアップというのは「起業家」と「投資家」だけが儲かるシステムであって、顧客やステークホルダーや社員は考慮されない。

 

Jカーブ、急成長が良い、というのは、投資家と起業家の理屈であって

早すぎる成長に組織は通常追いつけない。

 

例外としてスタートアップに向いているサービスもあり、それは今流行りのclubhouse のように、急激に流行り出て顧客のニーズがあるから、会社の規模やサーバーを増やす必要があり、資金調達が急務な会社である。

 

つまり、スタートアップというのは、起業やファイナンスの一形態であり、それにマッチしたビジネスモデルであれば合っている。だからスタートアップとITが密接に関わっているのである。

 

しかし、そのスタートアップモデルにあってない会社も投資家の金余りによって、スタートアップしてしまっているのが、流行りであり、それが廃れるのが今年と見ている。(スタートアップ自体がなくなる訳ではない)

さて物申したいストーリーシンキングの方だが、結局いまのスタートアップ界隈で重視しているのは「能力」「原体験」の二つである。

 

つまり

「エンジニアいますか?もの作れますか?」

「なぜそれをあなたがやるんですか?」

この二つの質問に答えられればオッケーですということになっている。

 

だがしかし、よくよく考えてみればテスラモーターにも、日本のトヨタにもストーリーなどない。重要なのはマーケットのニーズと大きなビジョンである。

 

いまの投資家のストーリーシンキングで行くと、スティーブ・ジョブズは前職で電話の営業をしてなければいけないことになる。それが必要だろうか。

 

つまり、ストーリーシンキングというのは一見すると、筋が通って綺麗に見えるが、実際のビジネスにおいてはそんな綺麗なストーリーばかりの会社ではない。

 

これも、スタートアップもどきが流行るから、ストーリーシンキングもどきになっているようなものである。

 

ストーリーは重要だが、ある意味それはストーリーが支離滅裂な会社よりも比較的マシだろう、という足切りなのと、本当に優れたビジネスはストーリーからではわからない、ということでもある。

 

もっと違う例を挙げれば、例えば楽天三木谷社長ももともと興銀出身である。いまのスタートアップで銀行マンがオンラインモール作ると言ったら誰も投資しないだろう。しかし、結果的にもし楽天の創業株を持っていたらどうなっているかは明らかである。

 

ここがストーリーシンキングの限界であり、終着駅だと思っている。

そしてそれに人々が気付き出すのが、今年ではないだろうか。

 

結局のところ、今のストーリーシンキングなるものは

「親が政治家だから、政治家になります」

と言っていることが美しい、と言っているようなものである。

 

セオリーはそうだが、当然政治家の家に生まれても、ほかの才能がある人もいる。竹下総理に孫のDAIGOとかもそうであろう(この先政治家になるかはわからないが)

 

重要なのは、親が政治家だから政治家を目指すと言っている人と

本当に志がある人間とを見極めることである。

 

ストーリーシンキングではそれが見えない。

「政治家の家庭の方が政治家に向いている」

と言ってしまっているようなものである。

 

エンジニアでモノが作れても、良いサービスが作れるかは別の話である。

 

そして原体験なんて必ずしも正しいとは限らない。

イーロンマスクは車のスペシャリストなんかではない。

ビル・ゲイツはエンジニアかもしれないが、今のマイクロソフトにしたのは、ゲイツがエンジニアだからではない。

もし原体験が正しいなら、エンジニアは全員ビル・ゲイツになれるはずだ。

 

投資家、投資が見るべきはもっと大きなマーケットの流れの理解であり、起業家の原体験も含めた理念であり、ビジネスの才能や認識力の方である。

 

それは起業家のストーリーばかりいても仕方がない。投資家のリテラシーの問題だからだ。

 

それをどのように理解認識、言語化してくるかがポイントで、つまりレベルが低いと言われる日本の投資家が次のステージに上がれるかが、今年がターニングポイントなのではないだろうか。

 

批評家のように、起業家のストーリーがどうとか、マーケットがニッチだとかスケールしないとか、そのような視点でものを話す投資家は基本的に廃れていくようにしなければ、つまり本当に質の良い投資家が生まれなければ、ますます欧米中国と日本のスタートアップ、ベンチャー、起業は遅れをとるだろう。

この時代における世界を支配することとは

世界を支配、征服すると一言で言っても、時代によってそのあり方は変わっていく。

 

