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IT人の政治リテラシー向上を目指して

元政治家秘書、現IT起業家が主にIT起業家、エンジニア、デザイナーなどIT業界人の政治リテラシー向上を目指して、日々のニュースや政治トピックについて言及。たまに起業ネタや映画ネタなども。5分で読める1,000文字、10分2,000字を目標。

環境問題の本質的な論点①本論編

これは全て、CO2であり、原発であり言えることだが、概ね環境問題の論点はズレたところで争われているように思う。

 

環境問題はまず、人類の生存に関わる論点と、そうでない論点、いわゆる地球環境保全、エコに関わるような論点に別れる。

 

イメージとしては生存に関わるもの、例えば温暖化などがまさにそうで、それがまず軸にあり、野生動植物の保護や自然公園の保護など、それ以外の細分化されたエコ的な枝葉の論点が無数にある感じである。

 

そして、環境問題の本質とは、異なる二つの意見のどちらを、多数決による強制するかである。

 

とりあえず軸の方からみていこう。

 

一つはいわゆる環境保護論者である。これは突き詰めると、自由や利便さを犠牲にしてでも、人類が少しでも長く地球上に生存しよう、というものである。

 

もう一つは現在の自由や利便さを継続しようというもの、あるいはまだそれを獲得していない国や人種はそれを目指そうというものであり、人類が長く地球に生存するかよりも、今いる地球人がどれだけ豊かに暮らせるか、というものである。

 

環境問題の軸の論点とは、この両者がお互いの価値観をお互いに強制し合う、というものであるから実際は難しいのである。

 

現在であれば、例えば非常に中途半端な対応をすることは可能である。だから、みなこれが環境問題の本質的な論点だと気づきにくい。持続可能性という言葉で、ある程度の豊かさと地球環境保全を両立させることが出来ると信じているからだ。

 

だが、例えばこれが既に石油資源が枯渇した状態であったらどうだろうか?そういう未来は大なり小なり訪れる。もっと言えば、どの世代が果たして人類最後の世代になるのだろうか?それは誰にも分からないそれは100年先かも1000年先かもしれないし、今かもしれない。

 

持続可能性といっても、現在はまだ資源の豊富さに救われているだけに過ぎない一面がある。

 

では、そういう資源が枯渇しないために、我々の子孫が貧しい暮らしをしないために、そのためには今の豊かさをある程度捨てる必要がある。そして、これが環境問題の最大の問題なのだが、それを人類全体でやらなければならない。

 

それが環境問題が、異なる二つの意見のどちらかにコンセンサスを合わせないといけないという問題の意味である。中途半端にやる人間とやらない人間がいる、という状態が作れないのだ。

 

だが、勿論、人々の中には今の豊かさを捨てたくない人もいるだろう。その理由も様々で、極めて利己的に考えている人もいるだろうし、単に楽観的な人間や無知な人間もいるだろう。

 

しかしながら、世界がいつ終わるか、人類が終わる世代がいつなのか、それは誰にも予想できない。我々の代かもしれない。にも関わらず、今日明日滅びるかもしれないのに、今の楽しみを捨てろと言えますか、ということである。

 

世間的には環境問題に取り組まないあるいは、軽視するような輩は利己的な存在のように思われたりする。が、実際はそれを批判する側が、本質的に環境問題に取り組むことがどういう事かわかっていない。

 

今を生きることを大事にするか、それとも明日終わるかも知れない世界であっても明日を大事にするか、どちらか選びなさい。そういう極めて答えのない厳しい問題を突きつけられているのである。

 

私には正直それに答えがあるとは思えない。現実的に、本当に危機が迫ってどちらか選ばなければならなくなったとしても、果たしてコンセンサスが取れるのか疑わしい。

 

もう一つ、ある種の楽観的な見方も存在する。

 

それは資源の問題をテクノロジーによって解決しようというものである。

 

例えば核融合発電である。これが実現化すれば化石燃料に依る事無く、ほぼ無尽蔵なエネルギーを供給できる。海水すら真水に変えることができる。すなわち、土地が許す限り人類を養うこともできるし、宇宙開発ももう少し現実的になるだろう。

 

しかし、太陽と同じようなものを地球上で再現するわけだから、そのリスクも計り知れない。事故があったらそれこそ地球が吹っ飛ぶかもしれない。

 

気候や地殻、地球を管理できるシステム、ジオコントロールシステムも同じようなものだろう。極めて魅力的な案には大抵、極めて巨大なリスクが伴う。

 

楽観視するならばリスクを引き受ける覚悟がいるだろう。