IT人の政治リテラシー向上を目指して

元政治家秘書、現IT起業家が主にIT起業家、エンジニア、デザイナーなどIT業界人の政治リテラシー向上を目指して、日々のニュースや政治トピックについて言及。たまに起業ネタや映画、アニメネタなども。

なぜ電車の中で電話をしてはいけないのか

意外とあまり言語化されてなかったのであげてみた。

 

それは「キキタクナイ話」を無理やり聞かされるのが、「イヤ」だからである。

 

この「キキタクナイ話」というのがポイントで例えば電車の中で

安室奈美恵が急に歌い出した

向井理田中圭がイケメンなトークをしている

安倍総理が大事な話を麻生太郎としている

ホリエモンが他では聞けない話をしている

 

つまり

×声が大きいのが嫌

×人の会話が聞こえるのが嫌

 

というわけではなく

安室ちゃんであれば、声が大きいどころか、歌でも踊りでもオッケーなのである。また、自分が好きな人、ファンの話や、他で聞けない面白い話は聞けるなら、むしろ聞き耳を立てるはずだ。

 

電車の中で「電話」が「ダメ」で「会話」がオッケーなのはなんでなの?

という問いに関しても、厳密にいえば、電話だからダメで、会話だからオッケーなわけでも本当はない。

 

ただ、一般的に電話の特徴として

・電車の中はノイズが多いから、会話の時より声が大きくなりがちで周りからうるさく聞こえる

・相手が誰となんの会話をしているかよくわからないから、聞いていても何も面白くない(面白くない話を無理やり聞かされている苦痛)

 

なので、仮に電話でも

木村拓哉がスーパーイケメンボイスでkokiと電話で話している

釘宮理恵がモノマネしながら電話で話している

石原さとみが彼氏らしき人と電話で話している

ダウンタウン松本人志が一人でコントを始めた

 

は多分オッケーになる。(一部ファン限定かもしれないが)

 

ダメなのは

×自分の会社の仕事の話を他の社員とする(乗客には関係ない)

×妻と電話で夫婦喧嘩(他所の家庭の喧嘩など聞きたくない)

×友達に電話で悪口、自慢話し(人の悪口、自慢話など誰も聞きたくない)

×下手くそな歌を歌う(下手な歌はなるべく聞きたくない)

 

キーワードになるのは

「キキタクナイ話」

「不快な話」

 

なので実は「キキタイ話」は電話でも会話でもオッケーなのである。

 

基本は、人に迷惑のかからないことが大事で、迷惑に感じるか感じないかが、人それぞれなので、一律にとりあえず電話は駄目になったのだろう。

(鉄道会社の合理化的なトラブル対策)

また、電車の中で瞑想をしたい安室ちゃん嫌いな人からしたら、安室生ライブですら苦痛になるだろう。

だが、瞑想をしたい人もいれば、騒ぎたい人もいるので、とりあえず一律に処するしかない。

 

もう一つ違う角度から話をすると、同じ話を家の中でしたらオッケーで、外でするとなぜダメなのだろうか。

 

本質的なポイントとして「時」と「場所」を間違えることが、悪になる、という基礎概念が重要である。

アムラーにとって生ライブは阿鼻叫喚

×アンチ安室にとって生ライブは騒音

 

○家で一人で愚痴っても、悪い感情は自分が食らうだけ

×外で悪い感情を吐き出すと、周りに被害が及ぶ

 

そして、電車の中でなくても、レストランでもカフェでも、本来は不快な話はみんな嫌だが、電車の中のようなペースメーカーとか他の理由もないから放置されているに過ぎない。

 

そして、この不快感をより深掘りすると、「感情」がとても大事なポイントになる。

例えば、どんな赤の他人だろうが、電車の中でプロポーズして、盛り上がってるカップルを祝福しないわけがないだろう。

「幸福のお裾分け」はオッケーだが

「不幸の押し付け」は結構コケコッコーなのだ

 

