IT人の政治リテラシー向上を目指して

元政治家秘書、現IT起業家が主にIT起業家、エンジニア、デザイナーなどIT業界人の政治リテラシー向上を目指して、日々のニュースや政治トピックについて言及。たまに起業ネタや映画、アニメネタなども。ちょっぴり認識力が上がるブログ。

遊びの本質(後編)

さて、メンズは美女がどのような生活をしているのか、よく知っておくべきだ。

あなたが全力でアレンジした一回の高級ディナーは、美女にとって一回の食事にしか過ぎないという事実を。

 

だが、受け身の遊びに飽きた美女は別だ。というより、遊びを極めてより深い遊び、すなわち遊びを創造するクリエイターになった美女はさらなる楽しみを欲する。

 

クリエイターは歩くエンターテイナーにもなれる。

いつでも、自分という資源さえあれば、目の前の女性を楽しませることができる。

 

いわゆる「面白い人」がモテるのはこの話。

だから、お金があろうとなかろうと、顔がそこまでイケメンでなくても

モテる男はモテる。

 

結局、会話という中でエンターテイメントを提供できる人間は強い。

どこにいても、ただその人がいるだけで面白い、楽しい、というのは最強に近い。

 

もう一つ、遊びの面白さを仕事に見出す人もいる。

違う案件、違う分野、異なる文化、国の人と新しい仕事をする

それが何よりの刺激だと気づいてしまった人は、仕事と趣味が一体化し、生涯を通し、仕事がエンターテイメントとなる。

 

お金儲けも同じだ、使う楽しみよりも、稼ぐ面白さに気づいてしまうと、稼ぐことそのものがやめられなくなってくる。使い道がすでにないほどお金を持っていたとしても。

 

クリエイターでお金を稼ぎ、仕事を楽しみ、創造力を持って、お金を使える人こそ、遊びの達人と言えよう。

 

その人をむしろ不幸に、退屈にすることが難しいだろう。

何もなくても、その創造力を持って、多くの人以上の楽しみを実現してしまうだろう。

 

そして、感謝、生きることの価値や喜びを知っている人はそれ以上に幸福であり、更なる遊び、いや幸福の達人といえよう。

 

もはやその人には、お金も、楽しい会話ですら必要ない。生きているだけで、他人が汗をかき、考え、行動している以上の幸福をどこにいても、何をしても手にしているのだから。

 

そう、最大の幸福とは、実際は生きていることの素晴らしさを実感できることにあるのではないだろうか。

 

人は遊びの階段を駆け上がっていく

①生まれた時→生きることの喜び

②子供時代 →クリエイターの遊び

③大人   →お金を使った遊び、お金を稼ぐ遊び、仕事や社会貢献の楽しみ

 

そう、生まれた時に一番の遊びを、次に子供時代にクリエイターとしての遊びを覚える。そして大人になって、新しい遊びを覚え、今までの遊びを忘れてしまう。

 

大人になって、子供の時の遊びを、赤ん坊の生まれた時の喜びを、思い出せた人は幸いだ。人間の中でトップクリエイター、エンターテイメントの王様と呼ぶに相応しい。

 

そして、大人になって、遊ぶことを極めようとすると、子供に戻っていくのもまた面白い。

 

赤ん坊の時は、さすがに仕事の面白さなど通常知りっこない。

赤ん坊の時の喜びを、子供の時の楽しさを、そして大人になってからの人生の面白さを味わえるのは、大人でしかない。

 

そう、大人とはつまり、本来はクリエイターであり、遊びの王様なのだ。

大人にしか、全部は味わえっこない。

 

大人として人生を味わおう

子供の時のクリエイティブな精神を思い出そう

生まれた時に誰もが持っていた、生きているだけの喜びを感じよう

 

子供よりも人生を楽しめて、一人前の大人であると言えるように

クリエイターとして遊ぶ(中編)

クリエイターとは?