ローマの時代までは蛮族を征服し、奴隷化することが崇高な目的だと考えられてた。(アメリカが中東で戦争を起こすのはいまだにアメリカがローマ帝国の幻影を引き継いでいるとも言える)

 

かつては領土と人が支配を意味していた。

 

一方で、現代の支配とは主に「財産」を意味するようになってきている。

富があれば土地も人も軍隊も買えるからである。

 

しかし、広大な財や土地を一人で所有し、それが使用人と金庫に眠っている状態というのは、単なる趣味の領域にすぎない。

 

財や富を所有することが支配の本質ではない。

財や富を膨大に所有するということは、基本的にそれを管理し、適切に使用する人間がいないため、一時的に預かるのが本来の支配者の役割である。

 

つまり、支配者のすべきことは、財や富を適切に扱える人がいればその者に与えることである。

 

そして、適切に富や財を支配することができる人間が少ないのであれば、それを増やすことが支配者、エリートの義務である。

 

広大な土地を管理するのは大変である。また、それを一人の保管、鑑賞用にするのは勿体無い。その土地があれば、何人の人を住まわせ、どれだけの作物が作れるのであろうか。

 

適切に管理できる人を育て、その者達と財を相互融通することが一つのゴールとなる。

 

その点、いまの世界の支配者、ロックフェラーなりロスチャイルド、ディープステートという存在は、そうした現代における支配者は義務を果たしているとは言い難い。

 

むしろ、人々から富を守り、独占する方向に動いていると言える。

数の意味では圧倒的大多数は、支配者ではなく被支配者であり、支配者の優位など数の上では圧倒的に不利なのだからそれも当然といえよう。

 

※ここでロックフェラー、ロスチャイルドという言葉、あるいは陰謀論などを連想する人は、自分自身が例えば1京円程度の資産を受け継いだと思ってシミュレーションをすると良いだろう。あるいは自分が総理、大統領、世界を支配していると仮定して、どのような思考、行動をするか想像することが大切である。そして総理、あるいは支配者を批判する大多数が、実際は自分自身がより無知で、それ以下のことしかできないことも気がつくだろう。

そして支配者のモラルの低下、卑劣さも、同じ立場であったら大多数は自分もしていることに気がつくであろう(これはエリート、支配者の卑劣さを擁護する意味ではなく、つまり大多数の人間は外から見ているから、判断を誤るということを指摘する意図である)

 

そして、支配者層というのは常にその座を狙う者達によって危機的な状態に晒されることになる。

 

覇権国家であるアメリカが中国にその座を狙われるように、下からより邪悪で、より富の管理ができない連中が支配者になろうとしている場合

 

自分たちが支配者として未熟であっても、その連中に渡すよりはマシと考えることも共感できる点である。

 

しかしそれも、一人一人の認識力が高めれば、自然とより良いものが為政者、支配者となっていく。

 

基本的に大衆が愚かな方が支配しやすい、というのは支配者が支配者の器でないのに、支配者になった場合に、誤魔化しやすいからである。

 

従って、下からの突き上げをくっていることと、自分たちが人々の認識を促さないこととは論理的に破綻している。

 

人間一人一人の覚醒を促すことは、正しい支配者、エリートにとってその地位を保証するものである。そして、それは「支配」というよりも、「王の責務」という王道に関わる方が本来の呼び名であろう。

 

支配、エリートとは、人類の大多数が未熟である時に、一時的に世界の管理を預かることが本分であり、それは一人一人の自立や覚醒を促すこととセットでなければならない。

 

現代に目を向けてみると、少しずつ認識力が高い人間は増えてはきているが、まだ全ての人がそこに到達できるには、それなりに時間がかかるような時代と言える。

 

そこで今度は王の義務として、世界を分けることになるだろう。

つまり、認識力が高い人間と低い人間を隔てることになる。

 

これには、低い人間には自立できるように促すことと、高い人間を低くしないことが必要になる。

 

世界の二極化、というのも本質的には「認識力の二極化」と言える。

自分で考え、物事を解決できる人間と、奴隷のように思考停止になっている人間とで、富も暮らしも全く違ったものになってくるのである。

 

所得の二極化は認識力の二極化でもある。

そしてエリートの中には、認識力だけの利己的な人間がいるため、単なる二極化になってしまっているのが現状で、本来は、全体の認識を上げることをすべきである。

 

