最後の10台予測は2030-2050年に実現できるかわからない、未来の話をします。
少し精緻に欠くところもところどころあるかと思いますが、何らかのイメージを呼び起こすつもりで読んでいただけると幸いです。
未来には世界が一変すると予想します。
それを「第4の時代」と呼ぶことにします。
その前に、第1、第2、第3の時代とはどのようなものか簡単に説明していきます。
それぞれの時代に中心となる概念、ヒエラルキーが存在します。
□第1の時代「祭司、神官、王の時代」
第1の時代の特徴は、神概念が強く、祭司や神官、そして巫女といったシャーマンのような存在が中心となる時代です。
日本では巫女といえば「卑弥呼」や「壱与」のような人物を想像していただけるとわかりやすいと思います。
この時代の特徴は、スピリチュアル的な能力を持つ者を王、あるいは重要な人物として位置付けることです。
神を非常に重視するため、神と関わる祭司や神官が重んじられます。
特に重要なのは巫女の役割でしょう。
例えば、いつ米を巻けば豊作になるか、どのように戦争をすれば勝てるかなど、判断の材料を与えることです。
科学がない時代ですから、巫女が神託としてそれを告げ、その精度が、その部族の繁栄や生き死にを左右することになると考えられていたと思います。
従って、如何に優秀な巫女やシャーマンを持つか、ということが非常に重視される時代であったと思います。
日本では卑弥呼や壱与が代表的ですが、シャーマン的なエピソードは世界中の文献にあります。最も代表的なものが旧約聖書です。中では預言者という存在が非常に重要視されています。
他にもアステカやマヤなどのラテンアメリカ、ギリシャローマ、中国、エジプトなど
全世界の古代文明には霊的な儀式や神話などとにかく、神にまつわること、神との関わりという内容が多くみられます。
文献を読むと、戦争そのものも生贄のためにとか、神に言われてとか、現代人では理解できないような理由が散見しています。
神や霊という概念が比較的日常で、近い世界観を持っている時代とも言えます。
従ってこの時代の王、一族をまとめる者の条件としても
ある程度そうしたスピリチュアル的な理解を求められていたと推察されます。
王という概念そのものに、神聖が付与されている感がエジプトのファラオなどもあります。
地域によって誤差はありますが
おおよそ紀元前数百年前くらいまでがこの第1の時代の世界観です。
□第2の時代「戦士の時代」
神代、シャーマンの時代が終わりを告げるのは、ギリシャ・ローマ時代に入ってからです。
この時代になると、神話は宗教に変わり、宗教はより世俗的になります。
預言者やシャーマンのような存在は、むしろ怪しい存在として魔女狩りなども始まります。
そして更に時代が進むと、モンゴル帝国に代表されるような騎馬民族、武力を持つ者が猛威を振るった時代です。
わかりやすく、強い者が勝つという時代で、全世界が戦争に荒れ狂った時代とも言えます。
もちろん第1の時代にも武勇に優れた王、戦士は数多く存在していましたし、戦争はありました。しかし、世界観が変わり、戦争はより世俗的になります。
昔ほどシャーマン的な要素が重視されなくなった結果
王としても武力や、荒くれ者たちをまとめられるカリスマ性などが求められるようになり
結果として、「祭祀としての王」よりも「戦士としての王」が重視されるようになります。
この時代の王と言えば、先に挙げたモンゴル帝国のハーンほか、フン族のアッティラ、オスマン帝国のメフメド、十字軍のカール大帝など武勇に名高い王や侵略王が多く見られます。
日本でも戦国武将や源氏、平氏といった武家が力を持っていた時代に入ります。
一方で全てが急に切り替わるわけではありません。
例えば、ローマのコンスル、カエサルは名門ユリウス氏族の出です。ユリウス氏族と言えば、ローマ建国のアエネアスの子孫とされますが、ユピテルの神官の一族でもあります。
つまり、名門=神官の家というものがこの頃のローマの文化にはあったわけです。
ですが、カエサルで有名なのは「来た、見た、勝った」などガリア戦記でゲルマン民族を制圧したことの方が有名だと思います。
神官の一族として生まれ、戦士として名を馳せたのがカエサルということです。
それは歴史が第2の時代に突入していたからでしょう。
カエサルはちょうど紀元前100年辺りの人物であり、ちょうど神官の時代から戦士の時代に移行する変わり目の代表人物と言えます。
そして戦士の時代はおよそ19世紀半ば頃まで続きます。
□第3の時代「資本家、商人の時代」
第2の時代の背景に騎兵、騎弓兵を支える鎧、鞍という技術があったように
