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IT人の政治リテラシー向上を目指して

元政治家秘書、現IT起業家が主にIT起業家、エンジニア、デザイナーなどIT業界人の政治リテラシー向上を目指して、日々のニュースや政治トピックについて言及。たまに起業ネタや映画ネタなども。5分で読める1,000文字、10分2,000字を目標。

村上春樹“職業としての小説家”を読んで with〜文章についておもうこと

初めに、私は村上春樹の小説を読んだことが一度もない。でも彼のファンである。

 

ファンになったきっかけはイスラエルで、氏がスピーチをした内容がきっかけであった。

 

自分が小説を書き続けるのは、人間がシステムのような無機的なものに囚われて人間らしさを損ねること、それと戦うために小説を書くのだ、と。

 

そのメッセージそのものと、それをイスラエルという場所で話した彼のセンスに痺れた。

 

だが、どういうわけか、小説の方は全く気が向かず、本書が自分にとって初の村上春樹著作の本と相成った。

 

読んでみて、なぜ村上春樹の本は日本で、世界でこんなに受けるのだろう?と浅い階層の部分は読み解けた気がした。

 

まず、文章自体が恐ろしくプレーンで短く、簡潔であること。

 

これは本人がそう意識して書いているようで、ハンガリーの作家アゴタ・クリストフという作家が同じような手法を用いて成功していて、その書き方を習ったものらしい。

 

簡単で、簡潔で平易な文章で書かれているものは当然読み易く分かり易い。幅広い層に読まれる本に当然になるわけだ。

 

だがそれだけでなく、自分が読んでいて感じたのは村上春樹の文章は日本のビジネスメールに“デザイン”が似ている。

 

自分にとって相手に気を使い、読み易くレイアウトする日本のビジネスメールはデザインという概念があるのだが、

 

それと同様の読み手への気遣いと、文章そのものへのデザイン性を感じた。

 

これも日本のビジネスパーソンと親和性が深いのではないだろうか。

 

もう一つは、一度英語で書いた文章を日本語に直して書いている、という点だろう。

 

当然氏の英語力は日本のどの作家よりも高いだろう。自分の伝えたいものを英語で書くこともできるし、より重要なのは、日本的なものを直接、自分の言葉で海外に伝えることができる。

 

例えば先にあげた簡潔かつ簡易的な文章には、読み手への思いやりが感じられる。

 

こういう文章の書き方はある意味日本独特であるのかもしれない。

そして、スピーチの内容でもそうだったが、村上春樹のメッセージは強い。そして明確だ。だが、それを感じさせない謙虚さがある。

 

こんな文章は日本人にしか書けない、とても日本的なそしてポップな作家だ。それが売れている理由なのでは、と分析家としての視点はそれであった。

 

ちなみに私も小説(その他諸々)を書く。むしろ文章家に成りたくて(政治を思う存分やりたくて)、とりあえず起業しようと思っているくらいだ。

 

なので、文章の書き方というには色々思うところがある。

 

ちなみに自分が好きなスタイルは、日本で言えば歴史小説家の童門冬二さん、宮城谷昌光さん、海外だとフランスの文豪バルザックの文章(翻訳だけど)である。

 

どちらもダイナミックで、迫力のある文章を書く。そして凄くダイレクトに愛や感情を感じる。(この辺が村上春樹小説に自分が惹かれない理由かもしれない。)たぶん凄く偏見に満ちているのだけど、そんなのどうでもいいよね、みたいな凄く男らしい書き方に感じる。

 

他にも面白いなと、思ったのはレオナルド・ダ・ヴィンチゲーテそしてドストエフスキーである。

 

ダ・ヴィンチは小説ではないし、手記を翻訳たものなので、文章というより手記から垣間見る彼のセンスなんだけど

 

ダ・ヴィンチの面白いところは、文章で“人間”をスケッチのように描いてしまっているところが天才性を感じられる。

 

普通は文章は人柄やメッセージを表していて、伝えたいものは感情だったり、事柄であったりするのだけど

 

ダ・ヴィンチは一つの文章に昔の錬金術的な地水風火

つまり、人間の肉体、精神、感情、自我という構成要素を

全て表現する文章を描いているように見えること。

 

彼にとっては文章も絵を書くことも、彫刻を彫るのも何も変わらないのだって、感じさせること。そして文章で伝えることが感情でも事柄でもなく、人間を描くって、ことをしている人って他に見た事なくて斬新さに心打たれた。

 

ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟が東大生が勧める本ベストワン的なふれこみで、読まないといけないのかー的な発想で

 

買ってはみたものは正直、何で東大生がそんな熱くなるのかの理由は理解できず。ただ、推理小説であり、恋愛小説であり、あらゆる小説のジャンルが含まれているコンセプトは面白いと思った。有名なゾシマの独白の迫力も確かに凄い。でも一番面白いのはドストエフスキーゲーテ、特にファウストの影響をもろに受けていて

 

むしろ未だに解読されていない、ファウストの解読書的な位置づけとして、この本はあるのではないかと思った。

 

ゲーテファウストをあえて“完結させないこと”で明快なメッセージを発信したと言われているし、表現者としての表現の選択にやはり感銘を受ける。

 

(ちなみに村上春樹ドストエフスキーに印象を受けているが、ドストエフスキーに比べるとなんて自分は作家として才能がないのだ、と感じているらしい。それは事実だと思う。才能を感じさせる文章は圧倒的にドストエフスキーだ。この辺が才能という言葉に酔い易い東大生との親和性なのだろうか)

 

最近は自分は色々書き方で悩むことがあり

試行錯誤の繰り返しで

自分の書きたいように書くと分かり辛くなってしまう

だけど、分かりやすく書こうとすると自分の言葉を失ってしまうというジレンマがあり

 

改めて文章について考えるいい機会を与えてもらった。

 

言の葉も同様で

 

昔から自分は周りの汚い言葉使いに無理して合わせて不快な思いをしたり、自分の表現したい言葉がなかなか見つかなくて苦労したり、使いたい言葉がとても古い言葉で日常会話でなかなか使えなかったり

 

とにかく自分の言葉で喋ろうとするのだが、そこにある自分の持つ文化と、日本社会が持つ文化との間での親和性というものに最近どう折り合いをつけようかと日々悶々としております。

 

着地点を見つけるには暫し時がいるようですが、

 

やはり自分の言葉と文章を大事にし、

書き続けていきたいと思う次第でありました。