 

クリエイターは遊びに際限がない。

これまではコンサートホールに行き、一流のアーティストの演奏を聴くことが最高の楽しみ方であったはずが、自分が一流のアーティストとして、演奏をする楽しみがある。

「聴く楽しみ」に「演奏する楽しみ」「聴かせる楽しみ」がさらに追加される。

 

また、クリエイターはクリエイター同士で「コラボする楽しみ」もある。

自身が最高のバイオリンの奏者であったら、最高の指揮者やピアニストと協奏することができる。

 

このまま音楽での例えを続けよう。

ただ演奏の楽しみが増えるだけではない。

素人よりも遥かに楽曲の理解が深く、楽しく、味わうことができる。

このフレーズの意味は、歴史的背景は、どんな演奏ができるのか。

 

全てにおいて一流であることはきっと不可能なことだろう。

しかし、クリエイターはその調子で、どんどん「遊べるネタ」を増やしていける。

 

「スポーツ」観るだけでなく、プレイする楽しみを得る

「料理」食べるだけでなく、作って食べてもらう喜び。新しいレシピを考える面白さ

「アート」自身の内面と向き合い表現する

 

クリエイターにまわった瞬間に、遊びは更に無限に広がって行く。

それは遊びの選択肢の変化でも一目瞭然である。

 

「美女」だけで味わえる、贅沢な遊びはまとめてしまうとこんなところだ

これは言い換えると「受け身」で楽しめる遊びになる。

・美味しいご飯やお酒を味わえる

・一流のエンタメを鑑賞できる

・贅沢な空間に行ける

・綺麗な服を着られる

・有名人と会って、面白い話が聞ける

 

もちろん美味しいご飯やお酒の中で、選択肢はあるが

「食べる」「飲む」というアクション自体に変化はない。

 

これが、クリエイターに回るとアクションが格段に増える。つまり、「遊び」の幅、人生の楽しみがグッと拡がる。

演奏する、踊る、歌う、服を作る、建物をデザインする、詩を書く、異業種とコラボをする、小説を書く、体を動かす、田畑を耕す、研究をする

など

 

また、お金、人脈、時間があれば、例えば「急にスポーツカーを買って温泉に行く」とかもできる。確かに一見ロマンチックで刺激的かもしれないが、実はそれもアクションパターンが限られている。

 

「お金」、「人脈」、「時間」は確かに、「遊び」の幅を格段に広げてくれる。

それが、メンズが美女をもてなす基本でもある。

しかし、それだけではパターンはこんな感じである。

・「急に」どこかに行ける、サプライズパターン(今から飛行機でハワイなど)

・お金がないといけない場所にける(自家用ヘリで夜景など)

・いきなり贅沢な買い物(マンションやレストランをその場で買うなど)

 

結局のところ、「買い物をすること」や「旅行に行くこと」自体に変化はない。

サプライズも、良いサプライズはメンズの演出力の方が大きいだろう。

 

これらのパターンは、最初は刺激的だが、何回もやると飽きてしまう代物だ。

例えば、いきなりマンションを買いだすのは面白いが、何回もそれを見せられると、それは当たり前になって飽きてしまう。

 

結局、「旅行に行っているだけ」「買い物をしているだけ」に気づいてしまうからだ。

 

毎年の恋人からのサプライズが飽きないのは、好きな人から、それも工夫を凝らしてやられるから飽きないのではないだろうか(もちろんそこに財力が加われば最強のサプライズにはなる)

 

その演習力もクリエイターの才能だ。サプライズをどう毎回変化させるか、それはお金よりもセンスが大事になってくる。

 

そして、知的な好奇心、何にでも、あるいは誰にでも関心を持つと、遊びは無限に広がって行く。

恋愛も、恋愛ではなく、人に関心を持ち出す人は永遠にやめられないようだ。

 

クリエイターになれば、お金で味わえる以上の楽しみを味わえるかもしれない

遊びを創造する側になろう

世界を遊び場にしよう

美女は一体どこまで遊べるのか(前編)

若く、美人でスタイルもいい。そんな20代前半女性が東京という街で果たしてどこまで遊べるのか、楽しめるのか。

 

・毎日飲み会は当たり前

誘いは毎日。気が合う友達と、知らない有名人やタレントと。ワインも年代物からシャンパンタワー、クラブや高級マンションで朝まで騒げる

 

・仕事はなんでもいい

仕事はなんでもいい。大学生でも、無職でもいい。ただし、モデルやネイリストなど、何かしら肩書き、仕事がある方が好まれる。

ただし、美人なだけでは好かれない。そして性格の良さや、社会的にちゃんとしている方が、質の高い飲み会に誘われやすい。

 

