IT人の政治リテラシー向上を目指して

元政治家秘書、現IT起業家が主にIT起業家、エンジニア、デザイナーなどIT業界人の政治リテラシー向上を目指して、日々のニュースや政治トピックについて言及。たまに起業ネタや映画ネタなども。5分で読める1,000文字、10分2,000字を目標。

世界の未来予測、国家というアソシエーションの衰退

まずこれから述べることは斬新でもないが、よく耳にすることでもないだろう

 

現代人の持つ一つの大きな錯覚に、国家とは不可避かつ絶対の帰属先であるという誤解がある。

 

例えば日本で言えば、個人が帰属する組織、共同体には国家と家族がまずあり、次に学校、企業というレイヤーがある。その全てに帰属していない人はほとんどいないし、大多数の日本人はこの全てに帰属している。

 

まず、初めに一つの誤解を解こう。国家とは、企業、学校、家族と同じ一つの共同体のあり方に過ぎず、国家が絶対的な存在であるというのは誤解であり、これら四つは並列的な存在である。

 

それは、近代国家という概念が18世紀に生まれ、日本では戸籍制度が19世紀に産まれたに過ぎず、それ以前の歴史において、国家とは最大の個人の帰属先ではなかった(例えば日本の戦国時代であれば、領民のその最大の帰属先は大名である)

 

なぜ、人が国家に帰属することになったかと言えば、それは一つは防衛、もう一つはサービスのためである。

 

特に19世紀後半、アメリカの南北戦争が起き、初めて総力戦が行われると、戦争は兵力や物量で決まり、国家が国民に対してそれを強制するという概念が生まれた。

 

国民総徴兵などとした、太平洋戦争の思考を色濃く残す現代の日本人にとって、特にそれは当たり前のように感じるであろうが、元々、戦争とは例え国同士の間で自分が当事者であっても、必ずしも参加しなくていいものであった。(それも戦国時代に必ずしも農民が戦争に参加しなかったことのイメージと重なる)

 

つまり、防衛という意味での強制が、国家が国民に対して帰属を促した、というのが一つ。

 

もう一つは、インフラや保険といった、極めて大規模なサービスを利用する場合、その規模の資金調達を公平にした場合、租税というシステムが最も合理的であったことにある。

 

最も大規模なサービスを行うために、最も大規模な資金調達が必要で、最も人口が大きい集団が国民国家であった。この視点に関しては、サービスの受益者側も、国家に所属することによって、特に所得の低い層は大きな恩恵を被ることができるから、強制だけでなく、双方のメリットにより自発的な国家への参加が促されたと言えよう。

 

だが裏を返せば、軍事と租税、それだけが国家が持つ特徴であり、特権であるとも言える。

 

ここでもう一つ誤解を解こう。国家、企業、学校、家族、そのどれも人と人とが集まってできた、共同体、アソシエーションという視点においては同義である。

 

そしてそれに追加をすれば、労働組合、共済、宗教団体、サークル、そうしたものも全て同じ、人と人とが集まってできた集合体に過ぎない。

 

近年、国家権力が弱まってきている。これは企業という共同体の方が国家よりも人気があるアソシエーションだからと見ることもできる。

 

例えば、国家官僚と企業に就職する、というのを同列に共同体に入る選択肢であったとすると、現代では優秀な人材からすると、後者の方が所得も高く、リスクも低い(特にキャリアにおける)ため、選択することになる。そうするとまず、国家を維持する機構よりも、企業の方に人材が集まることになる。

 

また、特に先進国で顕著なのが、インフラが既に出来上がってしまい、既に民営化され、あるいは民間企業が代替のサービスを提供するため、必ずしも国家に帰属することが、高いサービスを受けられることではなくなってきている。

 

防衛に関してもしかりで、民間企業でも一国家に匹敵するような軍事力を保有する研究所やPMCもあれば、核兵器や細菌兵器のようにそもそも人員を必要としない軍事テクノロジーが発展してしまった。

 

言い換えれば、軍事とサービス、国家の二大特権は既に失われつつある。

 

つまり、今挙げただけでも三重に国家というアソシエーションに所属するメリットは失われているのだから、弱体化するのは必然であり、その上部構造である国連が機能不全なのも当然なのだ。国連は世界に無数と存在するアソシエーションの一レイヤーの上澄みをすくっているに過ぎないのだから。

 

今後起こり得るのが、特にサービス面の国家からの分離である。既に日本でもいくつかの共済では、あらゆる生活に関するサービスを提供し、グーグルのような大企業は優秀な人材を確保するために、従業員に対して衣食住、生活に関わるあらゆるサービスを提供しつつある。

 

