もしAIに今日着て行く洋服を、リコメンドしてもらうとこのようになるだろう。
やり方①
まず無限に存在する洋服の中から、サイズ、性別を選択する。次に気温や用途、値段を選択する。
こうして、分布の中から対象となるプロットエリアから絞り込んでいくことになる。
性別、サイズ、気温、用途、値段。これらだけでもかなり絞りこめただろう。
やり方②
自分で自分が好きな服をひたすらAIに教え込んでいく
例えばモード系の服を毎日着てAIにそれを教えると、モード系のブランドで似たような服をレコメンドしてくれる。
ちなみにやり方①を教師あり学習、やり方②を教師なし学習という。
しかし、どちらのやり方も「私」がAIに情報を与えている。
なので、その洋服が似合うかどうかまではわからない。
というよりAIがこれが似合いますよ、と提案してもそれを気にいるか、AIを信じるかはそれぞれのユーザーに委ねられる。
例えば流行りの服や、異性ウケのいい服をレコメンドの絞りこみに加えることもできる。だが、それもやはり本人が気にいるかどうかはわからない。
この最後の執行、意思決定にまでAIが関与できないのが、保険商品などがなかなかオンラインだけでは売れない理由の一つであろう。
AIは「レコメンド」の装置であって「ソリューション」の装置ではないのである。
また、AIで最適化とよく言われてはいるが、最適な解を見つけ、意思決定するというのは実は難しい。
最適化とは、洋服選びで言えば「その時点にもっとも相応しい洋服を選ぶこと」だが、その「時点」は目まぐるしく変化する。(もっと言えば本人がどこを最適化と思うかでも変わる)
例えばパーティーにドレスを着て行くとしよう。この時に、最適化をするためには、自分の感情や場の人間の数や質、更にそれらの人の気持ちにも左右される。(これらのパラメーターは人によっては意識すらしない)
もっと言えば恋愛は更に難しい。今の自分の気分と相手とデートしてからの気分がどう変わるかは、デートして見ないとわからないことが多いからだ。それを事前にAIに計算させることはできない。
つまりは最適な点とは常に変化する生き物のようなもので、誰もが大体の絞りこみをしてある範囲の中で決めているに過ぎない。
洋服で言えば、値段、見た目、用途といった、重要なファクターで絞り込んでいるだけで、最適化をしてることはほぼない。恋愛でも、見た目、年齢、趣味など、特定のフィルタリングをして、「足切り」をする役割をしているに過ぎない。
それはグルメや、他のショッピングなどあらゆるレコメンドにも共通する。
基本的に意思決定はレコメンドの範囲の中で行う。このレコメンドはAIもできるというだけなのだ。
ほとんどの人間の意思決定も最適化ではない。ある特定の範囲の中でベターベースをチョイスにしてることが多い。この意味では確かにAIは人間の意思決定に取って代わることができる。
だが人の直感にはそれを上回る事態が時に産まれる。
例えば今日は訳もわからず牛丼を食べに行きたいとしよう。そしてそこで隣の席に座った相手と運命的な恋に落ちて結婚する。
このようなドラマやストーリーはいささか大げさかもしれないが、AIは牛丼屋の営業時間とオススメはレコメンドしても、それが出会いに発展することは指し示さない。
仮に今日牛丼屋に自分の好みの女性が来ることを、AIがレコメンドできたとしてもその時、そのタイミングに行けるだろうか。
AIにリコメンドされたドレスを着てパーティーに行ったら、自分の嫌いな女性が同じドレスを着て不愉快になるかもしれない可能性まで、果たしてデータ入力できるだろうか。
直感と経験
人間は驚くべき意思決定をする。しかも極めて早く。
この意思決定は実は点に近い。AIにはそれができない。
なぜなら、点の意思決定には動的な要素が実は矛盾するようだが、含まれているからだ。
これは天気予報をコンピューターが正解には予測できないことと同じ原理である。
目まぐるしく変化する場や状況を、人間はどういうわけか、直感やインスピレーションで捉えることができる。
我々は今AIという言葉に踊らされているが、実は以下のようなことをやっているのである。
今朝来て行く服を選ぶ。悩むことがあるにせよ、これとこれとこれ、直ぐ決まる。
だが、これをAIにさせようとすると、目的を入力し、天候を入力し、気分を入力し、、
我々は脳の中で意思決定を下す時に、目的はこれ、天気はこれ、と一つ一つ自問自答して絞り込んだりはしない。
洋服を眺めて、うーん、これだ、という意思決定をすることが多いはずだ。
つまり、人間の意思決定はそのようなプロセスを無意識で行っている、あるいはそれを越えて点の意思決定をしている。
人間が一瞬で意思決定できる問題をあれこれAIに悩ませる。
我々がAIに取り組む時はこのようなことに注意する必要がある。