個人的に今年で流行りが終わるなと思っていることが二つある。
①スタートアップ
②ストーリーシンキング
この二つは去年までのトレンドでもあり、ある意味一体不可分なものだ。
スタートアップというまだ売上が立っていないような企業に投資家が投資する
その最大のポイントが「ストーリー」がしっかりしていることだ。
このトレンド二つが古いという根拠をそれぞれあげる。
まず、スタートアップというのは「起業家」と「投資家」だけが儲かるシステムであって、顧客やステークホルダーや社員は考慮されない。
Jカーブ、急成長が良い、というのは、投資家と起業家の理屈であって
早すぎる成長に組織は通常追いつけない。
例外としてスタートアップに向いているサービスもあり、それは今流行りのclubhouse のように、急激に流行り出て顧客のニーズがあるから、会社の規模やサーバーを増やす必要があり、資金調達が急務な会社である。
つまり、スタートアップというのは、起業やファイナンスの一形態であり、それにマッチしたビジネスモデルであれば合っている。だからスタートアップとITが密接に関わっているのである。
しかし、そのスタートアップモデルにあってない会社も投資家の金余りによって、スタートアップしてしまっているのが、流行りであり、それが廃れるのが今年と見ている。(スタートアップ自体がなくなる訳ではない)
さて物申したいストーリーシンキングの方だが、結局いまのスタートアップ界隈で重視しているのは「能力」「原体験」の二つである。
つまり
「エンジニアいますか?もの作れますか?」
「なぜそれをあなたがやるんですか?」
この二つの質問に答えられればオッケーですということになっている。
だがしかし、よくよく考えてみればテスラモーターにも、日本のトヨタにもストーリーなどない。重要なのはマーケットのニーズと大きなビジョンである。
いまの投資家のストーリーシンキングで行くと、スティーブ・ジョブズは前職で電話の営業をしてなければいけないことになる。それが必要だろうか。
つまり、ストーリーシンキングというのは一見すると、筋が通って綺麗に見えるが、実際のビジネスにおいてはそんな綺麗なストーリーばかりの会社ではない。
これも、スタートアップもどきが流行るから、ストーリーシンキングもどきになっているようなものである。
ストーリーは重要だが、ある意味それはストーリーが支離滅裂な会社よりも比較的マシだろう、という足切りなのと、本当に優れたビジネスはストーリーからではわからない、ということでもある。
もっと違う例を挙げれば、例えば楽天の三木谷社長ももともと興銀出身である。いまのスタートアップで銀行マンがオンラインモール作ると言ったら誰も投資しないだろう。しかし、結果的にもし楽天の創業株を持っていたらどうなっているかは明らかである。
ここがストーリーシンキングの限界であり、終着駅だと思っている。
そしてそれに人々が気付き出すのが、今年ではないだろうか。
結局のところ、今のストーリーシンキングなるものは
「親が政治家だから、政治家になります」
と言っていることが美しい、と言っているようなものである。
セオリーはそうだが、当然政治家の家に生まれても、ほかの才能がある人もいる。竹下総理に孫のDAIGOとかもそうであろう(この先政治家になるかはわからないが)
重要なのは、親が政治家だから政治家を目指すと言っている人と
本当に志がある人間とを見極めることである。
ストーリーシンキングではそれが見えない。
「政治家の家庭の方が政治家に向いている」
と言ってしまっているようなものである。
エンジニアでモノが作れても、良いサービスが作れるかは別の話である。
そして原体験なんて必ずしも正しいとは限らない。
イーロンマスクは車のスペシャリストなんかではない。
ビル・ゲイツはエンジニアかもしれないが、今のマイクロソフトにしたのは、ゲイツがエンジニアだからではない。
もし原体験が正しいなら、エンジニアは全員ビル・ゲイツになれるはずだ。
投資家、投資が見るべきはもっと大きなマーケットの流れの理解であり、起業家の原体験も含めた理念であり、ビジネスの才能や認識力の方である。
それは起業家のストーリーばかりいても仕方がない。投資家のリテラシーの問題だからだ。
それをどのように理解認識、言語化してくるかがポイントで、つまりレベルが低いと言われる日本の投資家が次のステージに上がれるかが、今年がターニングポイントなのではないだろうか。
批評家のように、起業家のストーリーがどうとか、マーケットがニッチだとかスケールしないとか、そのような視点でものを話す投資家は基本的に廃れていくようにしなければ、つまり本当に質の良い投資家が生まれなければ、ますます欧米中国と日本のスタートアップ、ベンチャー、起業は遅れをとるだろう。