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IT人の政治リテラシー向上を目指して

元政治家秘書、現IT起業家が主にIT起業家、エンジニア、デザイナーなどIT業界人の政治リテラシー向上を目指して、日々のニュースや政治トピックについて言及。たまに起業ネタや映画ネタなども。5分で読める1,000文字、10分2,000字を目標。

旧世界の最後の王から新世界の最初の王へ (オバマからトランプへの意味)

オバマからトランプへの変化には、単なる政権交代に限らず、内在的な意味がある。それはBrexitを始めとする、現在の全世界的の人々が抱える内在的な思考にも関連してくる。

 

まず、オバマといえば、どんな人物だろうか?黒人初の大統領。ハーバードロースクールレビューの編集長をしていた弁護士で、エリート中のエリート。失言などなく、聡明で品があり妻や子を大事にする良き家庭人でもある。

 

次にトランプ。白人家庭の不動産会社社長の息子として生まれ、若い頃からビジネスに関わり、一度数百億の借金も背負うがそこからまた巻き返し、財を築く。女性関係も派手で、その発言は過激で攻撃的、失言など意にも返さない。

 

私はこの極めて対照的な人物間における政権交替に、「理性主義」の限界を垣間見た。

 

オバマは一言で言えば、「今の社会における理想像、想定される最強のエリート」である。人々がリーダーとは「こうあって欲しい」という多くの才能を兼ね備えたスーパーマンである。

 

しかし、そんな「スーパーマン」も「ただの人」であったことが任期中にバレてしまった。「チェンジ」とは名ばかりで大きな変革はなく、国民の失望を買い、共和党に議会もそしてホワイトハウスも明け渡す結果となった。

 

これは正確に言えばオバマ自身が有能か無能かと言う話よりも、アメリカという国が、ある程度社会的枠組みが決まっていて、その中でできることは、例え大統領であっても限られているので、オバマ自身が無能だと思われてしまうことに、やや個人的には同情的でもある。それは過剰な期待であるからだ。

 

だが、逆に言えば、オバマという人間は「今の世における」最高のエリートであり、今のルール下の中でその枠組みを取っ払うことができない堅物だということも言えなくもない。「品格」や「国際的なルール」に縛られ、思い切ったことができない人物ということもできる。

 

オバマが安倍やプーチンと合わないというのは、この両者は、理性主義というものは存在しても、人間はそう誰もが理性的な生き物ではない、と捉えるタイプであって、上品な理論を建前にアメリカ主導の国際社会のルールを押し付けるオバマとウマが合わないのは当たり前である。二人からすればオバマの言は都合のいい綺麗事に聞こえるのだろうと推察する。

 

そして、しばしばルールを無視してでも国益を取るプーチンにクリミア問題やシリア問題でアメリカが遅れをとったというのも、オバマのようなルールを守る「理性主義」そのものが、そもそも通用しない時代に突入しているということを示唆している。(もちろんアメリカもオバマも裏でルールを破ることはあるだろう。ここで言うのはあくまで建前論の話でもある。)

 

そんな時に現れたのがあの破天荒なトランプである、ということが全く偶然であるはずがない。アメリカに工場を作れと企業に脅しをかけ、国境を超えてきた不法移民は強制送還させるなど、全くルールも何もあったものではない、規格外の人物だ。

 

ここで注目すべきなのは、アメリカ人のマインドそのものは全くオバマの時もトランプの時も変わっていないということである。アメリカ人が求めているのは一貫して「変革」である。主に極端に貧富の差が広がった不公正な世の中をどうにかしたいと、多くのアメリカ人が願っている。

 

だから、今のルールにおける最強の人物、オバマが「チェンジ」できない社会なら、もはやルールを破ってまで結果を出すトランプを選ぶしかない。様々な表層的な理由が異なれど、内在的に今回の選挙で起きたことはこういうことではないかと私は考える。

 

そして同様のことが全世界で起きている。クリミア、シリア問題はもちろんのこと、ヨーロッパにおいて特に深刻なのは難民問題である。

 

難民を受け入れる、という「理性主義」的な品のある綺麗事を言った挙句、大量の難民が押し寄せ、難民の中にテロリストが紛れ、難民の中に犯罪を犯すものが増え、ヨーロッパ全体が混沌とした状況に陥っている。

 

人々も、これまでは他人が、難民が可哀想という「余裕」を持てるだけの状態であったが、もはや他人を構っていることなどできない、自身の職が脅かされ、安全が脅かされているのに、国際社会とか人類愛とかで難民をこれ以上受け入れられない。乱暴な言い方をするとそうしたマインドが人々の間で蓄積しているからこそ、ヨーロッパでは極右政党が、今非常に人気がある。

 

言い換えれば、これらの動きは「他人のことなど構っていられないなりふり構わぬ時代に突入した」ことへの現れであり、Brexitもトランプもそれが表面化した出来事に過ぎないのだ。

 

秩序から混沌へ、既存のルールが壊れ、新しいルールを模索する時代。各国が帝国主義的ななりふり構わぬ動きに出れば、当然戦争のリスクも高まる。オバマとは旧世界の最後の王であり、トランプは新世界の最初の王となったわけだ。

 

私が思うにこれからの時代の混沌は、逆に日本人のような助け合いの精神がある文化が、いずれ世界の中核となるように収束していくのではないかと思う。だが、実際に日本がそうなるためには、日本人が最も固執している、「理性主義的な既存のルール」やシステムから、如何に早く脱却できるかにかかっていると思う。

 