もう少し厳密に言えば、認識の上げ方が、良い王と悪い王では違うのである。

完全に富が二極化し、大多数が貧しい暮らしを送るような世界になれば

さすがに大衆も怠惰に耽るより危機感を持って考え始めるだろう

 

どちらかと言えば、今の世界はそのような方向に進んでいる。

そしてそれが巧妙に。

 

露骨に人々を貧しくするのではなく、生かさず殺さず、時に人類愛や環境問題、世界平和、といった言葉を用いつつ、表向きは非常に理想主義的な形で話をまとめつつ、支配者層は被支配者層を認識力を弱めてマインドコントロールして、支配する体制を築くのである。

 

だがこれも言い換えれば、巧妙な仕掛けは人々の認識力を高める方向にも作用する。ここも現代が二極化する所以である。わかる人にはその仕組みが見えてしまうのである。

 

巧妙にすればするほど、一部の人々の認識を刺激する。

その意味では、今の支配者は一部の人の認識を高めるために、巧妙な詐欺的な搾取システムを構築しようとしているのであれば、アニメのごときストーリーである。

 

つまり、王を認識を高める機関である、と位置付けた場合、良い王と悪い王の違いは、大衆にとってより快適で文化的な気づきを与える者か、不快で腹ただしいものから気づきを与えるか、その違いである。

 

そしてどちらを選ぶかは個人個人の認識力の問題である。

 

あるいは、良い王とは、認識をより文化的な形で拡げるものであり

悪い王とは認識が高い者だけで集まり、他を切り捨て、見下し、奴隷化するものである。

 

今日における世界の支配者は財を管理する方法を間違え、人々に不快な形で認識をもたらそうとしている。

 

しかし、快適なものよりも苦しく、痛みを伴う方が、鈍感な人々にとっては認識を得やすい。つまり、民主主義であろうとなかろうと、その時代の支配者はその時代の人々の状態を反映するものであり、一人一人が独立するものとなった時、世界にはこれまでのような形で認識をもたらす役割は必要としなくなるのだろう。

コロナに関する陰謀論について

コロナに関する陰謀論については、結論から始めると懐疑的である。

 

○製薬利権による陰謀論

製薬が世界市場全体を占める割合と、コロナで不利益を被るその他の産業の割合を鑑みると、どう考えても「コロナで不利益を被る産業」の方が多い。

そのような中、製薬の利権(というかほぼワクチンだけ)数兆円程度でいまの状況を演出、コントロールすることは不可能に近い

 

○中国による陰謀論

そもそも中国政府自体が事態をコントロールできていない。

中国経済に与える打撃も深刻で、経済の失速が政権の失脚に繋がる現中国の体制下において、わざわざ経済を失速させる利点がない。(中国内の反体制派も同じで、これはちなみにアメリカも含めた他の国の政府も当てはまる。)

現在の中国の過激な軍事行動は、経済の失速を国民に対して誤魔化すためのパフォーマンスの側面が強く、アメリカ当局などはそれも把握している可能性が高い。

 

○金融・投資家による陰謀論

確かに富裕層の資産はコロナでも増えている。ただしこれは、富裕層が、景気が後退したときのポジションも持っているからにすぎない。

コロナで打撃を受けている、アパレル、ホテル、エアライン産業などの株は機関投資家を始め、投資家や富裕層も所有している銘柄あり、それは軒並み下落し、打撃を受けている。

従って、金融投資セクター(いつも何かあると疑われるが)は今回に関しては事態に翻弄されている側だと考えた方が、筋が通る。

 

○マスコミによる陰謀論

マスコミが煽る場合はスポンサーの意向を組んでの場合がある。

この場合スポンサーとは民間企業と政府の両方が考えられるが、まず民間企業はありえない。政府の場合、日本のような政治体制でない場合は考えられるが(後述)日本の場合も中国と同じく、経済を失速させる意味がまるでないため、マスコミを使って煽る理由がない

 

現状分析および結論その①

ではなぜ、現状のマスコミはコロナを「煽っている」ように見えるのか

これはスポンサーの問題ではなく、マスコミのシステムそのものによる事象だと思われる。

まず、マスコミにとって重要なのは「視聴率」である。それは記者であれば「記事が読まれること」に他ならない。

従って、読者が「コロナの記事」「特に怖い記事」を読む傾向があれば、そうした内容を多めに書くことになる。

そして確かに、国民はコロナの症状が如何に軽いかのニュースよりも、如何に怖いかのニュースを読みたがる(ホラー映画を観る感覚だったり、危機管理の観点から)