・高級レストランは一通り

都内の寿司、焼肉、有名店、予約の取れない店、ミシュラン店は一通り体験済み。新しい噂のお店ができたら、誰かが誘ってくれる。

 

・洋服は自腹

ブランド品はプレゼントされることもあるが、基本は自腹。似合う服は自分で選ぶ。ただし、知り合いから特別に安くしてもらって購入は可能。

 

・自分でも稼げる

東京で女性が羨むような生活を送っていると、SNSのフォロワー数は伸びていく。元々美人でフォロワーも多い。いつしか、それだけで収入が入るようになる。

 

(東京で20代前半の美女が体験できる遊びまとめ)

・クラブのVIPで朝まで飲み会

・セレブ、有名人、野球選手などと毎日、日替わり飲み会、パーティー

・高級ホテル宿泊、旅行

・有名店、ミシュラン三つ星レストランなど総なめ

・高級マンション飲み会巡り

・普通取れないスポーツやコンサートへの招待

 

一通り、遊び終わったら、結婚するか、このままの生活を続けるか、それとも更に上を目指すか。そう、上には上がいる、世界のセレブはこれ以上の遊びがある。

 

20代前半の海外のセレブ美女はどこまで遊べるのか?

 

・プライベートジェット、ヨット

東京にはないもの。地中海やカリブ海ではダイビングや、贅沢なプライベート空間を味わえる。

 

・超豪華ゲスト

友人が世界的に有名なスーパースターの場合、パーティーに呼ぶのは難しいことではない。

 

・自分でも更に稼げる

世界的に有名な美女になれば、フォロワー数は一桁も二桁も違う。それに伴い、仕事や収入は更に上がる。

 

・英語は必須

いくら美女でもこればかりは仕方ない

 

(世界のセレブ美女が体験できる遊びまとめ)

・プライベートジェット、ヨットで旅行

・普通の人は入れない場所へのエスコート

・世界のセレブリティたちとパーティー

 

東京の美女から、世界のセレブ美女になると、一体どんな得があるのだろうか?

・他の日本美女には味わえないような、グローバルな人脈と体験(優越感)

・結婚相手、パートナー選びが国籍を超えて拡大

・自分の収入、影響力がアップ

 

ただし、エンタメの選択肢はそこまで増えることはない。

なぜなら、東京がすでに世界屈指のエンタメ都市だから。

東京のクラブでシャンパンを飲むことと、ニューヨークのクラブでシャンパンを飲むことにそこまで差はない。

少なくとも田舎のバーで地元の人とビールを飲むのと、六本木のクラブでセレブに囲まれてシャンパンを飲むほどの差はないだろう。

 

更なる上を目指す?次のステップ、そこは人生の分かれ道でもある。

 

・退廃的になる

これ以上の快楽を目指すには、薬物など、常識やモラルなどの枠を超えていくしかない。犯罪を犯す。その結果はもちろんお察しの通り。

 

・与える側にまわる

自分で稼ぎ、人脈や影響力を活かして社会貢献活動などをする。海外のセレブリティはこのパターンが増えている

 

・落ち着く

人生の快楽を味わい尽くし、最後は家庭や平和といったところに本当の幸せを見出して行く。快楽のプロセスが必要だったのか、それは一つのテーマである。

 

・クリエイターになる

これまでの遊びは、与えられた遊びにすぎない。

遊びを創造する側にまわるのだ。

 

中編に続く

男が腕時計を身につける理由

男性が腕時計を身につける理由は大きく分けると3つであろう

 

①機能(時間を知る)として

②ファッションとして

③ステータスとして

 

まず①に関してはスマホ、デジタルウォッチに敵う時計はない。

アナログの時計はたとえトゥールビヨン(1000万円くらいの機構)を積んでいたとしても、必ずズレる。

 

次にメンテナンス面もデジタルの圧勝である。

デジタル時計は基本的にズレないし、仮にズレても一瞬で修正できる。

 

それに対してアナログ時計は電池交換および修理に出すことが前提になっているため、数年ごとに更新コストが必ずかかり、修理に出す必要もある。

 

正直言って、時計本来の機能を求めるだけであれば、時計に関してはデジタル一択である。

 

(ただし、スパイのような特殊な職種においてはアナログでないと果たせない機能もあるかもしれないが)

 

デジタル腕時計、スマートウォッチは時計業界では革命的である。

 

デジタル腕時計がある中で、あえてアナログの腕時計を身につける理由の1つがファッションとしてである。

 