また、日本では橋下徹がトランプのようなものだと、誰かが言っていた。ある意味、日本でも似たような現象が起きていたということだ。だが、日本は所得格差や社会問題などでは、アメリカやヨーロッパほどの深刻な混沌に陥っておらず、橋下もまた「全体の変革」ではなく、大阪という一地域の変革、それも変革というには程遠い、ある種の「合理化」を促進しただけの人物であり、今の時点では、日本人は皮膚感でアメリカで起きていることは掴めないと思われる。だが、いずれ今後日本も周回遅れでアメリカやヨーロッパのような事態が生じることは充分に有り得る。

 

それは人類の歴史において、国家が必然的に通らないといけない過程なのか、未然に防ぐことができるものなのか、それはまだわからない。ただ一つ、最初に我々が認識すべきことは理性主義の一旦の終焉により、新しい混沌とした時代が表面化してきた、ということである。

Fate zero, stay night, unlimited blade works解説

この三作品に一貫しているテーマ、「善と悪」について

 

 

※下記ネタバレを含みます。

 

 

 

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「zero」の主人公衛宮切嗣

は「正義の味方」の名の下に、誰かを活かすために他の誰かを殺し続ける。

 

そんな彼のパートナーである「セイバー」ことアーサー王は、「正しい王」で有り続けようとした結果、反乱を招き、一番大切にしていた部下や家族に裏切れられ、戦争で多くの死者を出してしまう。

 

二人に共通しているのが、「正しくあろう」とした結果、悲劇を招いてしまうこと、「善い」「正しい」と思ってしたことが自らを不幸にしてしまったこと

 

そんな二人の生き方にそれぞれ疑問を投げかけるのが言峰 綺礼とアーチャーことギルガメッシュである。

 

言峰 綺礼は他人の不幸が自身の快楽である人格破綻者であり、ギルガメッシュは自分の欲望を最大化させるために他者が存在すると考えるような王であり、二人とも「悪」と言ってよい存在であり、セイバーたちとは思想的対極にある。

 

だが、そんな二人の「悪人」の生き方を擁護するように物語は流れる。

 

最もそれが象徴的なシーンがイスカンダルとの「王問答」である。

 

イスカンダルは語る。

王とは最も強欲であるべきで、それによって民から憧れるような存在でなければならない。

そして、セイバーは王足るものを何も示せなかったただの可哀想な少女と言われるが、逆に返答に詰まる。

 

そして、衛宮切嗣とセイバーとの間でも「善悪」の議論が起こる。セイバーは戦争を、騎士道などと言う戯れ言で美化する偽善者だと衛宮切嗣に批判される。

 

そして聖杯戦争に最終的に勝利するのも、この欲望最大化タッグ、言峰 綺礼とギルガメッシュである。

 

衛宮切嗣は自分が愛していた妻、仲間、そして守ろうとしていた者全てを失い、生き残った一人の少年にだけ自身の希望を見出す。そしてセイバーは失意の中消えて行く中で「zero」の物語は終わる。

 

そして衛宮切嗣が助けた一人の少年、士郎へと物語は続く。

 

「stay nightまたはunlimited blade works」はそんな士郎の物語である。

 

切嗣の遺志を継いだ士郎もまた、「正義の味方」を目指すが、「unlimited blade works」で描かれたのは、そんな士郎が死後、英霊となして本当に「正義の味方」となり、無限に人を殺し続ける世界で、次第にそれを悔やみ、過去の自分を殺しに来るという設定で、やはり一貫して「善」と「悪」がその物語の根幹に据える。

 

結果的に両作品ともかなりハッピーエンドに近い内容にはなっていて、結局のところ最後は悪者二人(言峰 綺礼とギルガメッシュ)は士郎とセイバーによって倒される。

 

未来の士郎も無限に人を殺し続ける世界に笑顔で戻っていく。

 

ここで「人を殺す」という概念にまず触れなくてはいけない。「王であること」は「人を殺すこと」である。権力を手にするということは、誰かを活かし、誰かを殺すことの必要に迫られる。もっと言えば警察、軍隊など社会機構の中に「殺人」というものはある程度合法的に組み込まれている。

 

つまり、社会が人を抹殺するが、その社会の中で人を殺す役割を誰かが担っているから、他の人は直接その業を背負わなくても良いだけであって、士郎は誰かがやらねばならないことなら、自分がやろう、という進んで汚れ仕事をやり続けることに納得をしているのである。

 

そして、最も重要なのは「正義の味方」とは理念であって行為ではないということだ。ここで、最も分かり易い例として、自分と自分の親友が海で遭難し、掴まれる木の枝は一本しかない。どちらかしか助からないという状況にあったとしよう。

 

この場合、現代的な常識の範囲で考えた時に、自己を助けることが通常の判断であって、他人を助け自分が生き残るという方を選択するのは、自己破壊的か偽善と思われるだろう。

 

法的にもこの場合、自己を優先することが認められている。だが、自己を優先した場合、他者を犠牲にした「生」でありその行為は「悪」と呼ぶこともできる。だが、自分を犠牲にする行為も誰かを犠牲にしているという点において「悪」ともなり得る。

 

ではこの自己か他人かどちらかという究極的な選択において、どうすることが「善」であり、「正しい」のであろうか。

 

結論は「他人を犠牲にして自分が助かること」も「自分を犠牲にして誰かを助けること」も、等しく「正しく」また「悪」ともなり得る。

 

自己を助けることも、他人を助けることもどちらも解になり得る、それだけがある意味、唯一の正しさとなる。善悪とは理念であって、行為そのものはどちらにも転ぶということである。

 

そのためには、前提としての「正義の味方」つまり、人類愛、全ての人間が幸福であり、それが正しいとする社会を理念として持つ必要がある。それにより、その道中の行為が例え「悪」があったとしても、最後は「正しい」答えを導く可能性を見出すことができる。

 

父親である衛宮切嗣は、この理念を間違えていた。つまり、最初から誰かを犠牲にしないといけないというのが、「正義」であり「正義の味方」というものだ、ということから始まり、結果的に彼の行為は「悪」であり、彼の願いもまた「悪」であると、聖杯に断じられてしまった。

