IT人の政治リテラシー向上を目指して

元政治家秘書、現IT起業家が主にIT起業家、エンジニア、デザイナーなどIT業界人の政治リテラシー向上を目指して、日々のニュースや政治トピックについて言及。たまに起業ネタや映画ネタなども。5分で読める1,000文字、10分2,000字を目標。

ヒトとAIの境界にあるもの、リテラシー問題について

人工知能の急速な進化によって奪われる仕事や、新たにできる話しでしばしば世間は盛り上がってはいるが

 

実際、進化しているのは人工知能だけではないのではないか

 

インターネットによって、大抵の情報は、現在は入手可能になっている。例えば、アインシュタインの発見した相対性理論だが、当時はその理論を理解できた人間は10人に満たなかったとされる。

 

だが、現在、相対性理論に関する質の高い情報は書籍、ネット問わず簡単に入手することができ、習得することも可能である。もちろん全ての人間が理解できるような代物ではないが、発見された当初よりも理解できている人間の数は明らかに多いであろう。

 

レイ・カーツワイルが言うような、ムーアの法則によるコンピューターの急速な進化、という話しは実際にはコンピューターだけではなく、人間にも起こりえているのではないだろうか。

 

どちらかと言えば人間に起きている深刻な問題は「リテラシー問題」である。

 

今や、科学、コンピューターは勿論だが、一般社会人は自分が口に何を入れているかすら、容易に知ることはできない。

 

学習する意識と時間、環境がある人間のみが、例えば英語を学び、プログラミングを習得し、「ビットコイン」というものが実は何であるか、を知ることができる。

 

各分野、テクノロジーにおける進化のスピードは早く、最先端にいる人間と、素人との間では深刻なギャップが生じ、それは賃金という実生活の面に反映されることもある。

 

政治に起きている現象も正に同じで、素人と政治のスペシャリストとの間の知識量の差は膨大で、この間のコンセンサスを選挙で取ることはますます容易ではなくなっている。

 

リテラシー・デバイドというのが現代社会に起きている様々な問題の大きな原因であると私は分析する。

 

では、人工知能というのはこのリテラシーを埋めるだろうか?

 

それは原則、使い手に委ねられるだろうが、リテラシー・デバイドを加速させる方向に圧力が働くであろうことは容易に推測がたつ。

 

例えばデータを分析し、人工知能が発見したデータの相関、それがどういうことなのかわからないが、とりあえず有効なデータ相関だ、というようなことがこの先起こりえるだろう。

 

だが、例えばディープラーニングやデータマイニングというものは、人間の無意識領域に近い話しであり、人間がそうした作業を完全に代替できないものというわけでもないのだが。

 

もう1つ例をあげると、人間の言語を理解できるコンピューターができたとして、そもそも人間同士がお互いの言語を現時点で理解しているとは到底思えない。

 

例えば「幸福」「信頼」「友人」「愛」こうした単語から連想されるものは、概ね人間同士で共通はしている。(友人という単語から普通はケーキを想像したりしないように)

 

しかし、本当のところでお互いの認識する言葉の意味は違っている。例えば、家族が幸福であることが自分の幸福である、という人間もいれば、自己実現が自分の幸福だいう者もいるように。

 

こうした「枠組み」は似ていても「細部」は違うような事柄を、どう人工知能に認識させるのだろうか?この辺が人工知能に言語理解させることが、ハードルが高いと言われる理由の1つである。

 

まず考えられるのは、人間の方で概念を細部まで統一することである。(俗にいう機械学習における教師あり学習である。)

 

もう1つは、むしろ人工知能によって、言葉を定義させることになる。(教師なし学習)

 

後者は特に、ヒトとAIのインタラクティブ・コミュニケーションを発生させ、むしろ人工知能により、ヒトが進化する構図を秘めている。

 

先ほどのリテラシー・デバイドに絡めて話しをするなら、あまりにも人工知能が素人にとってわからないものになるとき

 

人工知能はある種の神のように、権威としての存在となる。つまり、今で言う、政府が言うから、専門家が言うから、新聞がメディアが、というように、人工知能が判断するから正しい、という風潮が形成されるようになる。

 

その神格化の度合いはこれから産まれる人工知能の精度にもよるが、それは神や宗教に似ていて、一部の特別な人間、あるいは誰もその実態はわからないが、それはたいてい、ヒトよりも正しい結論を下し、人々の幸福に寄与する。その時、ヒトはある種、自発的にマトリックスに身を委ねることになるだろう。

 

逆にリテラシーの差を埋めるために、人工知能は人類に寄与することはできないか?

 

この答えはイエスでもありノーでもある。

 

人工知能によって、人々が今より働かなくて良い社会になり、その時間を人々がリテラシーの獲得に使えるなら、あるいはリテラシーを容易に学習できる仕組みが作られればイエスであり

 

全てを人工知能に任せて、ヒトは何も考えることなく暮らすならそれはノーとなる。

 

あるいは、人工知能そのものを先ほどの言語定義のように、人間が人間を、世界を知るために活用し、その循環がシステムとして成り立った時、人間社会は新たな飛躍を得ることは間違いないだろう。それは、非常に緩かではあるが、望ましいシンギュラリティの形の1つである。