第1の時代の背景にも、蒸気機関や航海技術といったテクノロジーにより時代が変わったという面は存在します。
この時代、テクノロジーの進化の結果、兵器はどんどん近代化し、銃は訓練を受けていないものでも扱えるようになりました。
相対的に個人の武力よりもむしろ、兵器を生産するための資金こそが生命線になっていきます。
それにより戦争の目的も極端に世俗化しています。
次に世界の中心となった人々は資本家であり、商人です。
特に決定的な契機となったのは、1815年、ナポレオンがワーテルローの戦いで敗れ
それに賭けて大儲けをしたロスチャイルド家の台頭です。
もちろん戦争の天才と呼ばれたナポレオンが敗れたことも、時代の変わり目と無関係ではないでしょう。
この時に大きく、戦士の時代から資本家の時代に大きく転換したと言えます。
歴史を振り返っても、現代ほどお金、資本家が重視されたことはありません。
日本でも江戸時代では「士農工商」などと呼ばれ、商人は一番下の階級とされていました。
それが今や、商人、資本家こそが頂点であり
金融が世界の中心となり、資本主義となり今日に至ります。
また、第3の時代で大きく変わったことは
血族というものの重要さが、資本主義だけではなく、民主主義の発展と共に失われたことです。
神官の時代にはそもそもシャーマンとしての才能が大きく血統に依存し、だからこそ血統が重視されていたと推察されます。
そして、戦士の時代には部族をまとめる権威とし、王や将軍の血族が重んじられていたと言えます。
しかし、資本家の時代に変わり、それが一変します。
それまでの血統はどうあれ、お金さえあれば社会の中心に立てるという世界観に変わりました。また、血統の王ではなく、統治者が選挙で選ばれるようになり、これまでのような血統重視、血統による支配、というのは、世界のスタンダードからは大きく外れることになりました。
第2の時代で神という概念が大きく後退したことが大きな時代の変化だとすると
第3の時代は血統という概念が大きく後退したことが大きな時代の変化になります。
そして第4の時代は、これまでの概念が根底から覆る変化が起きる時代です。
□それぞれの時代
第4の時代の話に入る前に、各時代にどれだけ世界観が異なるのかを見ていきましょう。
第1の時代は「神官」が重視されました
第2の時代は「戦士」が重視されました
第3の時代は「資本家」が重視されました。
つまり、第1の時代においてはシャーマン的な能力が評価され、第2の時代は強さが評価され、第3の時代は資金の量が重視されるわけです。
資本主義における現代人、特に日本人は、無意識にお金を持っている人を尊敬する人も多いかもしれませんが
第2の時代では、「お金は持っている人間から奪えばば良い」という世界観なので
現代のような拝金主義感は薄いと思われます。
第1の時代においては、そもそも神が重視され、聖書にあるようにお金の扱い自体がそもそも不浄とするような地域もありました。
いまの時代においては、「ウォール街に就職する」「金融マンになる」というのは
社会的な地位が高く、一部の人の憧れかもしれませんが
他の時代でそのようなことを言ったら、差別的な扱いを受ける可能性すらあるわけです。
他にも例えば、いまの時代において、神を見たとか、神託を受けたなどと言うと
少し世の中からズレた人のように思われるでしょうが
第1の時代の人の感覚からすると
おそらく、「神をわからない人間なんて存在するのか」といった具合ではないでしょうか
それほど、一つの時代が変わると、世界観が変化するのです。
かつては評価されなかった人々が、時代が変われば世の中の頂点に立ち
かつては権勢を振るっていた者たちが、時代が変わると困窮する
これは日本で言えば、明治維新で武士が困窮し、「士族の商法」などと言われたエピソードなどが分かりやすいのではないでしょうか
しかし、重視されること、評価の基準は異なれ
何らかの基準でヒエラルキーが決まっていたのがこれまでの時代でした。
それが一変するのが、第4の時代です。
□第4の時代
第4の時代が劇的に変わるのは、これまでのようなヒエラルキーが消失することです。
第4の時代とは、それぞれがそれぞれの領域で才能を発揮し、それを持って平等となり
これまでのようなヒエラルキーが消失する世界になります。
ある意味、中心が存在しない世界です。
すなわち
神官の能力が強い人はそれを発揮し
戦士の適性が強い人はそれを活かし
商売の才能がある人はそれを活用する
それぞれ社会に貢献し、それぞれに優劣をつけない世界観です。
それは例えば、タイガー・ウッズとマイケル・ジョーダンのどちらが優れているのか?