 

そして息子である士郎は、自分だけを犠牲にして成り立つ「正義の味方」を最初は気取るが、ヒロインであるセイバーや遠坂凛により、幸福になるべき人間や対象に自分も含まれることを次第に悟っていく。

 

だから、善意があったとしても、その行為は悪となることもあり、ではそのような中で人はどう、善悪を判断し行動すればいいのか、あるいは悪として生きることがそれほど間違ったことなのか、むしろ善だと思っている人間の行為の中にも多くの悪が潜んでいる、それを投げかけている作品である。

 

そして、もう一つ、この作品にクロスオーバーするのが「銀魂」と「24」である。

 

この2つの作品に共通するのが、どちらも「誰か」をあるいは「何か」を守ろうとする主人公たちが戦いに明け暮れ、特に24のジャック・バウアーは大切なものを次々と失う。

 

結局、これも誰かを「守る」行為は究極的には誰かを「殺す」行為として戦いに身を費やし、時には破滅していく物語であり、「守る」ということの意味を問いたださなければならないのだろうと思う。

ブロックチェーン その本質と社会的なインパクトについて

ブロックチェーンに関しては、日本では”Fintech”という言葉の中の特にビットコインとワンセットで用いられている。

 

ビットコインのイメージに関してはMtGoxの事件もあり、儲かりそうだがなんか怪しいという世間の印象であろうから、ブロックチェーンもその巻き込み事故に遭っているかもしれない。

 

まず始めにブロックチェーンは何か?を参考までにレベル分けして簡単に説明したい。

(よりブロックチェーンの仕組みに興味がある人は記末の参考書籍を参考にして欲しい)

 

理解レベル1(最低レベル)

ブロックチェーンとはビットコインの裏付けとなるセキュリティ暗号技術。

もっと噛み砕いて言えば、

「その仮想通貨は本物ですよって保証してくれる信用機関みたいなもの。」

 

理解レベル2(IT界隈レベル)

ブロックチェーンとはスクリプトカレンシー(ビットコインなどの仮想通貨の総称)のセキュリティ技術で、PtoP取引や分散台帳を可能とするもの。この“分散台帳”というのもFintechに含まれるため、ブロックチェーンと言えばフィンテックのイメージが日本ではある。ブロックチェーンにおいて、誰がセキュリティを担保してくれるかと言うと、マイナーという全世界にあるコンピューターのリソースを持つ人および機械。

※分散台帳に関しては他書籍参照。

 

理解レベル3(ITエンジニアレベル)

ブロックチェーンの方式は複数あり、スクリプトカレンシーも複数ある。マイナーは不特定多数の場合も、特定の誰かの場合もその合算も存在する。セキュリティ技術が高いため、実際はコイン以外にも電子送金、個人情報の保護や契約書などにも使うことができる。(分散台帳を含め色々な用途が期待されている)暗号技術自体はPKIという従来の技術を使用している。

 

理解レベル4(ブロックチェーンファウンダーレベル)

ブロックチェーンとビットコインを作ったサトシ・ナカモトの根本思想は”Decentralized”、すなわち、中央管理から分散管理システムへの移行を意図したもの。例えば、これまでは金融機関などが取引に介在することによって、その取引を保証してきた。しかし、こうした特定の誰かの保証が取引に存在すると、その特定の誰かに権力が集中し、社会構造がいびつになるためこの仕組みを改変するために作ったもの。その結果として“分散台帳”というようなものが具体的には出来上がる。

 

理解レベル5(システムアーキテクトレベル)

ブロックチェーンがクリアしている本質的な課題は“信用”である。

 

ご覧の用にブロックチェーンは単なるビットコインの相棒ではなく、実際は非常に深く、練られたアルゴリズムである。ちゃんと説明しようとすれば本が何冊も書けてしまうだろう。従って、今回は最後のレベル4、5のその根本思想と社会的なインパクトにだけ絞って説明したいと思う。

 

まず、ブロックチェーンの根本思想にあるのは、今の世の中を変えることにあるのは明白であるということだ。特にターゲットとしているのが人間の社会構造で歴史上克服出来なかった“権力の偏在”と“信用の保証”についてである。

 

どのような社会システムであっても、誰かに権力が集中し(社会主義でもファシズムでも、共産でも貴族制でも共和制でもそして民主主義でも)人間は機能化すると同一の機械的な意思決定構造を持つため、必ず権力は腐敗する。そのためまず、ブロックチェーンは分散型のモデルを用いて、中央集権、つまり権力を排した社会構造を作れないか、という問題提起をしている。

 

続いて重要なのは信用だ。私は以前ブログで、仮に進化したAIに資本主義の次にくるべきシステムはどうしたら実現できるだろうという問いを投げかけた場合、その解答は“互いを信頼することだ”と述べた。

 

これはあらゆる人間間の問題において相手を欺く動機が存在し、それを防ぐために我々は軍隊、法律、警察、信用保証などに多大な社会コストを払っているが、お互いが信頼できる社会においては、そうしたものが必要となくなるからだと説明した。

 

従って、ブロックチェーンによって信頼が保証されるのであれば、こうした信頼できないから払っている社会コストの大部分は排除することができる。(その意味においてブロックチェーンの思想自体はアナーキスト的なところがある。)

 

つまり、ブロックチェーンの登場の本質とは社会の変革の第一歩なのである。だが、それに気がついている者はほとんどいない。優れているのはまず思想であり、次にアルゴリズムがあり、最後にプロダクトがある。だが、巷ではプロダクトにばかり話題が及び、その本当に優れているのが「哲学」であるとの認識がされていない。

 

