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IT人の政治リテラシー向上を目指して

元政治家秘書、現IT起業家が主にIT起業家、エンジニア、デザイナーなどIT業界人の政治リテラシー向上を目指して、日々のニュースや政治トピックについて言及。たまに起業ネタや映画ネタなども。5分で読める1,000文字、10分2,000字を目標。

ナレッジの時代とその次の時代

現代社会において最も重要なものは情報、ナレッジと言える。

 

あらゆる分野において、「勝者」となるか否かというのはナレッジによって決まる。にも関わらず、人々はそれを余り掘り下げようとしない。

 

理由は幾つか存在する。

①(ナレッジを)獲得する時間がない

②必要性あるいは重要性に気がつかない

③情報量が膨大過ぎて処理できない

④わかっているが行動しない

 

例えば、多くの人間がお金持ちになりたいと思っているが、世の中にお金持ちは多くはない。それは社会構造にもよるが、どこに行って何をすればそれが得られるか(しかも合法的に)それがわかっていれば実行するが、多くの人間はわかっていないからである。(あるいはわかっていても行動しないこともあるかもしれない)

 

現代社会というのは、ある意味、この情報格差、マッチングの不成立によって成り立っている。あらゆる情報が集約され、自身の願う指向性(何かが欲しい、何かを望む)事が全て最適化されていくのであれば、今の世の中というものは維持し得なくなる。

 

これを人工知能によって解決することは可能であろうか

 

まず、よく言われる記憶のチップを脳内に埋め込む場合を考えてみる。これは実際はただの記憶装置を外部か内部に持つかだけの話しで、広辞苑を購入して読むことと本質的には変わらない。ただ、参照の速度が秒からミリ秒以下に変わるだけである。

 

だが、逆にこれを思考できるコンピューターに処理させたらどうだろうか。例えば自分は金持ちに成りたいとする。そして、そこに膨大な株式投資に関わる情報を入力する。そして、確実に儲かるアルゴリズムを組んだとする。この場合起こりえるのは、そういうコンピューターは秘匿されなければ、誰もが同じ行動を取るため、結局は儲からなくなる、というジレンマに陥るだろう。

 

つまり、人工知能によって、ナレッジ・デバイドが埋まる、あるいは標準化されて誰もが同じ情報を入手できるようになるとき、ナレッジの差やマッチングの不具合を利用した現在の社会の仕組みは、維持できなくなるのである。

 

そもそも思考できるコンピューターが産まれれば、人々の仕事の大半コンピューターが担ってくれる。その世界は一見、誰もが働かなくても暮らせるユートピアに見えるが、富の資源配分というものは如何にして行われるというのであろうか。

 

現代であればそれは資本力で、例えば所有する土地のサイズを決めているが、誰もが労働しない社会では、資本力でそれを決定することはできない。人間性だろうか?美しさであろうか?いずれにせよ、そう簡単な問題でないことは間違いないだろう。

 

その時代にはナレッジというものが今程の意味を持たないだろう。全てのナレッジは共有化され、その情報の最適化もなされることになる。例えばどこに一番美味しいレストランがあるか、どこに行けば最も欲しいものが安く手に入るか、それが国境を越え、正確にわかるようになる。それだけなら、ある程度の正確さは犠牲にして現代でも実現しているが、今自分が取るべき最適な行動、自分の目的のために、あるいは欲するものが最適化されるようにもなる。(そこから行動および実現するかは今回は議論から省く)

 

これは裏を返せば、本当に優れた正確なマッチングシステムというものは、世の中を破壊しうる力を持つということである。

 

ナレッジが力とならない世界というのは、教育の分野で言えば、英語やプログラミング教育といった、今の時代で求められているようなスキルが必要ない世界とも言い換えることができる。同様に、医者、弁護士、会計士といった知識を生業としているような職業も今の形では維持できなくなるだろう。

 

そのような時代において、先ほども述べたが、何を持って資源の配分をするのか、まずそれが根本的な問題となるが、我々は次世代の人間に何を教えればよいのだろうか。それは親として、教師として、あるいは祖先として。個人に対しても社会に対しても。(教育ですら、標準化・最適化・機械化されているのかもしれないが)

 

労働しない時代においてよくSFなどでみられるのが、音楽や芸術にのみ没頭する人間が全く労働しないで趣味だけに人生を費やせる世界である。(だが現実は人は適度なストレスを求めて労働をしたがるような社会も描かれる時もある)

 

そういう時代に適した幸福の在り方であろうか、逆に原始時代のようなサバイバル能力を人間の本能に従って追究するのか。それとも、未開の宇宙や深海に注意が向けられるのだろうか。

 

あるいは、労働しない社会においては、差別化された個性のようなものは、より社会を乱す性質として抹殺され、全てが標準化されてしまうのだろうか。

 

もう一つ、未来に関して考えることとして、もし人間が人間の遺伝子の複製なしに、人間を一から作れたとしたら

 

現在の人間は宗教で言うとキリストの「原罪」、祖先で言えばカニバリズムの伝統など、あらゆるものが遺伝子に組み込まれている。そして、それらが、暴力や犯罪を呼び起こすとするのであれば

 

「原罪」のない人間だけをビーカーの中から作り出し、新しい人類社会の住人に据える、という考え方がでてきてもそれほど不思議ではない(この辺は漫画、風の谷のナウシカでも描かれている)

 

上記に述べたことは現在的の価値観にしてみれば非常にグロテスクに感じるだろうが、未来の時代の価値観は今とは全く異なるから、例えば映画マトリックスで描かれた人間電池も、未来人にとってはそれがグロテスクなものとはならないかもしれない。(例えば今の我々の文化も昔の人からみれば随分グロテスクに間違いないだろうし)

 

いずれにせよ、人工知能によって社会が変化する時代になるのであれば、我々が次にしなければならないのは「社会のデザイン」である。そしてそれは合議によって、民主主義的になされることはないだろう。テクノロジーに理解のある人間、文系理系問わず優れた総合知を持つ世界的な一部のエリートによってなされるのか、あるいはそのプロセスすら人工知能に委ねられることになるのかはわからないが、そのいずれかに近い形にはなるだろう。

 

ナレッジ・デバイドがあるまま、テクノロジーによって突如としてナレッジ・デバイドのない世界に世界の人々は投げ込まれるかもしれない。