男に許された唯一のアクセサリーであり、宝飾。それが時計である。

 

しかしこれも、最近のスマートウオッチは、文字盤もベルトもカスタマイズできるようになっており、デジタルなのにアナログぽく見せることもできる。

 

芸術品、ブランド品などを身に付けることで、テンションが上がる、という理由はあるかもしれない。モネやシャガールをいつも身につけてると思えば、数千万は安いのかもしれない。

 

最後にステータスとしての腕時計だが、最も高い時計だとリシャール・ミルで大体2000万円以上はする。(方やスマートウォッチはものにもよるが大体数万円台だ)

 

男性、特に経営者が高級時計を身につけるのは、それくらいの時計を買える身分ということをアピールすると同時に、同じクラスの経営者に「時計」という話題のとっかかりを持つ意味との二つある。

 

銀座のクラブなど女性ウケという意味では前者だけだが、後者は商談目的、という要素も含まれている。

 

だが、例えば同じリシャール・ミルでも数千万のものから数億のものまである。

ある経営者は数千万の腕時計をしていたが、相手が自分より高い時計をしていたため、投げ捨てた、という話がある。

そう、ステータスとしての時計は際限のないマネーゲームにもなりえる。

 

年収1億円にいったかと思えば、10億の人が現れ

資産が100億円いったかと思えば、1000億円の人が現れる

 

そして頂点までいったかと思えば、ロックフェラーのように今度は失うことが気がかりでで眠れなくなる。

 

そもそも数千万から数億のものを身につけていると、時計が気がかりである。

特に海外で時計が盗まれたなどという話が報道されるが、落ち着いて旅行もできたものではない。

 

そうつまり、いったい今の時代であえてアナログの腕時計を身につける理由を知りたいのだ。もはや明確な理由はなく、個人の趣味嗜好以外の世界となってしまっている。

 

もっといえば、スマホが時計の機能を果たしている。わざわざ、腕に身につけていると鬱陶しい。

 

まだビジネスシーンにおいては、さりげなくスマホを見るよりもさりげなく時計の方がよりさりげないが、これも時代が変われば、そんなマナー多分誰も気にしなくなるだろう。

 

結局まとめると、唯一納得感のあった理由はファッションとして、特に「時計をアート」として捉えること、それによる感動や芸術的な感性による付加価値だ。

 

眺めるためにテンションが上がれば、人生が少し豊かになるのかもしれない。

 

恐らくそれは高級車を持つことととも似ているのだろう。飽きるまではテンションが上がる。

 

つまりそれは、高級車でも、あるいは絵でも良いということだ。

違い、時計である特徴は常に身につけている、ということである。

 

ここにきて、女性が宝石を身につける理由と近似してきた。

女性が高価な宝石を身につけるのも、常にテンションの上がるものが近くに欲しいのだろう。

 

そうするとつまり、高級時計を身につけている男性は

人生をほんのちょっぴり豊かにするために、数千万を惜しまず払える

そこにダンディズムが生まれる、ということなのだろう。

 

この本質を外して高級時計を買うと、見事に残念な金持ちになるのだろう。

日本は世界でどう勝負しようというのか

2018年、中国の深センに行った時感じたことは

「テクノロジーではすでに勝てない」ということであった。

 

当時のoppoIPhoneよりもカメラの性能が良い、という話を聞かされ(しかも値段はもちろんiPhoneより安い)衝撃を受けた。

 

当時、多少なりとも日本に危機感を感じていた人は製造業はもう無理で、

これからはソフトウェアやコンテンツ、ゲームやアニメといったクリエイティブな分野で勝負しよう、と盛んに話合っていた。

 

それから3年後、2021年の今日、鬼滅の刃の大ヒットとは裏腹にコンテンツでさえ危ういと言わざるをえない状況になっている。

 

最近、中国のテンセントなど、ゲームスタジオを買収し、アニメーターをどんどん囲い始めている。

 

それだけでなく、アニメやゲームが好きで日本に来日した中国人が、中国に帰り、日本ぽい絵の作品を作れるようになってきている。

 

スマホゲーム、「原神」はまさにそんな流れできたゲームである。

まだ、スタジオジブリのような作品は生まれてないものの、正直時間の問題ではないかと思われる。

 

