IT人の政治リテラシー向上を目指して

元政治家秘書、現IT起業家が主にIT起業家、エンジニア、デザイナーなどIT業界人の政治リテラシー向上を目指して、日々のニュースや政治トピックについて言及。たまに起業ネタや映画、アニメネタなども。ちょっぴり認識力が上がるブログ。

なぜ日本人はこんなにも働かないといけないのか

少し冷静に考えてみよう。日本は国としては世界第3位のGDPを持ち(一人当たりでは22位)、欧米諸国に並ぶ開発先進国である。世界で最も豊かな国と言って差し支えない。

 

にもかかわらず、多くのビジネスパーソンは残業を強いられ、休暇を取ることさえままならない状態にある。

 

実際、日本よりも豊かではない国の人々よりも、日本人は働いている。こんなに豊かなのだから、そこまで働かなくてもいいだろうと思わないといけないのだが、日本人は戦後教育で働くことが正しい、というピューリタン的な思想を刷り込まれているため、その思考にまず大半の人間が疑問を抱かない。

 

何のために働くか、ではなく、働くことそそのものが正しい、半ば宗教と同じ精神状態になってしまっているため、働くということに異論を挟む余地がない。

 

そこに、伝統文化である村社会の掟がのしかかり、働かない人間をとことんいじめ抜く圧力が、個人間と社会で生じる。

 

以上が主に日本人がよく働く(いい意味でも悪い意味でも)文化的なファクターなのだが、より制度的、構造的な問題にも焦点を当ててみる。

 

働きすぎなことを解析するために、雇用、賃金、労働時間はそれぞれどのように決まるのか。本項では、賃金、と特に表題でもある、労働時間に焦点を当てたい。

 

まず、雇用に関しては、企業の需要と労働力の供給の交点で決まる。これは経済学で習うことの中では、経験的に正しい事柄の一つで、あまり議論を挟む余地がない。

 

感覚的に言えば、好景気だと雇用は増加し、不景気であればリストラが増えるという話だ。

 

次に賃金である。これについては労働経済学的に諸説あるが、基本は限界生産量ベースに、売上に対して最適な費用として算出される。

 

ざっくり説明すると、人を増やしても利益が増えないと会社は倒産するから、利益を最大化させる、最適な人数を普通の経営者は雇用する(あるいは雇用を目指す)

 

ここでまず、人を一人増やすことよりも、既に雇っている人間の労働時間を長く設定した方が、企業にとって負担するコストが概ね低いということだ。

 

これと正規雇用者を解雇することが、日本の場合構造的に難しいことや、学習コストなどが相まり、まず構造的に新規雇用よりも残業を企業に選択させがちな原因である。

 

だが、ここで、限界生産量という説明は、残業問題の原因の一部を指摘しても、結局のところ賃金がどう決まっていくかについての回答にはなっていない。

 

実務的にはここに、限界生産量を上回る、効率賃金仮説というものが、経済学では一つ考えられている。

 

これは要するに、生産量ベースでのみ賃金が決まるのではなく、例えばライバルに社員を取られたくないから、多めに賃金を払うなど、生産量以外で賃金が決まっている、という説明である。

 

だがこれに加えて、賃金は労働市場だけからではなく、消費市場からも決まっていると思われる。なぜなら、基本的に物価が高い東京などの都市部と、物価が低い田舎とでは、同じ職業でも想定的に賃金に差が存在するからだ。

 

結局のところ、関連要因が多いため、あまり綺麗なモデルがないのが賃金決定に関する経済学の現状である。

 

ただしここでもう一つ、賃金に関して議論する必要があるのが、なぜ職業によってベース賃金に差があるのか、という点である。

 

例えば、事務職やアルバイトというのは、一般的に賃金が低く、エンジニアや法律家など高度な知的専門職は、ベース賃金が高いのか。

 

これは簡単に需要と供給からわかる話だが、要するに希少性、すなわち、企業の需要が高いが、労働市場における供給が少ないため、企業が高い賃金を払わざるを得ない。逆に需要はあっても、事務職の様に供給が膨大であると、企業側は賃金を限界生産量まで下げることができる。

 

ここで着目すべきはまず、賃金というものが、仕事の必要性や労働時間では決まらない、ということだ。企業にとっては、事務職も法律職も同じ様に必要である。にもかかわらず、法律家の方が賃金が高いのは、単に法律家が希少だからに過ぎない。

 