ということを議論するのが如何にナンセンスなことか、という話に似ています
(お互いの総年収を比較してお金の尺度だけで優劣をつけることは可能かもしれませんが、極めてナンセンスでしょう)
なぜそのような時代になるのでしょうか?
既にスポーツの世界では、生まれた瞬間にどの競技に適性があるのかわかるようになっています。それが遺伝子検査などにより、ビジネスや他の領域における適性がわかるような時代になるのもそう遠くはないと考えてもそれほど不思議ではないです。
AIによる圧力もあります。
人がAIに負けない仕事をするに際し、最低限自分の得意なことで仕事をせずに勝ち目があるのか、という視点です。
また、これまでのような仕事の大半をAIやロボットが担うことで、社会構造そのものに大きな変革が生じる可能性ももちろんあります。
あとは商人の時代に武力の価値が下がってきたように、お金の価値自体が下がってきているのもあります。
□貴族制度は時代の変わり目
なぜ貴族制度が時代の一つに入らないのでしょうか?
それは貴族制度とは、古い時代が新しい時代に切り替わる前に生じるほころびだからです。
それは言葉を変えると、既得権者たちのことを指します。
それらは時代の変わり目に、以前のシステムの中で富を蓄えている人々です。
自身は新しい時代に適応していないが、古いシステムの中で、先祖が適応していた人々です。
日本では、平安時代の貴族が武家社会に取って代わられたのが、イメージがつきやすいと思います。西洋では中世の封建社会に当たります。
つまり、貴族や既得権が生じていること自体が、そもそも時代の変わり目と言えるのです。
時代の求める才能を発揮することなしに、必要以上に利益を得ることは、当然他の人々からの反感を買いますし、そもそも弱い存在です(武力を求める時代にそれがないなど)
現代は、特に資本家と官僚機構が世界的に既得権となっていると言えます。
エリート、グローバルエリートというのは言葉を変えた貴族制度であり
それに盲従する人々は、言葉は付与されなくても、本質的に奴隷と変わらないでしょう。
またエリートとは本質的には官僚機構であり、それはAIによって最も地位が奪われそうな機能ですがいまだにその事実に直視できていないように思えます。
大きな時代のニーズに対応できない既得権の登場、という観点からも第3の時代の末期感を見出すこともできます。
□第4の時代を生きる
第4の時代を生き抜くには、一人一人の個性を最大化させることになると思います。
ポジティブな言い方をすれば
好きなものができない時代から
好きなものしか通用しない時代に
なるでしょう。
既に他には真似できないことでお金を稼いでいる人々は、時代に先行していると言えます。
例えば大谷翔平のような選手は、野球の世界でも唯一無二感があります。
第2の時代の終わりに多くの者が商人、資本家を必要としたように
既に資本家は多くの個性的な人々の才能を必要としています。
また、第4の時代はもっと人為的に起きる可能性もあります。
これまでの3つの時代は人間が選んでそうしてきたというよりは、流れのようなものに人が巻き込まれてきたと言えます。
しかし今回に関しては、どこかでこういうシステムにする、という意思決定が入るので、資本主義以上により人為的なシステムになる可能性があります。
ただし、人為的といえば人為的ですが、いま世界で構想されている、世界政府的な仕組みは全く第4の時代とは異なるものです。
いま構想されているものは、貴族奴隷制度の焼き増しです。
どちらかといえば、第3の時代が末期になり、既得権による貴族制度がより強くなろうとしている現象で、資本家が頂点にいるシステムという点でも、第3の時代のままのものです。
□むすびに
ただし、これまでの歴史を見ていると、一つの時代はおおよそ2000年程度の寿命を持っています。第1の時代は紀元前、第2の時代は1851年まで、とすると始まったばかりの第3の時代はもう1800年くらいは続きそうです。
ですが既に、資本主義は大きな問題を抱え、テクノロジーの進化は凄まじいものがあり
もしかしたらそう遠くない将来に、第4の時代に突入する可能性があります。
ナポレオンが劇的に敗れ一つの時代が終わったように、巨大な金融危機のようなものが起きて劇的に変わるかもしれません。
あるいは、第2の時代のはじまりにカエサルがいたように
時代とはある一点を持って急に変わるのではなく
少しずつ、片鱗を見せ、遷移していくものだと思います。
それが僅かな片鱗なのか、急速に時代が変わるのか2030年-2050年という時代の中で
どこまでそれが現れるのかは正直未知数なところではあります。