アニメやゲームがダメでも、日本には「食」という最後の砦がある。

日本人の金持ちが海外に移住しない唯一の理由は食ではないか、という説もあるくらい、日本の食文化のレベルは高い。

 

フランスで活躍する日本人シェフも多く、今やフランスの料理界は日本人無しでは成り立たないのではないか、とまで言われている。

 

しかし、これも、「食材」というカテゴリーにフォーカスすると、難しい問題になってくる。

 

日本は欧米では使用禁止になっているような農薬が未だに使われ、既にEUには輸出できない状態になっている。

 

牛肉も野菜、果物もオーガニックで品質の良いものが、欧米の方が安く豊富に手に入るのが現状だ。

 

これが、もし中国で起きたらどうなるだろう?

 

中国の方が圧倒的に土地が広い。今は、中国の食品は不安というのが、中国でも日本でも通説だが、中国でオーガニック農法が流行り、品質の高い食材が日本よりも安価で手に入るようになった時が、いよいよ日本が危機的になるところではないだろうか。

 

またTPPに反対した時のように、鎖国して自国の作物を守ろうとするのか?

そんなことを繰り返していれば、いずれ優秀な人材は全て海外に出てしまうだろう。

 

アニメーターも、既に中国の会社で仕事をした方が待遇が良い、という話になってきている。

 

日本の最後の砦である食文化も、このまま行政が食材をおざなりにするような政策を取り続ければ、シェフもいなくなり、それに伴い、金持ちもいなくなるだろう。

 

日本人は世界的に真面目で、国も治安が良いなど素晴らしい点が数多くあるが

現状、残念な国家と民族になってしまっているのは、大きく二つの問題がある。

 

一つは国も企業も、人も保守的であることだ。守りに入ってしまえば、あとは衰退するしかない。田舎に行くと特に酷い。日本で守りに入ってないエリアはおそらく東京だけだろう。企業も一部のスタートアップで、とてつもなく優秀な人材がお金のことも考えず、ビジョンに向かっている会社があるだけで、多くの大企業は既に事業会社ではなく投資会社になってしまっている。

 

もう一つは従順すぎることだ。貧困になろうが、どれだけ政治が腐敗しようが結局、体制に対して何か意見をする、あるいは変えようとせず、愚痴と不満をこぼしながらも、おとなしく税金を収める。

会社や社会のいうことにことごとく従う風潮は、ともすれば、国民が国に対してなんのガバナンス機能も果たしていない、無責任な人間である、ということだ。

日本人は、ものを言わないことを美德とするが、それが無責任だということにいつ気がつくのだろうか。

 

何も考えないことと、平和主義を混同していないだろうか。

 

日本が貧しくなってきていることは、東南アジア諸国を旅すればすぐにわかる。

 

そしてまだ、治安が良く、食べ物が美味しく、民度が高いから、比較的日本の方がいいよね、となっている。

 

しかし、一体そんなもの、いつまで続くのだろうか。

鬼滅の刃はなぜヒットしたのか

業界内でも意見がまとまらない理由を無謀にも掘り下げてみる。

また、映画館の配給元がソニーであるとか、ビジネス的な要素よりも、

今回は純粋に作品性のみにフォーカスを当て、他作品と比較も交えつつ分析してみる。

 

まず、鬼滅最大のヒット要因は「女性ファン」の存在である。

子供もヒットしてるが、子供だけを見ると、妖怪ウォッチポケモンがヒットしていることと大差なく、従来のアニメのターゲット層である男性、子供に加えて圧倒的な女性支持が他の作品にはないヒットを生み出している。

 

つまり、「鬼滅がなぜヒットしたのか?」という問いについては

「なぜ女性の間で人気が出たか?」という問いに答えられれば、およその答えにたどり着くことになるだろう。

 

女性にとって他の作品と鬼滅は何が違ったのだろうか?