更に、普通の書き方をしても読まれないため、人の目を引く表現を使う。

「インフルエンザと変わらないかもしれないウイルス」よりも「恐ろしいかもしれない新型ウイルス」の方が人の目を引く

 

「大丈夫だよという人」よりも「これは危ないという人」の方がインタビュー記事としても読まれやすい。

(つまりマスコミのシステムそのものが、恐怖と不安を煽るようになっている)

そして、SNSではそうしたニュースを「善意ある有志」が結果として不安を広げているだけなことに気がつかない人々が、そうした記事を広げているのが、いま起きている現象ではないだろうか。

(なので、不安に陥りやすい人は、本当はマスコミのニュースの大半は不安を煽る内容になってしまうので、なるべくニュースを見ないで、正しい情報蒐集に努めた方が良い)

 

つまり、不安と恐怖を無意識も含めて求める読者がいて、マスコミはシステムとして不安を煽る記事を書き、そこでグルグルとループして不安の渦を形成し、その渦が「煽っているように見える」のではないだろうか。

 

現状分析および結論その②

中国や各産業の利権に関しての行動は、「コロナを人為的に仕掛けた」ではなく

「コロナという事象をどう利用するか」という方向で向いていると考えた方が良い。

今回のウイルスは富裕層も含めて無差別なものであり、世間で陰謀論を企むと思われがちな人々は、そもそも人里離れ事態の動静を見守っている状態であろう。(高齢者も多いので)

おそらく中国においては既にインフルエンザのような扱いになりつつあると思われる(致死率、ワクチンや抗体も完全には効かず、逆に全く感染しない人もいるなど)

一方で、独裁国家のような場合は、コロナを煽ることに一定のメリットはある。

政情を安定させるために、脅威を煽ってそれを鎮圧したことによる政権の功績アピール(ベトナムやタイ、北朝鮮のようなケース)をしたい場合。

もう一つは、国が全体管理主義を推し進めたい場合である。

この先、中国がそちらの方向性に大きく舵を切らないとも限らない。コロナを口実に、あらゆる国民の行動や病状を把握し、管理する、という方向性である。

今回、封じ込めに成功していると言われる、台湾はITを駆使し方向性としてはそれに近いことをしており、手放しでは賞賛できない側面がある。

この先日本が注意が必要なのは、この全体管理システムの利権と政府が推し進め、それをコロナという恐怖に煽られ、一部の人が的外れな善意でそれを無自覚に後押ししてしまう、ということである。

 

つまり、全体の結論としは、コロナを陰謀論として捉えるのではなく、煽られた不安の中で、コロナを都合の良い方向に利用する勢力に対して、冷静なリテラシーを持って臨む必要があるということである。

 

 

MMT(modern monetary theory;現代貨幣理論)を吟味する

○はじめにMMTの特徴的な考え方(意訳・抜粋)

・円やドルのような強力な通貨を持つ政府は、借金してもデフォルトしない

・従って財政赤字を気にせず、プライマリーバランスを均衡させる必要もない

・従ってどんどんお金を刷って景気をよくすれば良い

 

MMTが懸念されているポイント

・通貨を大量に刷ることによるインフレおよびハイパーインフレの危険性

 

MMTが日本で注目されるポイント

・日本の経済政策はプライマリーバランス重視派で、それが論拠で消費増税をしているが、それは間違いではないか

・借金を気にせず、もっとお金を刷れば、デフレ脱却し景気が回復するのではないか

 

○気になるポイント

・お金を大量に刷ることは為替レートに影響を与えることは考慮されていない

→為替レートに影響が出ないあるいは、国際政治を無視すれば、極論を言えばお金を刷りまくって、他国の土地を幾らでも買うようなことができてしまう。

実際、ある一国がそのようなことをすれば、為替ダンピングだと非難されるのではないか。

 

・そもそも論としてお金を刷って財政支出をしても支出先がない

ケインズが、財政支出が雇用を生み出すと言っていた時代は、高速道路がないような時代。いまの時代に政府が財政支出をしても、例えば日本の場合、リニア線路をあと数本敷いて誰も使わない、一時的な景気効果しか望めないのでは。つまり、財政支出そのものを議論しても意味がなく、どう支出するかが重要なのではないか。

