いまの日本で最も話題性のあるような人物、例えばホリエモンやメンタリストDAIGOといった人間は、日本のエスタブリッシュメントからしてみたら、興味のない人々である。
しかし、100年経ったのちに、20世紀、21世紀にカルチャーを形成した人物として後世の人にもそう思われるのか、と思った時にふと浮かんだのが
19世紀20世紀のヨーロッパの音楽と芸術との関連である。
例えば、今の日本のエスタブリッシュ層でも、絵画であれば印象派、音楽であればモーツァルトくらいは知っているだろう。
しかし、当時、印象派といえば絵画で主流ではなくアメリカのMOMAが購入して値が上がったものであり、モーツァルトも自身は大衆向けに音楽を書いていたものが多い。
何が言いたいかというと、つまり、現在のエスタブリッシュメントは過去の大衆文化をあたかも、ハイソなもののように勘違いしていたら面白いと思った次第である。
つまり、100年後の日本のエスタブリッシュメントがいまの若者の間ではやっているようなポップカルチャーを貴族の嗜みのように耽っていて、そしていまのエスタブリッシュは100年前のポップカルチャーを賛美していたら、なかなかの喜劇であるということだ。
100年前の真にエスタブリッシュメントの間で流行ったことが、どれだけ現代に引き継がれているか、それを吟味する必要がある。
おそらく、それはほとんど表に出ていない、と考えるほうが真実に近いのではないだろうか。
もしくは、絵画やクラシック音楽の中でも、これはわかる人にはわかる、といった分類や、あるいはこの画家、この音楽家は大衆にも人気があったが、エスタブリッシュメントに好かれた、というものもあっただろう。
ほとんど表に出てこないもの、あるいはクラシック音楽の中で、モーツァルトの中で、どれがなぜ良いのか、それは自身にそれを見極める力が備わってないとわからない。
つきつめると、大衆とエスタブリッシュメントの差は、ショパン好きか嫌いかではない、なぜショパンが好きか嫌いか説明できることに尽きる。
例えば、大衆はカバンを買う時に、「ブランド」で買う。「ルイ・ビトン」という名前があるから買うのである。
これに対して、エスタブリッシュメントは同じビトンを買うにしても、そこにストーリーがある。そしてそこに買う理由(日持ちが良い、革の質が良い、作りが良い、アフターケアが良いなど)が備わってなければ、そのブランドのものは買わない。ブランド自体をそもそも大衆と違う視点でみている。
これは成金=大衆と置き換えても同じである。
成金がよく真の富裕層に揶揄されるのは、表面的でモノの価値を知らないにもかかわらず、お金にモノを言わせてなんでも手に入れるからである。
この分類は今まで、あまり言語化されていなかったものである。
つまり、大衆とエスタブリッシュメントを分ける本質的な境界線は
家柄でも学歴でも、お金でもなく、ストーリーである。
ストーリー、つまり、なぜそれをするのか、が説明できること
これはセンスや思考力、自己認識といったもののほうが比重がおかれる。
つまり、大衆がエスタブリッシュメントになりたいと思うなら(エスタブリッシュメントになりたい、という動機自体が大衆的だが)必要なのは、お金でもタイトルでもなく、センスや思考力を身につけるべき、ということだ。
実際、驚くほど、富裕層は一つ一つ細かいことにまで造詣が深いことが多い。
生まれ持ってそういう環境で育っている人もあるだろうが、センスや思考力があるから、後天的にエスタブリッシュメントになっている人も少なからずいるのはそのためだろう。