 

①推しメンの存在(アイドルグループ的要素)

まず、鬼滅の男性キャラ、鬼殺隊は女性にとってアイドルグループと化したことが女性ファン獲得の要因の一つだと思われる。富岡さん人気はありつつ、他の男性キャラも人気がありかつ、男性キャラそれぞれが女性から見て個性的でそれぞれに支持層がいるのである。

 

②女性から見て好ましい男性キャラ設定

炭次郎は妹のために命を賭ける正統派、善逸は女好きなダメ男だけどいざという時頼りになる、猪之助は仮面を外すと美男子。

このように鬼滅の男性キャラは女子ウケする要素が満載である。

そして、重要なのが、女性との適度な距離感だ。

 

他の作品、例えばワンピースの場合は露骨に女性に興味があるエロキャラ(サンジ)、女性に無関心な硬派キャラ(ルフィ、ゾロ)など女性との距離感が完全に男子校のノリである。

 

多くの他のジャンプ漫画も同じような距離感になりがちである一方で、鬼滅はその距離感がちょうどいいのである。

 

③共感、支持できる女性キャラの存在

また鬼滅は女性キャラも、女性から共感および支持を得やすい、少なくとも嫌われないキャラが多い。

 

これもワンピースのようなよくある少年漫画だと、グラマラスな男性の願望や欲望目線のキャラが多く、女性から見たら「そんな女はいない」で終わってしまう。

 

また支持をされるキャラであることも重要だ。同じような路線の呪術回戦が未だ、鬼滅ほどヒットしていないのは、実はここに原因があるのではないかと見ている。

 

呪術回戦はワンピースのような従来型の少年漫画に比べたら女性をしっかり描けてはいるが、支持されるようなレベルにまで至っていない。女性らしいキャラはいても、支持まではいかない。

 

その理由の一つは、胡蝶隊長などの複雑なバックボーンやそれによる人格形成など、女性から見てリアル感がありかつ、それが支持できるものだからだと思われる。

 

ナルトは作者の岸本氏が奥さんに徹底的にヒアリングをして女性キャラを描いたエピソードもあるように、確かにサクラなどの女性キャラはリアルではあるが、それもあくまで男性から見たリアルさであり、女性から支持をされるまでのキャラ設定までは描けていない。

 

④キャラ設定の現実味

鬼滅は一人一人のキャラの過去と、いまのモチベーションがかなりリアルにリンクしている。あまりそこに飛躍や矛盾が存在しない。

 

男性は女性に比べて、あまりそこのリアルさを気にならない。

だから比較的、少女漫画の方が、ドロドロした過去や闇を持った登場人物が多く、それがいまの行動に反映されやすい。(例えばのだめカンタービレや、フルーツバスケットなど、過去のトラウマに関する描写が多い)

 

これに対して、例えばドラゴンボール孫悟空は、サッパリし過ぎていてトラウマも何もない(反対にトラウマだらけのベジータの方が、やはり女性ファンから支持されやすい)

 

ワンピースやナルトのような「海賊王になる」「火影になる」といった自己実現願望は、そもそも男性的で女性からは共感されない。

 

またそもそもルフィがなんで海賊王になりたくなったのかが、よくわからないのだろう。ここに飛躍がある。

 

女性の方が、よりキャラクターのリアル感について敏感に感じやすい、と言っても良いのかもしれない。女性はリアル感の薄い設定だと冷めてしまいやすいのである。

 

⑤説教臭くない世界観

鬼滅は絵柄は複雑で、一人一人の感情的や過去の描写は複雑であっても、そこまで難しい話は出てこない。

 

基本的な世界観は「悪を倒して、妹を救う」だからでもある。

 

これに対して、例えばガンダムのようなメッセージ性の強い作品、政治的な色合いが強い作品は、ともすれば現実を離れ、説教臭くなってしまう。

 

つまり、感情的、人間的に複雑であるのは良いが、それ以上の複雑さになってしまうと、リアルさが薄れ、あまり女性の好みではなくなるのだろう。

 

⑥衣装のディテール

鬼滅は衣装も一人一人デザインが異なり、カラフルである。

コスプレ要素も存在するが、それ以上に、衣装のデザイン性やディテールが好まれているのだろう。

 

ここも男性とは大きな視点の違いである。男は、戦闘服やロボットの格好よさに目はいくが、アムロやルフィの私服のデザインが良いか悪いかなどは考えない。

 

以上である。まとめると特に大きな理由として

・男性のキャラ設定

・女性のキャラ設定

がどちらも女性から、共感・支持されるものであることが、大きく重要ではないかと思われる。

この辺りが女性作家ならではの、女性の支持を得られる世界観作りがうまかったのだろう。

 

またストーリーが面白い、などワンピースなど他の作品でも見られるような特徴は省き、鬼滅ならではのヒットにのみフォーカスを当てた。

 