その一方で100%の信頼を担保できるか?という疑問が湧くが、それに対して既存のブロックチェーンシステムでは必ずしもイエスとは言えない。例えば量子コンピューターがあれば暗号システムは簡単に破られてしまう。その他にも、計算コスト、ハッキング対策、課題を挙げれば枚挙に暇がない。

 

(逆に言えば、今後ブロックチェーンが普及されば、よりネットワークや情報セキュリティに関連する仕事が増えるだろう。)

 

だが、それでブロックチェーンが無意味となるのかと言えばそうでもない。100%というものがそもそも既存の量子物理学理論的にあり得ないもので、それができないからといっても、既存のシステムよりも精度や信用が向上するなら採用する価値は充分にある。

そして、そもそもこれは社会構造変革のための一石であり、これを見て人々がどう反応するか、それこそが真に制作者が意図したところではないだろうか。

 

ブロックチェーンを使ってお金儲けをすることもできるし、社会を変えることもできる。(逆に使い方次第で今ある社会構造をより堅牢にすることもできる)自分はその設計思想とアルゴリズムだけを提供し、後は全世界の自発的な参加者に委ねる。これからの課題を克服するのは、制作者自身ではなく、全世界にいるその思想を受け継いだ挑戦者に委ねたのではないだろうか。

 

世界の変革は誰かの押しつけや、一人の英雄や救世主などでは決して達成できない。そう作った人間はおそらくわかっているのだろう。

 

<参考文献などまとめ>

ビットコイン研究所ブログなど

(インターネットでキーワード検索して読める解説から抜粋。1~から)

 

●ブロックチェーンレボリューション ダイヤモンド社

(理解レベル1~5 まで網羅された良書、主にビジネスへと用途、社会システムへの応用例と課題などが書かれている。反面、コードの記載や細かいビットコインの技術的な記載はないためビジネス書籍)

 

●ブロックチェーン 仕組みと理論 リックテレコム

(前半はブロッチェーンの説明、後半はコード実装例などがあり、ビジネス書籍よりも理解が深いため、実際にブロックチェーンに携わる人向け。理解レベル2〜3向け)

 

●マスタリングブロックチェーン NTT出版

(同じくコードが掲載されているが、やや思想よりで数学的な解説が中心。レベル2〜4向け)

 

●サトシ・ナカモト論文 

(オンラインで日本版PDF入手可能)

 

※4、5が詳しく書かれた書籍は自分が知る限り存在しない。従って本ブログで扱ってみたのだが、仮に参考書籍を挙げるとすると、貨幣論関係の本の方が良い気がする。

マルクス資本論、あるいはその入門書、●柄谷行人トランスクリティーク、●マックス・ウェーバーの職業としての政治、といった貨幣論や社会構造論の書籍を推薦する。

それらを読んで見て、もう一度ビットコインとブロックチェーンの仕組みを読むと、このアルゴリズムに隠された思想が読み解け易くなるのではないだろうか。

 

その他の参考として主に思想面を受け継いだと思われるイーサリアムプロジェクトと

https://www.ethereum.org

予測モデルというアプローチから意欲的な試みをしているAugurなどを最後に紹介しておく。

http://www.augur-japan.com

 

トランプとTPP

トランプ次期大統領が早々に表明したTPP脱退についてですが、そもそもTPPとは何か?というのを元外交官佐藤優氏の解説を紹介したいと思います。

 

「基本的に自由貿易をやるなら、FTAないしはより広範囲なEPAをやればいい。それをわざわざTPPというものを持ち出すのは、ブロック経済圏の考え方にあり、その本当の意図は中国を封じ込めることにあります。」

 

確かにその意味においては、中国は反TPPであるトランプを支持する理由はありますが、ロシアと共にトランプ支持にまわったのはトランプの唱える「孤立主義」にあります。

 

ここで何故トランプか?という疑問も交えながら解説しますが

 

元々、アメリカには「モンロー主義」という考え方があり、ヨーロッパはヨーロッパ、アメリカはアメリカで。アメリカに害を及ばさない限り、他の国は勝手にやってください、という考え方が伝統的にあります。

 

これは勿論、イギリスから独立した経緯もありますが、アメリカは元々エネルギー資源も豊富で国土も非常に広大で、人口もあります。日本のような外貨を獲得し、石油資源を買わないといけない国とは異なり、自国だけで現代風な言い方をすれば引きこもっても充分、自給自足でいい暮らしができる国なのです。

 

それが世界平和だと言い、中東に兵士を送り膨大な出費と人名が損なわれ、自由貿易だと言い、国内の市場は安い海外製品に占められ、雇用も海外に流出している、これはおかしいではないか。著しくアメリカ人の考える「モンロー主義」に反しています。

 

そのように考えるアメリカ人がトランプ支持にまわっている支持者たちです。今回トランプ支持にまわったアメリカ南部、中西部の共和党支持州は元来こういう考え方をします。日本で言えば、東京と沖縄、京都と北海道などが県民性や考え方が異なるのと同じです。

 

日本人の多くが想像する「アメリカ人」というのは、主にニューヨークやカリフォルニアに住む、移民を含むアメリカに住む「グローバルエリート」が多いのはないかと思います。彼らはインターネットを駆使し、メディアにも露出し、日本人との接点も多いです。そして、軒並み彼らは今回の選挙で言えばクリントン支持です。

 

従って、普通に日本に来るようなアメリカ人やアメリカで観光や仕事で出会うようなアメリカ人と接していると、おそらくトランプ支持者というのは殆ど会うことはないと思うので、それ以外のアメリカ人の考えていることはわからず、トランプを選ぶなんて狂気の沙汰だ、という風に考えがちなのです。

 

さて話しをTPPに戻しますが、トランプがTPPを止めると言ったことはこれからどういう影響があるでしょうか。まず本当に中国にとってプラスになるのかから日本への影響も考えてみたいと思います。

 