その行為がイリーガルかどうかの議論はさておき、特に今後、宗教団体や共済は、そのアソシエーションに所属する人間に対し、国家や大企業とは別に、特に所得が低い層に対して、保険、金融などあらゆるサービスを提供する可能性がある。既にそれは行われているが、それがもっと表面化するだろう。

 

それは企業においても同じである。ゆりかごから墓場まで、教育、子育て、あらゆる面をカバーする企業グループが必ず誕生する。(既にしているのがこれも表面化する)

 

国家は最初それを激しく弾圧しようとするだろう。これまでのところ、それらの団体は国家と共存できているのは、それが国家の存亡を脅かすほどには表面化していないのと、国家間の協定と同じで宗教団体と国家、企業間においてある種の協定が存在しているからである。

 

しかし、今後は全世界的に貧富の差が拡大し、先進国においても、国家に所属しているだけの人間はそのサービスだけでは生活できなくなるだろう。そして、個人の貧富の差、というものがどのレイヤーに所属しているかで決まることになる。

 

それは既存の家族、学校、企業、国家という基本の四つでこれまでも決まっているが、特に三番目の企業と、この基本の四つにないレイヤーを如何に活用できるか、という時代になり、そして家族という単位が最も重要になるだろう。(これも正しく言えば既になっている)

 

これから全世界的に起こる現象は、グローバルからローカルではない、巨大な一つの国家というアソシエーションの弱体に伴い、無数の様々な思想やサービスを持つアソシエーションが浮上化する、言わば群雄割拠の戦国時代のようなものである。

 

起業というのも、ある意味戦国時代に置き換えれば、新たな戦国大名が自分の領土を主張するようなもので、企業という器が最も現代社会において、資金と人員を集めやすいため、最も巨大で最も人々が選択する器となっているに過ぎない。

 

そしてこうした企業群はいずれ、独自の通貨を発行すると、ますます持って、国家にとってその存在は脅威なものとなってくる。それは企業において、例えば社員割引という別レートの価格を設定することで既に行われている。

 

それがブロックチェーンやそれに類似する技術によって加速化されるだろう。国家はもはや通貨の発行権も失いつつあるのだ。

 

司法権や警察権も一見侵し難いように見えるが、それも学校において教師やガキ大将が担っているように、国家にだけ可能な権利でもない。

 

ここで、国家の存続の意味を逆に擁護する。

とは言え、アメリカのような超大国がすぐに聚落し、中国のような国家を上回るような企業が誕生するとも思えない。

 

アメリカの権力の基盤である海軍力を凌駕するアソシエーションなど存在し得ないし、中国ほどに人口、資源、陸地、野心を有するアソシエーションも出現しない。

 

その意味で、ここで強調したいのは、あくまで国家が無数にあるものの中の一アソシエーションに成り下がる、という現象と、おそらく国家とは最低限のイフンフラを提供し、他のアソシエーションに対する牽制や統制の一過渡期のメディア(媒介)としての役割が強調されるのではないか、という可能性である。

 

もっと要して言えば、世界は中国やアメリカの存在は無視できないが、どちらも世界を支配することではきないし、国家の役割は変化し、次第に弱体化するということである。

 

以上のことは途中何度も言及しているが、目新しい現象ではなく、マスメディアの都合により、一般的に国民がマスメディアを通しては知ることはない、今の人々の真の“生活の実態”である。

 

さておそらく向こう100年で課題となるのが下記である

①ますます肥大化する企業というアソシエーションをどう抑留するか

②自らの生活を守るために、如何にして、どのような基準を持って自らが所属するアソシエーションを選択するか

③国家の弱体化が一層表面化した時に世界的にどのような事態が引き起こされるか

など

 

ますます持ってこのテーマの議論は尽きない。ただ、最も重要な点は、おそらく人類が始まって以来、最も強力なアソシエーションというものの思想やルールは変化していない、ということである。それは様々な国の様々な言語で様々に表現されているが、一つの呼び名は王道という。

 

したがって、一時的な一部の企業が全世界の市民の権利を侵害し、独裁しているような現象が起こり得たとしても、それは揺り戻しがくるであろう。

 

そして、普遍なものがある中で日本、日本人が担うべきところは、その普遍さ、王道と呼ばれるものが、テクノロジーによって、全世界、全市民に普及することが可能となったその担い手としての特徴を持つのである。

 

王道を全市民に対して普及する、という概念は日本の文化からしか生じ得ない。一部の欧米の知識人は獲得し、試みてはいても、国としてはまず日本からになるだろう。

 

それは、極めて悲観的な未来予測の中にある、一筋の光でもある。全世界の市民が王道を知り、歩むことができれば、それは全世界の人間が歴史上再び形を変えて幸福になれることを意味する。

 

そしてその時までくれば、アソシエーションというものは生活のためではなく、もっと人の本質のために存在する器となるだろう。