税金の視点からだけ見ると、親の脛はかじるだけかじった方が得です。
なぜなら、扶養義務が存在し、子供の生活費は無税になるからです。
例えば生活費を年1000万円親が払ってくれれば無税ですが、1000万円を子供に与えるとなると、贈与税なら20%で200万円が、相続なら相続税がかかります。
ですから、資産を移すタイミングとして、親の死後の相続税、その少し前の贈与税と考えがちですが、子供が若いときに生活費を渡した方が、親が財産がある場合は、税金的には有利になります。
ですが、そのようなことを皆がし始めたら、国としては大損害です。
働かない人が増えるというのはどういうことを意味するでしょうか。
まず、労働者が減りますからGDPが減りますし、納税者が1人減ることになり、それが増えれば大幅な税収減になります。
ですから、政府は世論を働かないは悪、親のすねかじりは悪、という方向にメディアを誘導します。
(そこに加えて日本人の真面目な気質と村社会意識が、ニート叩き現象などを生み出します。)
ちなみに働くことが正しいか否かではなく、本当に人が幸せになるには、使命の仕事を自発的にするのが一番良い、というのが私の見解です。
世論の波に呑まれると、物事の本質を見失います。
そして今回は、政府のロジックがテーマです。
政府はなぜ、勲章を与え、メディアを用いて高額所得者がまるで人として上位であるかのような誘導をかけるのでしょうか。
それは、高額所得者はそれだけ国に税金を収めるからです。
ですから金持ちは国に優遇されます。富裕層ランキングや高額納税者ランキングなどが存在するのもそのようなものです。
金持ち=高額納税者がリスペクトとされる世界観を演出するのです。
ですから、本当の富裕層の子弟がどれだけ親の脛を実際はかじっていても、世論に出ることはまずありません。
中流階級の家庭で親の脛をかじる人が問題視される報道はあっても、財閥の子弟が同じことをしても報道されないでしょう。
なぜなら、その親がそれを補って余るほどの税金を収めているので、お咎めなしというやつです。また、そうしたお金持ちにあまりに厳しく当たると、いまの世の中では海外に行ってしまうこともあるので、ほどほどにする必要があるのです。
上級国民なるものも存在するのは当たり前です。
差別が存在しないわけがないし、むしろ存在しなかったらおかしいのです。
それは国というものを、どこまでも「人間の集団」と理解すれば簡単に理解できます。それは企業やスポーツチームであっても同じ理屈です。
その企業に多大な貢献と売り上げをもたらす人を優遇しない企業はありません。また、素晴らしいスポーツ選手を進んで手放したいチームもありません。
国であってもその国に貢献する人を厚遇するのは当たり前なのです。
このような国のロジックがわかれば、まず「なぜ世論がそのようになるのか」が理解できます。
そして次に、そのようなロジックがわかれば、無暗に
「金持ちを優遇するあるいは上級国民だから優遇する国はけしからん」、という思考に陥ることもないでしょう。
これはもっと本質的に物事を見ると、国も企業もあらゆる人の集団というものは、どこまでいっても優秀な人間の奪い合いでしかない、ということ、社会とは、どこまでいっても人が大事なのだということが良くわかります。