まず、トランプはこれから自国産業と雇用を守る、いわゆる保護貿易政策に出る可能性があります。既にそれに関連し、アメリカ企業の株価は上昇していますが、そうすると国内から安い製品を閉め出す、特に中国製品に対して高い関税をかけてくる可能性があります。

 

中国経済というのはかつての日本がそうだったように、アメリカの市場に相当依存しています。従って、中国商品がアメリカ市場から閉め出しをくらえば、来年2017年は、かなりの程度で中国経済が不況に陥ることになります。

 

これを乗り切るために、中国は市場の拡大を東南アジアに求めることになります。主に標的となるのは人口も多く、それなりに経済も成長しているタイ、ベトナムインドネシア、そしてこれから伸びるであろうと言われるミャンマーなどです。これらの地域で日本と中国は利権が対立することになります。

 

こうしたアジア圏における中国の勢力拡大は、トランプの孤立主義と合致していますが、そのトリガーとなるのがトランプの保護貿易主義です。つまり、中国にとってトランプが望ましい、というメディアの言葉はやや複雑な意味をはらんでおり

 

中国政府にとってクリントンよりもトランプの方が、中国の拡大主義にとっては都合がよく、習近平政権にとっては交渉し易い相手ではあっても、中国経済を冷え込ませ、中国の内政問題がより現出化し易いのはトランプであるため(ただ結果的にTPPが締結されれば似たようなことにはなる)比較した場合、トランプの方がマシというような支持で、ロシアのような積極的なクリントン拒否とは温度差がやや異なるのではないかと推測されます。その意味では中国とロシアはワンセットでトランプ支持という報道も、少しうがった見方も必要かもしれません。

 

そしてこうした中国の動きは当然、近隣諸国の警戒を産み、特に日本とロシアはプーチンが大統領にいる間はかなり接近すると考えられます。12月に北方四島交渉(おそらく二島返還)がなされれば、日本とロシアの距離はかつてなく縮まるでしょう。

 

一方で、中国が現在の国内における貧富の差や、内陸部の特にウイグル自治区の対応を誤るようなことになれば、大きな混乱を招き、それは世界情勢に大きな影響を与え、東南アジアにおけるパワーバランスが大きく変わる可能性があります。それは日本にとってはチャンスでもあり脅威でもありえます。

 

つまり、図らずとも、アメリカの孤立主義は中国の存在感というものを高め、来年以降、中国から全世界が、目が離せないことになると思います。

 

他の地域においてもトランプの孤立主義は影響を及ぼすことになるでしょう。

 

ただし、トランプが大統領になったからと言って、アメリカが中東から手を引く、あるいは世界の基地から撤退するというのは非常に考え難いです。それらは致命的なアメリカの権益に関わる問題だからです。(ただし致命的とは成り得ないイラクアフガニスタン地域からの撤退は条件次第で充分考えられます)中東に関してはイランが核武装化するという話しもあり、また別途考察したいと思います。

欲望関数から幸福関数へ

数式に関して

 

数式は書く側は容易いが読む側は苦痛極まりない。これは実は数式とは実際は全くユニバーサルな言語ではなく、内的な文字式よりももっと固有なものである事に気づいた。

 

例えば有名なE=mc2という公式が存在するが、これは

 

インパクトは質量と速度の自乗に比例して大きくなる”

 

という文字式で考えた方が圧倒的にわかりやすい。

更に言えば、スポーツや格闘技などをやっている人間は直ぐに実感できる。ウェイトを上げるよりも速度を上げた方が破壊力が増す。これは特に空手やボクシングのパンチの例が分かり易い。

 

そしてこの式で疑問に思わないといけないのは一点で、何故質量は整数なのに、速度は指数なのか、ということだ。これは速度は加速度の意味で、加速には再帰性が伴うからだが、何故c2微分すると2cになるかはニュートンライプニッツにでも聞かないとわからないらしい。(と、東大の教授もおっしゃってたのでこうなるものだでとりあえずよしとしよう)

 

同じように複雑と言われるナヴィエ=ストーク式や波動方程式の解説も、実際は本質的な意味合いから文字式で説明し、最後のアウトプットして数式はこうなると、という説明をした方が理解がいいような気がするが全くそういう書籍に出会った試しがない。大体の書籍はつらつらと数式が永遠と続いて、その記号までもがユニバーサル的に統一されている。が、実際は記号はどうでもよくて、本質的に考えたらこういう変数が必要でこう変化させたらこうなるよね、という理解を共通化させることの方が数学教育において明らかに重要ではないだろうか。

 

という前置きがあって本題だが

 

日本を含めた資本主義国の一つの大きな問題点として、欲望の最大化=幸福の最大化という誤解が無意識に内在していることである。

 

この傾向は同じ資本主義の中でも無宗教な日本が特に傾向が強く、ザックリと日本人の頭の中を関数で表現すると以下のようになる。

 

・欲望関数

(都市部)

 

“欲望(幸福)は金額に比例し、消費に依存する”

Gc(m)=pm3+(C+s+hr)m2+hm+ph

 

(田舎)

 

“欲望(幸福)はお金は必須だが特に人間関係に依存し、哲学は邪魔になる”

Gl(m)=m(C+s+h+p+hr2)-ph

 

(各変数の説明)

C=t+g+e+l(C=消費;旅行+グルメ+エンタメ+余暇)

Gc=都市

p=権力・名誉

m=お金

s=愛欲

h=健康

hr=人間関係(離婚含む)

ph=哲学(人間性、生き方など含む)

Gl=田舎

 

(数式解説)

都市部の場合、基本的にお金が高い乗数効果を持ち、消費の効用や健康、人間関係といった問題も概ねお金によって解決される。お金があればより楽しい旅行、より美味しい食べ物が食べれて私ハッピーという構図だ。僅かな生き方的な哲学は一回微分すると消える。