 

大きな政府とバラ撒きを前提

→基本的にMMTは金融政策と財政政策を両方完全にコントロールして、実施することを前提としている。

また、基本的にMMTの考え方自体が、国(大きな政府)が政策により経済をよくし、雇用を改善するという立場に立っているが、その結果が日本の場合、大量の無駄な公共事業やバブルだった歴史を忘れていないか。

雇用も経済も需要があるからまわるのであって、お金をバラ撒けば全て解決する(供給すれば良い)、というわけではないのでは。

 

・安直なバラ撒き論

→必要なのは

「働きたい人が、働けるインフラを整えること」

「働けない人、働かない人のコストを社会がどのような理由で負担するのか」

「どのような論拠でベーシックインカムのようなシステムを機能させるのか」

「需要が弱まっている中、どのようなシステムで経済をまわすのか」

「どのように社会保障費、支出を減らすのか」

 

議論するポイントはこの辺の方が適当で

 

「バラまいて景気をよくしよう」

「社会的弱者には政府がバラ撒こう」

 

という安直かつ、国民に耳障りが良いようなことを言っている様にも見えるし、その様な安直な主張をする政治家の根拠に使われている感がある。

 

・直感的な違和感、コントロール可能という幻想

→企業と政府のバランスシートは確かに違うが

だから企業と違って「借金しても大丈夫」というところには違和感がある。

基本的に無限にお金を刷るわけではないということを前提にしているが、では一体どの程度なら「大丈夫」であり、どうすればインフレも含めてコントロール可能なのかが不明瞭。

基本的にインフレ・ターゲット論自体、ずっと日銀が言っているが、全く達成もコントロールも現状としてできていないため、インフレ率を維持できる、というところに論拠が見えない。

 

MMTが正しく見えてしまう理由

・確かに日本やアメリカのような国は、借金をしてもデフォルトはしないこと

・政府会計と企業会計は違うという主張

・現代貨幣の本質は金兌換ではもはやない、という貨幣感

・デフレよりは緩やかなインフレの方が経済には良いのではという視点

・現状の消費増税の意味が不明瞭(プライマリーバランス均衡や、将来の世代への負担減を理由としているが、そもそも税収減の可能性もある)

・既存の経済政策の不明瞭さに対する不安に対するアンチテーゼに見える

 

つまり、MMTの根幹である「いくら借金をしても大丈夫」というところは不透明だが、その前提となる新しい貨幣感は従来の貨幣感よりも説得力があり、かつ、既存の日本の財務省の消費増税方針などに、あまり明確な論拠が感じられないため、いまの日本の閉塞感と合間って、相対的に良さげに見えるのではないか。

 

また、デフレになっているのも、経済システムが大量生産・大量消費の時代で、無駄なモノを作って経済をまわしていたが

既に先進国では、購買したいものを消費者がある程度買ってしまっており、消費のニーズがない。消費自体が縮小しているのがデフレの本質であり、金融政策・財政政策でなんとかしよう、と言う概念自体(消費牽引経済への復帰)は的外れに見える。

 

○感想・結論

MMTの論拠には正しいものもあるが、全体的に怪しいところがあり玉石混合。

とは言え、経済学は反対派も同じように玉石混合なので、どちらも説得力に乏しい。

そのため、素人からすると、どっちが正しいかわからない(正直どっちも怪しく見える)ため、自分の立場や都合によって、MMTという理論が政治家などにうまく利用されていないか。(基本的に経済リテラシーが低い国民にとっては、都合の良い理論のように見えるのもあり)

 

また、政府がコントロールして、経済をよくしていくなどのそもそもの前提が古い、間違っている感があるため、そもそも論がおかしい中で、議論しても何も正解が出てこないような印象。(MMTの正否を論じること自体が的外れ)

例えば、そもそも論として国の借金が膨らんでいるのは、日本の場合は膨大な社会保障費であり、予防医療の普及や歳出の削減に努めることがまず必要で「借金しても大丈夫だから」というのはそもそも論として違うのではないか。

 

(参考文献)

MMT現代貨幣理論入門 | L・ランダル・レイ, 中野 剛志, 松尾 匡, 島倉 原, 鈴木 正徳, 島倉 原 |本 | 通販 | Amazon