IT人の政治リテラシー向上を目指して

元政治家秘書、現IT起業家が主にIT起業家、エンジニア、デザイナーなどIT業界人の政治リテラシー向上を目指して、日々のニュースや政治トピックについて言及。たまに起業ネタや映画、アニメネタなども。ちょっぴり認識力が上がるブログ。

旧世界の最後の王から新世界の最初の王へ (オバマからトランプへの意味)

オバマからトランプへの変化には、単なる政権交代に限らず、内在的な意味がある。それはBrexitを始めとする、現在の全世界的の人々が抱える内在的な思考にも関連してくる。

 

まず、オバマといえば、どんな人物だろうか?黒人初の大統領。ハーバードロースクールレビューの編集長をしていた弁護士で、エリート中のエリート。失言などなく、聡明で品があり妻や子を大事にする良き家庭人でもある。

 

次にトランプ。白人家庭の不動産会社社長の息子として生まれ、若い頃からビジネスに関わり、一度数百億の借金も背負うがそこからまた巻き返し、財を築く。女性関係も派手で、その発言は過激で攻撃的、失言など意にも返さない。

 

私はこの極めて対照的な人物間における政権交替に、「理性主義」の限界を垣間見た。

 

オバマは一言で言えば、「今の社会における理想像、想定される最強のエリート」である。人々がリーダーとは「こうあって欲しい」という多くの才能を兼ね備えたスーパーマンである。

 

しかし、そんな「スーパーマン」も「ただの人」であったことが任期中にバレてしまった。「チェンジ」とは名ばかりで大きな変革はなく、国民の失望を買い、共和党に議会もそしてホワイトハウスも明け渡す結果となった。

 

これは正確に言えばオバマ自身が有能か無能かと言う話よりも、アメリカという国が、ある程度社会的枠組みが決まっていて、その中でできることは、例え大統領であっても限られているので、オバマ自身が無能だと思われてしまうことに、やや個人的には同情的でもある。それは過剰な期待であるからだ。

 

だが、逆に言えば、オバマという人間は「今の世における」最高のエリートであり、今のルール下の中でその枠組みを取っ払うことができない堅物だということも言えなくもない。「品格」や「国際的なルール」に縛られ、思い切ったことができない人物ということもできる。

 

オバマが安倍やプーチンと合わないというのは、この両者は、理性主義というものは存在しても、人間はそう誰もが理性的な生き物ではない、と捉えるタイプであって、上品な理論を建前にアメリカ主導の国際社会のルールを押し付けるオバマとウマが合わないのは当たり前である。二人からすればオバマの言は都合のいい綺麗事に聞こえるのだろうと推察する。

 

そして、しばしばルールを無視してでも国益を取るプーチンにクリミア問題やシリア問題でアメリカが遅れをとったというのも、オバマのようなルールを守る「理性主義」そのものが、そもそも通用しない時代に突入しているということを示唆している。(もちろんアメリカもオバマも裏でルールを破ることはあるだろう。ここで言うのはあくまで建前論の話でもある。)

 

そんな時に現れたのがあの破天荒なトランプである、ということが全く偶然であるはずがない。アメリカに工場を作れと企業に脅しをかけ、国境を超えてきた不法移民は強制送還させるなど、全くルールも何もあったものではない、規格外の人物だ。

 

ここで注目すべきなのは、アメリカ人のマインドそのものは全くオバマの時もトランプの時も変わっていないということである。アメリカ人が求めているのは一貫して「変革」である。主に極端に貧富の差が広がった不公正な世の中をどうにかしたいと、多くのアメリカ人が願っている。

 

だから、今のルールにおける最強の人物、オバマが「チェンジ」できない社会なら、もはやルールを破ってまで結果を出すトランプを選ぶしかない。様々な表層的な理由が異なれど、内在的に今回の選挙で起きたことはこういうことではないかと私は考える。

 

そして同様のことが全世界で起きている。クリミア、シリア問題はもちろんのこと、ヨーロッパにおいて特に深刻なのは難民問題である。

 

難民を受け入れる、という「理性主義」的な品のある綺麗事を言った挙句、大量の難民が押し寄せ、難民の中にテロリストが紛れ、難民の中に犯罪を犯すものが増え、ヨーロッパ全体が混沌とした状況に陥っている。

 

人々も、これまでは他人が、難民が可哀想という「余裕」を持てるだけの状態であったが、もはや他人を構っていることなどできない、自身の職が脅かされ、安全が脅かされているのに、国際社会とか人類愛とかで難民をこれ以上受け入れられない。乱暴な言い方をするとそうしたマインドが人々の間で蓄積しているからこそ、ヨーロッパでは極右政党が、今非常に人気がある。

 

言い換えれば、これらの動きは「他人のことなど構っていられないなりふり構わぬ時代に突入した」ことへの現れであり、Brexitもトランプもそれが表面化した出来事に過ぎないのだ。

 

秩序から混沌へ、既存のルールが壊れ、新しいルールを模索する時代。各国が帝国主義的ななりふり構わぬ動きに出れば、当然戦争のリスクも高まる。オバマとは旧世界の最後の王であり、トランプは新世界の最初の王となったわけだ。

 

私が思うにこれからの時代の混沌は、逆に日本人のような助け合いの精神がある文化が、いずれ世界の中核となるように収束していくのではないかと思う。だが、実際に日本がそうなるためには、日本人が最も固執している、「理性主義的な既存のルール」やシステムから、如何に早く脱却できるかにかかっていると思う。

 

また、日本では橋下徹がトランプのようなものだと、誰かが言っていた。ある意味、日本でも似たような現象が起きていたということだ。だが、日本は所得格差や社会問題などでは、アメリカやヨーロッパほどの深刻な混沌に陥っておらず、橋下もまた「全体の変革」ではなく、大阪という一地域の変革、それも変革というには程遠い、ある種の「合理化」を促進しただけの人物であり、今の時点では、日本人は皮膚感でアメリカで起きていることは掴めないと思われる。だが、いずれ今後日本も周回遅れでアメリカやヨーロッパのような事態が生じることは充分に有り得る。

 

それは人類の歴史において、国家が必然的に通らないといけない過程なのか、未然に防ぐことができるものなのか、それはまだわからない。ただ一つ、最初に我々が認識すべきことは理性主義の一旦の終焉により、新しい混沌とした時代が表面化してきた、ということである。