世界を支配、征服すると一言で言っても、時代によってそのあり方は変わっていく。
ローマの時代までは蛮族を征服し、奴隷化することが崇高な目的だと考えられてた。(アメリカが中東で戦争を起こすのはいまだにアメリカがローマ帝国の幻影を引き継いでいるとも言える)
かつては領土と人が支配を意味していた。
一方で、現代の支配とは主に「財産」を意味するようになってきている。
富があれば土地も人も軍隊も買えるからである。
しかし、広大な財や土地を一人で所有し、それが使用人と金庫に眠っている状態というのは、単なる趣味の領域にすぎない。
財や富を所有することが支配の本質ではない。
財や富を膨大に所有するということは、基本的にそれを管理し、適切に使用する人間がいないため、一時的に預かるのが本来の支配者の役割である。
つまり、支配者のすべきことは、財や富を適切に扱える人がいればその者に与えることである。
そして、適切に富や財を支配することができる人間が少ないのであれば、それを増やすことが支配者、エリートの義務である。
広大な土地を管理するのは大変である。また、それを一人の保管、鑑賞用にするのは勿体無い。その土地があれば、何人の人を住まわせ、どれだけの作物が作れるのであろうか。
適切に管理できる人を育て、その者達と財を相互融通することが一つのゴールとなる。
その点、いまの世界の支配者、ロックフェラーなりロスチャイルド、ディープステートという存在は、そうした現代における支配者は義務を果たしているとは言い難い。
むしろ、人々から富を守り、独占する方向に動いていると言える。
数の意味では圧倒的大多数は、支配者ではなく被支配者であり、支配者の優位など数の上では圧倒的に不利なのだからそれも当然といえよう。
※ここでロックフェラー、ロスチャイルドという言葉、あるいは陰謀論などを連想する人は、自分自身が例えば1京円程度の資産を受け継いだと思ってシミュレーションをすると良いだろう。あるいは自分が総理、大統領、世界を支配していると仮定して、どのような思考、行動をするか想像することが大切である。そして総理、あるいは支配者を批判する大多数が、実際は自分自身がより無知で、それ以下のことしかできないことも気がつくだろう。
そして支配者のモラルの低下、卑劣さも、同じ立場であったら大多数は自分もしていることに気がつくであろう(これはエリート、支配者の卑劣さを擁護する意味ではなく、つまり大多数の人間は外から見ているから、判断を誤るということを指摘する意図である)
そして、支配者層というのは常にその座を狙う者達によって危機的な状態に晒されることになる。
覇権国家であるアメリカが中国にその座を狙われるように、下からより邪悪で、より富の管理ができない連中が支配者になろうとしている場合
自分たちが支配者として未熟であっても、その連中に渡すよりはマシと考えることも共感できる点である。
しかしそれも、一人一人の認識力が高めれば、自然とより良いものが為政者、支配者となっていく。
基本的に大衆が愚かな方が支配しやすい、というのは支配者が支配者の器でないのに、支配者になった場合に、誤魔化しやすいからである。
従って、下からの突き上げをくっていることと、自分たちが人々の認識を促さないこととは論理的に破綻している。
人間一人一人の覚醒を促すことは、正しい支配者、エリートにとってその地位を保証するものである。そして、それは「支配」というよりも、「王の責務」という王道に関わる方が本来の呼び名であろう。
支配、エリートとは、人類の大多数が未熟である時に、一時的に世界の管理を預かることが本分であり、それは一人一人の自立や覚醒を促すこととセットでなければならない。
現代に目を向けてみると、少しずつ認識力が高い人間は増えてはきているが、まだ全ての人がそこに到達できるには、それなりに時間がかかるような時代と言える。
そこで今度は王の義務として、世界を分けることになるだろう。
つまり、認識力が高い人間と低い人間を隔てることになる。
これには、低い人間には自立できるように促すことと、高い人間を低くしないことが必要になる。
世界の二極化、というのも本質的には「認識力の二極化」と言える。
自分で考え、物事を解決できる人間と、奴隷のように思考停止になっている人間とで、富も暮らしも全く違ったものになってくるのである。
所得の二極化は認識力の二極化でもある。
そしてエリートの中には、認識力だけの利己的な人間がいるため、単なる二極化になってしまっているのが現状で、本来は、全体の認識を上げることをすべきである。
もう少し厳密に言えば、認識の上げ方が、良い王と悪い王では違うのである。
完全に富が二極化し、大多数が貧しい暮らしを送るような世界になれば
さすがに大衆も怠惰に耽るより危機感を持って考え始めるだろう
どちらかと言えば、今の世界はそのような方向に進んでいる。
そしてそれが巧妙に。
露骨に人々を貧しくするのではなく、生かさず殺さず、時に人類愛や環境問題、世界平和、といった言葉を用いつつ、表向きは非常に理想主義的な形で話をまとめつつ、支配者層は被支配者層を認識力を弱めてマインドコントロールして、支配する体制を築くのである。
だがこれも言い換えれば、巧妙な仕掛けは人々の認識力を高める方向にも作用する。ここも現代が二極化する所以である。わかる人にはその仕組みが見えてしまうのである。
巧妙にすればするほど、一部の人々の認識を刺激する。
その意味では、今の支配者は一部の人の認識を高めるために、巧妙な詐欺的な搾取システムを構築しようとしているのであれば、アニメのごときストーリーである。
つまり、王を認識を高める機関である、と位置付けた場合、良い王と悪い王の違いは、大衆にとってより快適で文化的な気づきを与える者か、不快で腹ただしいものから気づきを与えるか、その違いである。
そしてどちらを選ぶかは個人個人の認識力の問題である。
あるいは、良い王とは、認識をより文化的な形で拡げるものであり
悪い王とは認識が高い者だけで集まり、他を切り捨て、見下し、奴隷化するものである。
今日における世界の支配者は財を管理する方法を間違え、人々に不快な形で認識をもたらそうとしている。
しかし、快適なものよりも苦しく、痛みを伴う方が、鈍感な人々にとっては認識を得やすい。つまり、民主主義であろうとなかろうと、その時代の支配者はその時代の人々の状態を反映するものであり、一人一人が独立するものとなった時、世界にはこれまでのような形で認識をもたらす役割は必要としなくなるのだろう。