これが田舎になると、やや異なる。お金は必要だが、物価の関係でまずお金がそれほど高い乗数効果を持たない。むしろ、顔の見える付き合いから人間関係の要素が指数関数になる。哲学はむしろ、異端としてマイナス視される。

 

ちなみに自分が経験的に考える幸福関数は以下である。

 

“幸福は健康、愛情、お金が必要だが、生き方や哲学で決まる”

H(ph)=ph(H+L+M)(ph+1)+ph2

(各変数の説明)

ph=哲学

H=健康

L=愛情

M=お金

 

(数式解説)

上記との相違を説明する。健康が重要なのは変わらないが、お金がなくても知識があればある程度健康を保つことができると考える。お金が重要なことも変わらないが、お金の使い道を考えられる哲学、頭があって初めてお金に価値が産まれる。従って消費関数を含まない。愛欲ではなく愛情を幸福とする。Lは100乗くらいしてもいい可能性も含む。何はなくとも、自分は全力で幸せだとする意志があればある程度幸せになれる。哲学は二階の微分に耐えられる。逆に自分が幸福だと全く思わない、感謝のない人間は幾ら他の三項目が優れていても高い幸福値を示さない。お金や権力が幾らあっても幸福でない、という大富豪たちの気持ちを代弁。

 

以上の式は原型なのでこれから修正作業を必要とするが、大体の説明には足りるのではないだろうか。ここから研究としてやるべきことは、数式の精緻化、また何故日本の社会が欲望関数を持つ様になったかの研究および文字式が数式よりも人間が理解しやすい研究。

 

そして、実務としてしなければならないのは、日本社会に蔓延する欲望関数=幸福関数という無意識的な刷り込みを変えること。これは日本のテレビや新聞を目にすると、そうしたアルゴリズムが無意識下にインストールされてしまう。(こういうものが正しい、というのが欲望関数を基にしているためあらゆる情報がそれを元に構築されている。)

裏を返せばマスに乗ってくる情報の質が変わればこれはある程度変化させることができる。

 

欲望関数から幸福関数へのアルゴリズムの転換。行政、教育を変える必要がある。それは容易ではない。まずは、民間で幸福関数を採用した事業家やアーティスト、クリエイターが欲望関数を採用している人物よりも高い成果とパフォーマンスを発揮する必要がある。次にそれを可視化する必要がある。

 

現状、日本で唯一これを行っている会社はスパイバー株式会社一社だと思われる。よく、日本のベンチャー業界はスパイバーを単なる大規模な資金調達に成功した優良ベンチャー企業だと勘違いしているが、それは全く本質ではない。あの会社は従来型のアルゴリズムから脱却した、日本では現状、世界にパラダイムシフトを起こせる未来型の真のベンチャー企業であると思う。

ナレッジの時代とその次の時代

現代社会において最も重要なものは情報、ナレッジと言える。

 

あらゆる分野において、「勝者」となるか否かというのはナレッジによって決まる。にも関わらず、人々はそれを余り掘り下げようとしない。

 

理由は幾つか存在する。

①(ナレッジを)獲得する時間がない

②必要性あるいは重要性に気がつかない

③情報量が膨大過ぎて処理できない

④わかっているが行動しない

 

例えば、多くの人間がお金持ちになりたいと思っているが、世の中にお金持ちは多くはない。それは社会構造にもよるが、どこに行って何をすればそれが得られるか(しかも合法的に)それがわかっていれば実行するが、多くの人間はわかっていないからである。(あるいはわかっていても行動しないこともあるかもしれない)

 

現代社会というのは、ある意味、この情報格差、マッチングの不成立によって成り立っている。あらゆる情報が集約され、自身の願う指向性(何かが欲しい、何かを望む)事が全て最適化されていくのであれば、今の世の中というものは維持し得なくなる。

 

これを人工知能によって解決することは可能であろうか

 

まず、よく言われる記憶のチップを脳内に埋め込む場合を考えてみる。これは実際はただの記憶装置を外部か内部に持つかだけの話しで、広辞苑を購入して読むことと本質的には変わらない。ただ、参照の速度が秒からミリ秒以下に変わるだけである。

 

だが、逆にこれを思考できるコンピューターに処理させたらどうだろうか。例えば自分は金持ちに成りたいとする。そして、そこに膨大な株式投資に関わる情報を入力する。そして、確実に儲かるアルゴリズムを組んだとする。この場合起こりえるのは、そういうコンピューターは秘匿されなければ、誰もが同じ行動を取るため、結局は儲からなくなる、というジレンマに陥るだろう。

 

つまり、人工知能によって、ナレッジ・デバイドが埋まる、あるいは標準化されて誰もが同じ情報を入手できるようになるとき、ナレッジの差やマッチングの不具合を利用した現在の社会の仕組みは、維持できなくなるのである。

 

そもそも思考できるコンピューターが産まれれば、人々の仕事の大半コンピューターが担ってくれる。その世界は一見、誰もが働かなくても暮らせるユートピアに見えるが、富の資源配分というものは如何にして行われるというのであろうか。

 

現代であればそれは資本力で、例えば所有する土地のサイズを決めているが、誰もが労働しない社会では、資本力でそれを決定することはできない。人間性だろうか?美しさであろうか?いずれにせよ、そう簡単な問題でないことは間違いないだろう。

 

その時代にはナレッジというものが今程の意味を持たないだろう。全てのナレッジは共有化され、その情報の最適化もなされることになる。例えばどこに一番美味しいレストランがあるか、どこに行けば最も欲しいものが安く手に入るか、それが国境を越え、正確にわかるようになる。それだけなら、ある程度の正確さは犠牲にして現代でも実現しているが、今自分が取るべき最適な行動、自分の目的のために、あるいは欲するものが最適化されるようにもなる。(そこから行動および実現するかは今回は議論から省く)

