使命の切り口を持つと、様々な社会の歪み、混乱が見えてきます。
本来は企業は使命的、社会の公器としてあるのが理想とする形です。
これが今の多くの日本の大企業のように「存続することが目的」となり、使命を忘れてしまった場合、それが社会にどれほどマイナスのインパクト与えているのでしょうか。
現状の多くの大企業は「存続することが目的」になってしまっています。
中小企業にもそのような企業は多くありますが、大企業の場合は、資本規模が大きいため、社会に与える被害は甚大です。
まず、存続が目的になっている大企業は自身の規模の経済が活かせるところで、収益をあげようとします。同時により儲かる事業へとピボット、移動を開始しします。
そのためにROIなどの指標が使われます。そして、最も収益の上がる業界が金融だとわかり、こぞって金融、投資を始めます。
株主に対して増収増益を約束する必要があることが、上場している大企業にはこの現象が輪を掛けて起きます。
上場するまでは違う事業をしていたのに、上場した後は金融事業や投資事業を始める企業が多いのは、こうした理屈です。
まず、資本規模が大きい会社が存続するためだけに、利益率が高いところばかりにお金を注ぎ込んだらどうなるでしょうか。
投資に対してリターンが上がれば良いので、そのお金が必ずしも社会の役にたつか、本質的な役に立つかなどの視点は失われます。
つまり、本来は社会をより良い方向に使うべくお金がこうして何兆円という規模で湯水のように無駄になっていくのです。
そして、そうしたお金で企業は利益を増やし、人を雇用します。
しかし、存続することが目的の企業は、使命的な人よりも奴隷的な人を必要とします。
会社を存続させる、儲かるための仕事をする人が出世する、ということになるのです。しかもこの儲かるが、事業立ち上げではなく、「ただ儲かる」ということになるので、多くの企業はM&Aなどに走ります。(大企業で社内ベンチャーが育たないのはこうした理由もあります)
後はそうした儲かるを支える実務部隊、バックオフィスがいればいいので、企業はこうして奴隷量産体制となり、どんどんいびつになって行くのです。
日本の社会の風潮で「仕事は大変」「社会人は辛い」などは概ねこうした存続すうることだけの大企業が、広告を打ち、メディアに露出しているからも理由の一旦です。
そして存続する、儲かることだけが目的の企業は奴隷だけがいればよく、「パワハラ」「セクハラ」と言った一人一人の尊厳を無視した行為を平気で行い、あたかもそれが社会人として当たり前のようなことを言ってのけるのです。
そして今の「お金を持ち、多く納税している人が偉い」とする日本の社会システムにおいては
前回のブログ参照
http://itseiji.hatenablog.com/entry/2019/11/07/222004
お金を持っている人が発言権を持ちます。ですからそうした大企業のトップとそれに群がる人々が、名士のように扱われ、さも言っていることが正しいかのように扱われ、情報が拡散されていくのです。
しかし、お金を儲けることが目的、そして存続をすることが目的の人の意見が正しいとされ、そのような思想を若者が目指したら、社会がどうなってしまうでしょうか。
お金を持っている大企業が存続することだけを目的とすることは、投資の機会の損失、雇用、人々の暮らし、社会の健全さなど多くの点において、悪意影響を与えます。その規模と被害の度合いからいって、ハザード、災害級と言っても過言ではないでしょう。
そしてこれは「会社は本来社会の公器」であり、「仕事は奴隷でなく使命」という二つの前提がわからないと気づかないのです。
ですから使命がやはりここでも重要で、仕事は辛い、奴隷にならないとお金が稼げない、そう無意識で思わされている前提を崩す必要があるのです。
そしてもう一つ重要なポイントは小さなことを決して侮らないことです。全ての現象はたった一つ、「大企業の理念が存続に置き換わっただけ」で全て引き起こされています。小さな歪みが大きな歪みを産んで行く可能性があることにも注意をする必要があります。
まとめると
「大企業が存続だけを目的とすることによる損失一覧」
◉社会的にとって人にとって必要なところに投資がされない投資の機会損失
◉使命に行く人よりも奴隷的な人が採用される雇用損失
◉採用された人の生活よりも企業の利益が優先される従業員の幸福損失
◉お金を稼ぐ人が正しいとされ、優秀な若者の才能が金儲けだけに使われる損失
◉お金を稼ぐ人の発言が正しいとされ、本質的な意見が人々の耳に届かない損失
など
ストレスや鬱は、地震や戦争のようなわかりやすいものではありませんが、数の上ではそれら以上に人の命を奪っていると思われます。それらストレスの元を生み出していることにも関与しているとしたら、それは人の生死に関わる問題とも言えるので、我々はこの問題に対してもっと真剣に向き合う必要があるでしょう。