人の悪口や叱責など、不快な感情、言葉や音は電話でも会話でも共有してくれるな、なのだが、ルールで「感情的に不快なことは電車の中ではやめてください」という条例は21世紀の日本ではまだ早すぎるから、やむなく「電車の中では電話はだめよ」に妥協しているに過ぎないのである。

 

余談だが、この「キキタクナイ」の権利は自分はもっと大事にされるべきだと思っている(このブログも、赤坂を歩いているときに、聞きたくもない話をスピーカーで流す車に遭遇した時の不快感から生まれている)

 

路上カーは選挙も含めて、真面目に「聞かない権利」について議論されるべきだ。そして22世紀までには認められていて欲しい。

 

さて、たまに上記のルール、快不快に当てはまることなく、とにかく電車で電話をしていると注意してくる人がいるだろう。

 

それらの人は「電話を電車で話してはいけない教」の信者である。「宗教的」になってしまっている状態である。

 

基本的にルールやマナーに関しては、作るたびに宗教的になってしまう人が一定数存在する。

 

つまり、こういうロジックでこれがダメとか、こういう場合が例外になるとか考えないで、とにかくダメだと律法的に人に怒りをぶつけてくるタイプである。

 

これは、「電話を電車で話してはいけない教」以外にもたくさん存在する。

「授業中スマホは電源切らないといけない教」→マナーモードでも可

「最初はビールで乾杯しないといけない教」→パワハラ

「とにかくペットボトルを使ってはいけない教」→他とのバランス

エスカレーターは右側が歩く教」→関西は逆

 

基本的に例外やロジックを考えることなく、なんでも、とにかくダメで「思考停止」状態に陥っているのが、「宗教的」な人の特徴である。

 

つまり、「電車の中で電話をするのはダメ」だと誰がいつ、なんで決めたかはどうでも良く、ただダメだから、相手を裁きたい、攻撃したいから注意してくる、というそもそもの「動機」が異なる人がいる。(正義感とか、自分が思い込むケースもある)

 

こういうタイプの人は、多分「怒りメーター」が限界に達していることが多い。

グラフィカルに言うと、コップに既に水がいっぱいになっていて、少しでも足したら溢れ出すイメージだ。

 

この状態になると、ルールがどうとかは実はどうでも良く「攻撃スイッチ」となるものが目の前に現れると、ゲンスルーのボマーな念能力のごとく発動するのだ。

 

「宗教的」かつ「攻撃的」な状態になると、歩く時限爆弾みたいになるので、その人の目の前でその人がルールだと宗教的に思い込んでいることをやらかすと「攻撃スイッチ」がオンになり、(攻撃=注意)してくることになる。

(いわゆるイライラしている人が八つ当たりをしたいだけ、というイメージでも良いが)

 

この手のタイプは、実はよくよく冷静になってみると、

「なぜ自分が怒っていたかわからない。」

「確かに言われていれば自分が誤解をしていた、理解が浅かった」

など気づくケースも多い。

ただ厄介なのは、一番危険な状態になると、そのまま犯罪や刑事事件に繋がってしまう。

 

例)

歩きスマホを若者に注意→無視されて激怒して電車のホームに突き落とす。

(元々歩きスマホは若者がホームに落ちないよう、注意したのだが、自分が突き落とすという矛盾に。また、歩きスマホで死ぬのはそもそもその人自身のせいで、誰かに迷惑をかけているわけでない、というケースを想定)

 

これはもちろん電車の中でのケース以外にも、様々なケースが存在するが、話が深く長くなりすぎるのでここまで。

 

<まとめ>

・電車の中で電話がいけないのは「キキタクナイ話」「不快」だから

・快不快は個人差があるが面倒だから一律NG

・不快の基準値は個人の好み

・不快だからと注意してくる人の中には、そもそもダメなものはダメだと理由がない怒りの人パターンが存在する

 

※ちなみに電車の中で電話をするのを推奨しているわけではない。

ただ、電車の中で自分の隣で安室奈美恵が歌って踊っても、間違えなく自分は注意しないだろう。