 

これは裏を返せば、本当に優れた正確なマッチングシステムというものは、世の中を破壊しうる力を持つということである。

 

ナレッジが力とならない世界というのは、教育の分野で言えば、英語やプログラミング教育といった、今の時代で求められているようなスキルが必要ない世界とも言い換えることができる。同様に、医者、弁護士、会計士といった知識を生業としているような職業も今の形では維持できなくなるだろう。

 

そのような時代において、先ほども述べたが、何を持って資源の配分をするのか、まずそれが根本的な問題となるが、我々は次世代の人間に何を教えればよいのだろうか。それは親として、教師として、あるいは祖先として。個人に対しても社会に対しても。(教育ですら、標準化・最適化・機械化されているのかもしれないが)

 

労働しない時代においてよくSFなどでみられるのが、音楽や芸術にのみ没頭する人間が全く労働しないで趣味だけに人生を費やせる世界である。(だが現実は人は適度なストレスを求めて労働をしたがるような社会も描かれる時もある)

 

そういう時代に適した幸福の在り方であろうか、逆に原始時代のようなサバイバル能力を人間の本能に従って追究するのか。それとも、未開の宇宙や深海に注意が向けられるのだろうか。

 

あるいは、労働しない社会においては、差別化された個性のようなものは、より社会を乱す性質として抹殺され、全てが標準化されてしまうのだろうか。

 

もう一つ、未来に関して考えることとして、もし人間が人間の遺伝子の複製なしに、人間を一から作れたとしたら

 

現在の人間は宗教で言うとキリストの「原罪」、祖先で言えばカニバリズムの伝統など、あらゆるものが遺伝子に組み込まれている。そして、それらが、暴力や犯罪を呼び起こすとするのであれば

 

「原罪」のない人間だけをビーカーの中から作り出し、新しい人類社会の住人に据える、という考え方がでてきてもそれほど不思議ではない(この辺は漫画、風の谷のナウシカでも描かれている)

 

上記に述べたことは現在的の価値観にしてみれば非常にグロテスクに感じるだろうが、未来の時代の価値観は今とは全く異なるから、例えば映画マトリックスで描かれた人間電池も、未来人にとってはそれがグロテスクなものとはならないかもしれない。(例えば今の我々の文化も昔の人からみれば随分グロテスクに間違いないだろうし)

 

いずれにせよ、人工知能によって社会が変化する時代になるのであれば、我々が次にしなければならないのは「社会のデザイン」である。そしてそれは合議によって、民主主義的になされることはないだろう。テクノロジーに理解のある人間、文系理系問わず優れた総合知を持つ世界的な一部のエリートによってなされるのか、あるいはそのプロセスすら人工知能に委ねられることになるのかはわからないが、そのいずれかに近い形にはなるだろう。

 

ナレッジ・デバイドがあるまま、テクノロジーによって突如としてナレッジ・デバイドのない世界に世界の人々は投げ込まれるかもしれない。

モナドから量子の海へ

レイ・カーツワイルの言う「シンギュラリティ」の最終ステージとされる、人間の知性が光速を越え(あるいは亜光速であっても)この宇宙を埋め尽くす、という箇所に言及したい。

 

仮に知的生命体にそうしたことが可能であるのなら、なぜ我々の住む地球に、もっと文明の進んだ知的生命体が到達できないのか?という疑問が沸く。

 

考えられる選択肢としては

①それは不可能である

②既に到達しているが今の人類にはわからない

③宇宙は広過ぎるので、たまたまこれまでのところ巡り会っていない

④なんらかの法則により巡り会っていない。

(自分は人間以外に知的生命体が宇宙に存在しない、という説を全く信じていない)

 

それぞれの選択肢を掘り下げることができるが、私が常に思うのは、人間が生身の肉体のまま宇宙空間にでることの無意味さである。

 

宇宙は肉体にとってリスクの塊でしかない、酸素が存在せず、極寒の有害な宇宙線が降り注ぐ中において、肉体はあまりにも脆い。

 

機械の方がまだ可能性はあるだろう。人間の脳の情報を電子頭脳にアップロードし、機械の体が宇宙を旅する方がおそらくもっと楽に遠くに行けるかもしれないが、所詮はエネルギーが尽きた時に機械は停止する。

 

だが、その一方で、光やあるいは電子はどうだろうか。既に人類は人工衛星を打ち上げ、そこから様々な情報を宇宙から受け取っている。光や電子は時間はかかっても、数光年を超えて旅ができることが既にわかっている。

 

仮に人間の情報を電子脳にアップロードし、それを遥か遠い惑星にある送信し、そこに同じような電子脳を設置して受信する方が、生物や機械が物理的な旅行をするよりは、よほど遠くへ行くことができるだろう。

 

つまりここでは②と④の可能性について言及している。

 

人間の最小単位はなんであろうか?実は未だにそれはわかっていない。実際は万物は素粒子なのか「紐」なのか、あるいは便宜上の概念としてライプニッツが言うところの「モナド」のような共通なもので、すべてのものに本当の意味で境界は存在するのだろうか。

 

しかし、人間の情報を電子に変換して送信できるとして、それは送信する途中にブラックホールや惑星があれば、その重力に引かれてそこに落ち、その電子はどう変位していくのであろうか。あるいは宇宙を旅する途中で宇宙線で電子が変異するのではないだろうか。

 

そして人間の情報を全て電子化して送信したとしても、全く同じ情報を送信する、ということはそもそもにおいて時間のズレが発生し得るため、不可能ではないだろうか。(つまり人間の電子脳化による再生産も、時間的な制限を突破する、つまり光速の壁を破らない限り、一度死んで限りなく自分に近い自分とは異なるゴーストが電脳上に存在するだけで、同一の意識は存在できない)