最後にかなりテイストが近く、同じ女性作家であろう鋼の錬金術師との比較についても述べる。鋼の錬金術師もヒットしたが、恐らく以下の点で鬼滅には及ばなかったと思われる

モノクロームな世界観(ブルートーン一色で衣装もバリエーションがない)

・推しメンの選択肢が少ない(ほぼエドワード・エルリック一択)

・女性キャラの性格バリエーションが少ない

 

特に主要な女性キャラで活躍したのが、アームストロングと師匠のみの両方バトルタイプ、というところが女性の共感を呼びづらかったと思われる。(ヒロイン役のウィンリィがあまり、物語の主軸に絡んでこない)

鬼滅も主役は炭次郎だが、胡蝶やねずこといった、準主役級に多くの活躍を与えたこともファンをうみやすかったのだと思われる。

仕事と趣味の時間軸

寿司職人の世界では「飯炊き3年握り8年」という言葉があるようだ。

ホリエモンがそんな期間要らないと言って、物議を醸したことも最近のことだ。

 

寿司職人でない一般の社会人も、社会人何年目、あるいは社長歴何年目という話をビジネスでしたり、あるいは茶道何年、花道何年という習い事でも、年数の話になることもある。

 

ここでテーマとなるのは、「一体何年やればいいんだろう?」ということだ。

仕事でいえば、例えば1年しか弁護士の経験がない人に頼むよりは、10年くらい弁護士の仕事をしている人に頼みたくなるのは自然かもしれない。

 

しかし、弁護士歴10年と20年でどっちが良いか、と言われても、素人にはわからないか、年齢以外の要素で決めるのが普通ではないだろうか。

 

正直言って、仕事のできる、できないは、社会人歴40年も50年も

そこまで大きく変わらないのではないだろうか。

 

一方で最初にあげた寿司や、職人の世界では、年数によってどんどん技術が洗練されているのかもしれない。しかし、最高の技術で握った寿司と、そこそこの技術で握った寿司の違いがわかる人は一体どれくらい、いるのだろうか。

 

ホリエモンが言いたかったことの本質も、そこではないだろうか。

結局美味しい魚があって、ある程度技術があれば、ほとんどの消費者は満足するから、ビジネスや他のことに時間を使ったほうが良いのではないかと。

 

もちろんそれは、その人の目指すところで決まりもするだろう。

「寿司業界」というプロの中で、最高の技術と称されたいのであれば、おそらく10年や20年では効かないのだろう。それは他の業界もそうであろう。

 

しかし、「お客さんが喜び、自立してお金を稼ぐこと」を目標にした時、それは職人の頂点を目指すレースには乗らないので、そのルールは適用されない。

 

これは他のビジネスでも言える。いや、ビジネスの方が努力ではどうにもならないことが多い分、年数だけでは測れない。

 

ちなみに、ホリエモンは起業してマザーズ上場まで4年で持って行ったが、そもそも起業する前のスキルが活きているとすれば、その年数でカウントする意味がどれだけあるかもわからない。

 

そして、40代、50代の時間軸で考えると例えば、40で起業しても、50では10年目になる。

 

趣味も同じで、例えば中学から空手をやって35で辞めても空手歴は約20年

35で始めて、55で辞めても同じ20年だ。そしてむしろ現役であることの方が重要だ。

 

20代-40代という結婚や子育てに最も適した時間をどう過ごすかはあるにせよ、

人生100年時代の時間軸で考えると、50代で何かを始めても、生涯で歴30年40年に至ることもできなくはない。

 

つまり、人生100年時代においては

・何を、どこを目指すのか

・その年その年でしかできないことは何か

・自分の人生の優先順位は何か

 

このようなことを自分で設計する必要がある。

1世代前までの、年齢と共に生き方が決まっていたわけでなく、仕事も実力主義で、何歳でも成果さえ出せば問題ない。それが下に出たのが小学生ユーチューバーとも言えるだろう。

 

何かを始めるときに、考えて欲しい。30代で始めても、50代では20年目だ。

寿司職人を目指したとしても、文句を言われない年季になれる。

 

だから、大事なのは、「どう生きるか」そういう時代なのである。

 

そして、どう生きるかを選べるのは、貧困や戦争といった要素がないからできるのである。だから、どう生きるかを選択できる今の日本はとても尊いのだと思う。