つまり、大半の日本人が宗教的に信じている、働けば働けるほど、豊かになれる、というのは論理的に考えて完全に破綻している。

 

あくまで労働者としての所得を増やすのであれば、希少性の高いスキルを身につけるべきなのだ。

 

だんだんと問題の核心に迫ってきたが、ではなぜ、エンジニアや法律職が、希少性が高いのだろうか。

 

まずどちらも、学習コストが高い。特に法律家になるには、高い学費と時間をかけてロースクールに通って弁護士資格を取る必要がある。これは医者や会計士も同様である。

 

さて、これら知的専門職資格に共通することは、何か。それはこれらの職業が全て国家資格である、ということである。

 

国家が、免許という独占的な特権を与え、資格合格者をコントロールすることによって、例えば弁護士の人数を制限している。

 

つまり、国家が供給を制限することによって、意図的に希少性を高め、賃金をこれらの職業は高めているのである。

 

そして、この独占というのは、ピーター・ティールが著書「ZERO to ONE」でグーグルの例で指摘するように、企業の従業員にとっては、高い収入、安定した地位、そして十分な余暇をもたらす。

 

つまり独占は、当事者たちにとっては豊かで良いことなのだ。日本で言えば、医者、会計士、弁護士などがそれに当たるように。彼らが高い年収と余暇を捻出できるのは、政府が彼らに独占を許しているからに過ぎない。

 

もし政府が免許制度を取りやめ、あるいはアメリカのように資格取得条件を緩和することがあれば、他の労働者と同じように、厳しい競争条件にさらされ、労働者としては同じような賃金や労働時間となるだろう。

 

逆に、エンジニアの賃金高騰に関しては、日本の教育システムが時代のニーズに合ってないから、需要に一早く反応した、一部の労働者が一時的に希少性の蜜をすすっているに過ぎない面がある。

 

では結論である。賃金は、市場のメカニズムに委ねると、企業は限界まで賃金を下げて労働者を搾取する。従って、政府の介入無しに賃金を向上させるには、海外の労働者を無視するなら、需給の関係だけでいけば、自らの希少性を高めるしかない。

 

だが、現状、労働者には、充分な余暇がないため、希少性を高める機会はその労働の中にしか存在しえない、それが今の日本の労働社会の構造的な問題である。(だから余暇を無理して削って学習せざるを得ない)

 

本題でもある、労働時間にも同じことが言える。市場の原理に委ねれば、企業は合理的な意思決定をするのだから、最も低い賃金で、最も労働者を搾取する(これをしない経営者はむしろ株主への背任行為にすらなる)

 

そして、労働時間の方は、賃金とは異なり、希少性そのものよりも、企業と労働者の力関係で決まるため、労働組合が強いところや、あるいは希少性を背景に交渉の結果、労働時間短縮を勝ち取る様な流れとなる。

 

ここで、もう一点、労働時間の議論が賃金の議論と異なるのが、今の日本の様な成熟したマーケットが存在し、モノが行き届いている様な社会では、生産量を増やせば売り上げが伸びるという、すなわち、右肩上がりではないため、工夫が必要だ、ということである。

 

つまり、イノベーションを起こし、より付加価値の高い製品や、サービスを提供することで、企業の収益を上げる、というやり方である。

 

だが、イノベーションを起こすには、インプットや起こす仕組みが必要であり、それはむしろ労働者に限界まで労働させることとは、相反することが多い。

 

従って、経営者として企業の収益を増大化させることに注力しつつ、労働者の労働時間を下げるには、イノベーションを起こす仕組みを会社が採用し、それによって、結果として増益すれば良いのである。

 

つまり、労働時間に関しては、企業構造の改革で起こすことが充分可能なわけだ。

 

まとめに入る。つまり、なぜ、これほど豊かな日本人がこんなにも働かないといけないのか。

①文化的背景。

これは最も愚かしいが根の深い問題であるが、教育を変えることと、マスメディアの論調が変わることで充分改善できる。

②賃金が低い。

これは企業ではなく原則、政府の介入が必要な問題。これは政府が最低賃金を設定する、という意味だけではなく、需給介入や教育改革なども意味する。

③労働時間が長い。

労働組合の政府保証、労働時間への政府介入、そして企業側のイノベーション重視への構造改革

 

つまり、文化、政府、企業、三位一体となった改善努力が必要である。

 

最後に、基本的に起業家は目的を達成するために働き、労働者は賃金を求めて働く。だから、両者の文化は異なり、すり寄せが必要である。