 

自分の1つの仮説に人間は死後、「量子化」される、という仮説がある。この説によれば、人々が「霊魂」と呼ぶもののことをある程度科学的に説明が可能だと思ってはいる。(今回は直感的な表現だけに留める)

 

なぜここで量子化仮説を持ち出しかと言えば、物質の最小単位が共通であるなら、人間は死後、あるいは生前も常に万物の中に溶け込んでいるとも言えるからだ。あるいは、「モナド」のように属性を持つのであれば、生前も死後も人々は「モナド」による属性を持つことで方向性を持つ事になる。

 

そして、人々が死後も量子化され、宇宙の海に溶け出すことが確信できれば、わざわざ知的生命体は、自らの情報を送信し、他の惑星で機械の体に、電脳の海に、自らを投げ出す必要性を感じないはずである。

そして、人間が量子化した際に、量子が肉体から持ち去るものは、「記憶」の電子情報ではなく、おそらく最も根源的な何らかの質をもった嗜好性のあるモナド的なものである。

 

量子化した人間にとっては、時間とはさしたる問題ではない。100万光年あろうが、機械の体を得られるような文明にとって、寿命などさしたる問題でもなく、むしろ長く肉体を持って生きるよりも、死を選ぶことを望むだろう。またエネルギー効率や、電子化して宇宙線ブラックホールのただよう宇宙空間に放り出すよりも、量子化した方が安全でもあるからだ。(量子化は電子化とは違うため、電子のような情報は保存できない代わりに、電子のような毀損をすることがないようなものと仮定している。)

 

以上のことが起きれば、光速を超えて宇宙を満たす、という必要性がそもそも起きなくなる。つまり、我々よりも優れた知的生命体はその可能性を選択している可能性がある、ということを示唆するに留めたい。

 

もう1つ、人間の意識について最近は随分と多くのことがわかってきていて、カーツワイルの言うように、人間の脳をリバースエンジニアリングして人工知能を作ることなく、どのようなものか明らかになってきている。

 

特に自分が「意識」に関して注目しているのが2つの性質である。

①分離不能性

②同時不存在性

 

①分離不能性

基本的に物質は分解できる。しかし、意識は決して分解して存在することができない。例えば小脳と大脳といったある一定の脳のパーツが揃った時に意識は発生すると仮定して、大脳を失えば意識はなくなる。これは車というものが分解して、エンジンとタイアになることはできても、「車」という存在ではなくなることと同じである。(もちろん、エアコンだけのない車は、車としての機能は果たしていることになるため、意識で言えば、「ある」状態になる。つまり、発生した後の人間の脳内における意識は強い、弱いという離散的よりも相対的・連続的なものであると考える方が自然である。ただし、意識が0の状態から発生する状態に移る状態は離散的か連続的かは議論の余地がある)

 

②同時不存在性

意識は二カ所に同時に存在することはできない。人は寝ている時に意識を失うことはあっても、例えばフランスと日本に同時に自分という意識は存在することはできない。なぜなら、上記のように意識は分割して存在し得ないものだからだ。(ただし、意識を離散的なものではなく、連続的なものだとすると、同時不存在性は、分離不能性の性質よりも、先ほど述べたような時間のズレ、相対性理論量子論からの方から導くのが正しいかもしれない)

 

これを工学的な世界、例えばロボットにおいてどのようなことになるのか、という話しに拡張すると

 

例えば無数のロボットを作成し、それらを人工知能によって動かそうとした場合、各個体にそれぞれ意識を持った人工知能を搭載しないといけない、ということだ。つまり、1つの意識を持った人工知能で無数のロボットを同時に動かすクラウドタイプの運用はできない。もしくは、意識の弱い人工知能、つまり今あるロボットによるしかないのだ。

 

人工知能研究の最大の課題である意識研究が一段落したところで、最近少し興味を持ったのが、脳のリバースエンジニアリングの成否よりもむしろそこから産まれるであろう副産物である。

 

その「脳のポテンシャル」と呼べるようなもの。例えば、人間の「目」の視力はアフリカなどでは、2.0を超える視力の人々がいるが、この現代化社会された日本ではまずそんな人間はいない。

 

これは、現代人の生活が、極度に近視化しており、遠くを見る必要性がないため、肉体がそう変化したからである。だが、実際の人間の肉体は2.0を超えることはできる。

 

同じ事が当然脳にも言える。例えば脳の機能に電磁波を感知できるものが備わっているとしよう。これだけ電波の飛び交う中でそのような機能がアクティブになっていれば、普通の人間は発狂するだろう。だからオフになっているのかもしれない。そうした脳の持っている本来の機能、眠っている役割というものを掘り出すことが、興味深いと考えている。全く新しいセンサー、テレパシーの解明。外部機能の作成よりも、それにより人間のポテンシャルを引き出すことの方に興味がある。

 

最後に、脳のリバースエンジニアリングがもし本当に可能であれば、人間が行っている殆どの仕事はロボットに置き換えることができる。

 

私は、世間で言われる、単純作業は機械が得意で、いわゆるセラピストのような、ソーシャルコミュニケーションの分野は人間の方が得意、という風には思っていない。脳のリバースエンジニアリングが成功すれば、バイアスや自己利益概念の少ない機械の方がソーシャルな領域にも優れたパフォーマンスを発揮できると考えている。それは、クリエイターの領域、音楽、芸術、文学も同様である。もっと言えば、人間の固有のものと思われる「快楽」や「幸福」の感受ですら、機械によって代用することができる。

 

そうすると残されたものは、人間に残っているものは何か。それは1つは人間同士の関係性。それだけが残されて肥大化した社会はグロテスクにならないだろうか。

 

人工知能による社会構造変化の議論はいつ巻き起こるのだろうか。