「アインシュタイン神を語る」というタイトルに惹かれ手にとってみた
本の内容については割愛するが、ここでアインシュタインは「世界統一政府」「世界唯一の軍隊」の必要性について述べる。
これは政治的には極めて初歩の間違いと言える。
なぜなら、世界統一政府および軍隊を監督する機関がないと、それらが暴走した場合、つまり世界政府が暴君になった場合、止める術はないからだ。
ここではアインシュタインの真意の全てを本人と対話して引き出しているわけではないので、やや題材に取り上げるのは申し訳もないが、アインシュタインほどの知性を持っていても、これほど初歩の考え違いを犯すことに注目したい。
前回の続きから考えるが、まず、世界統一政府の難しさを理解説明するのに知識は必要としない。
アインシュタインが相対性理論を導出した思考の100万分1の思考時間で結論が出るようなものだ。すなわち、世界政府が暴走した場合どうするのか?という問いの答えが必要なことだ。
アインシュタインが初歩の過ちを犯したのは、二つの可能性が考えられる。
一つは認知のバイアスである、アインシュタインはヒトラーがユダヤ人を抹殺している中で、この発言をしている。ユダヤ人を守るためには、このシステムしかない、と感情的なものが思考を妨げていた可能性である。
(実際シオニストは世界政府を作って、その中枢をユダヤ人が握れば、自分たちに安全な世界を作れる、という思想を持っていても不思議はない)
もう一つは、前回の脳を「ハード」「ソフト」「入力」で分けて考えた場合、今回の話は「ソフトウェア」に該当する、ということだ。
例えるなら、アインシュタインは最新のエクセルを積んでいるが、それでパワーポイント的なことをしても限りがある、というイメージである。
ある特定の分野の処理に特化したソフトウェアは、その分野では強くても、一つ専門を変えると、十分に仕事を果たすことができない、という話である。
これはアインシュタインがイヴ=サンローランほど、ファッションに関しては優れておらず、反対にサンローランがアインシュタインほど、物理学に秀でてはいなかった、ということも同じ話である。
さて、今回本当に言いたいことは、仮にアインシュタインの真意がどうであっても、関係ない話であるから、アインシュタインの真意を反証されても問題はない。
すなわち、一般大衆が、アインシュタインが、世界政府が必要だ、という意見を述べたらどう思うかについてである。
ほとんどの人間が、アインシュタインが正しいと思ってしまわないだろうか。
おそらく脳内ではこのようなプロセスになるだろう
- アインシュタインは頭が良い
→
- 頭が良い人の言うことは正しい
→
- 世界政府は正しい
この安易な思考プロセスと、知識人の時に善意のある勘違いが、如何に世の中を狂わせているか。
これが起きるのは、人間が人間の知性というものをちゃんと理解していないことに起因するのではないか。
つまり、自身の思考プロセスを知り、専門家や知識人に思考を丸投げするのではなく、自分で考える頭を持たない限り、大衆は永遠に洗脳され続ける。
例えば、洗脳やマインドコントロールのテクニックとして、よく利用されていると感じるのは、「情報量」と「信頼」の因果関係である。
これは企業がCMを流すこともそうだが、人間は情報量が多い、つまりよく身近に触れるものほど、親しみを感じやすい、信じやすい、ということである。
政治家が未だに時代錯誤な選挙カーで、自分の名前や政党を連呼するのもこのためである。
これは言い換えると、CMを流すだけの資金量が多いほど、自分たちの正当性を主張しやすい、つまり「資本力」と「情報量」と「信頼」の因果関係を示している。
これは要するに、お金持ちが簡単に大衆に自分たちの主張を信じさせることができる、ということである。
ワクチンでこの話を見てみよう。ある時点でワクチン、反ワクチン両方の情報が出るが、反ワクチンの情報を締め付けワクチン肯定派の情報だけを流すとしよう。そうすると、大衆は自ずと、ワクチン肯定派を信じるようになるだろう。
これはワクチンに限らず、例えば、非常に重要な政治的な真実、科学的な発見、あらゆる益のある情報についても同じことが言える。
つまり、その情報を拡散さえさせなければ、大衆が信じることはない。
都合の悪い情報は全て潰す必要はなく、要は拡散さえさせなければ良いのだ。
これはつまり、資本家によって踊らされる大衆でいることから、自立した一市民となるためには、自身の思考プロセス、認知バイアスについてある程度理解を持たなければならない、ということである。
専門家を信じるな、自分の頭で考えろ、ということだけではある意味、不十分だ、と言っても差し支えないだろう。
「人間の頭は情報量が多い方を信じやすい、そして報道には誘導がかけられており、自分の脳はその誘導に引っかかっていないだろうか」
そのような思考ができる必要があるのである。
そしてこれは政治的には、投票行動の基本であり、政治家の資質にとっても基本であるはずが、思考もままならない政治家と選挙民ではおおよそ、まともなシステムなどできるはずもないものだ。
そのような中で、政策や日本の未来を論じていても虚しい絵空事にしか見えず、選挙もどこか茶番じみたものになってしまう。