「頭が良い」「優秀」
巷で見かける、とてもフワッとしている会話の一つだ。
これを、人間の優秀さを、コンピューターで考えると、結構見通しがよくなる。
例えば、凄く計算が早い人間、頭の回転が早いような人間はパソコンでいえばCPUに置き換えて考えることができる。
CPUが遅いパソコンは読み込みが遅いし、処理も遅い。
人間であれば、瞬時に状況を分析し、意見を述べたりできるようなタイプだ。
続いて記憶力の話をしよう。
記憶力は記憶する量なら、パソコンのHDの容量が大きい方が、当然記憶量が大きい。容量をオーバーするなら、当然何かを消す。人間でいえば忘却する必要がある。
次に、意思決定プロセスの話に移る。
例えば、デートで店を選ばないといけないようなシチュエーションを想像してもらいたい。
この時、「イタリアンならなんでも良い」というリクエストを処理する場合、極めて単純なコーディングになる。
しかし、世の中のデートというものは、そんな単純なリクエストは存在しない。
大抵の場合「おいしくて」「雰囲気が良くて」とかが必要になる。
ここで、更により綿密なデートを立てる場合、雨の場合どうするか、駅からどうやって向かうか、も考慮に入れるとしよう。
そうすると例えば、「駅から近いがイマイチな店」「駅から遠いが美味しい店」
雨の場合は、駅から近い方がいいだろう、ここでif構文が一つ足される。
しかし、ここで相手の好みがどうだろうか、と考えるに至る。
そして「イマイチなイタリアン」と「美味しいフレンチ」はどっちがいいのかを考えだす。そうするとまたここでifやcompareが追加されることになる。
これは少しでもプログラミングをかじった人間なら直感的にわかるはずだ。
『Aが出たら○』『Bが出たら×』のような単純なプログラミングよりも
『Aの時は赤』『Bの時は青』『Cの時は緑』など、条件や選択肢が増える度、コードの数が増える。
つまり、意思決定プロセス自体は、今度はコンピューターで言うとソフトウェアの領域になる。
そしてコードが増えすぎて、複雑になりすぎるとソフトウェアがバグを起こすように、人間も意思決定が混乱しやすくなる。
(ただし、CPUが優秀ならどんなにコードが多くても処理が早いように、コードの数をハードウェアで補うことができるのも似ている)
だから、食べログのようなサイトが脳にとっては非常にありがたい。
点数だけを見て判断すれば良いからである。
余談だが、ワクチンや選挙のようなものは、このように対立する複雑な情報を与えることによって、人間の脳にバグを起こし、意思決定を狂わせる手法を用いている。
色々考えすぎて、面倒臭くなって、最後は食べログの点数で決める人間のように、思考が複雑になると思考停止し、その後極めて単純な解答を求めるプログラムが人間の頭には存在することを、おそらく利用している。
このように脳の仕組みを理解しておくと、洗脳やマインドコントロールというのが、パソコンのプログラミングレベルで簡単にできる、ということも思いつく。
話を戻すが、「頭が良い」「優秀」というのは頭を「ハードウェア」と「ソフトウェア」というものに分けて考えると、少しは言葉に重さが見えてくる。
直感的に計算が早い、記憶力が良い人間は、生まれつきの場合が多いだろうとわかる。これはハードウェアに関わる領域だからである。
そして、訓練や手法によって後天的に計算能力を身につけているのは、ソフトウェアの方である。例えば、暗記法を作るなどがそれに当たる。
□言語能力について
この考え方でいくと、複数の言語能力がある人間はどうだろうか。
まず、一つの言語だけなら大体誰でも使えるので省力する。
ちなみにヨーロッパ人は複数の言語を扱えるのが多いとされるが、彼らは日本人がハワイで買い物をできるレベルの英語力でも、自分は喋れる、と言い張ることが多いのと、スペイン語とイタリア語などは極めて似ているため、日本語と英語が話せるようなバイリンガルと比較するのは少し異なる前提を理解する必要がある。
言語の難しいところは、ネイティブレベルで考えた場合、かなりの語彙数の完全な暗記が必要なことだ。その意味では、ハードウェアが優秀でない人間が、複数言語をネイティブレベルで操る、というのは考え難い。
ただし、それに示唆はある。要するによく使う部分だけ抑えてしまえば良い。
要領と呼ばれるやつだが、これはソフトウェアに関わる話である。
つまり複数の言語をネイティブレベルに話せるような輩はハードウェアが優秀、うまくポイントを抑えてコミュニケーションが取れるような輩はソフトウェアが優秀、ということだろう。
□大学の偏差値について
大学の偏差値についても似たようなことが言える。傾向と対策を練るのがソフトウェアの仕事だ。ソフトウェアの優秀さは如何に目的に対してスマートなコードを入力するか、ということである。
□お金儲け
お金を稼ぐ、という論点に関してはあまりハードウェアが関係ないことがわかる。スペックの高いパソコンを買っても、それだけではお金を稼げないのと同じように、人間も処理が早くて偏差値が高くても収入に必ずしも比例しない。
□音楽的才能
例えばモーツァルトは逸話から想像するに、ハードウェアが優れている。
そして直感的に脳だけでなく、耳や三半規管といった、音楽に関連する身体機能のハードウェアが優れていたのではないかと推察される。
音楽に限らず、多種多様な天才というのは、生まれ持ったものであるから、脳+何かしらの身体機能が生まれ持って優れている、ということだろう。
そしてかの音楽家よろしく、性格や人格がキテレツになるのは、性格や人格はどちらかといえば、ソフトウェアの領域だと考えるとスッキリする。
よく性格が悪いが頭は良い、というのも、ハードは良いがソフトは悪い、あるいは良いソフトウェアがマルウェア付きでインストールされているようなものだろう。
□本質的な知性について
今回のテーマで最も言いたいことは、既に限りなく人間の知性にAIやコンピューターが近づいている、という話である。
今回挙げたのは一例に過ぎないが、プログラミングをやっている人間なら誰でも、かなりの脳の機能がパソコンと類似し、脳の処理がプログラミング言語とも類似していることに気がつくはずだ。
その上で、人間もAIも共通して不明とされるのが、「入力者」の存在である。
例えば、AIはそれ自体で何かをすることはできない。人間が入力し、なんのための計算か目的を与えることで計算結果を出す。
人間の脳も同じで、例えばそれがお金儲けなのか、大学受験なのか、ある程度も目的を定め、それに対して処理を行う。
つまり、人間で言うところの自我、意識、意思、そういった脳に対して命令を与える存在がAIではまだ見つかっていない。これをAIが獲得した時に、本当の意味でコンピューターが「人工知能を獲得した」と言えるのだ。
そして、知性においてはここが最も重要になる。
それもパソコンを例にとるとわかりやすい。
最高のスペックのハードウェアに、最新のOSをインストールさせても、何もしなかったり、単なる1+1の計算をさせていては、価値に乏しい。
人間も同じで、その能力をどのような目的のために、どのように消費するのか、ということが知性にとって最も重要ではないだろうか。
そのような知性観であるがゆえに、私にとって例えば世界平和を実現できないような知性の優秀さを論じること自体が、非知性的に思えてならない。
また、全ての天才に言い聞かせたいのが
「もし天才であるのなら、今すぐに世界をより良いものに変えてみせよ」と。