“大衆は最も慣れ親しんでいる情報を真実と呼ぶのである”
私は佐藤優の本の愛読者である。外交に関する情報などは、ほとんど彼の情報をベースにしている。
元外交官として、外交の書籍もオススメできるが、佐藤優が今これ程読まれているのは、あるいは読む必要があるのは、才能も勿論だが、彼がプロテスタントで、マルクスを読み込んでいるからではないかとふと思った。
と言うのは、現代の日本を作っている文化とはこの両者を外しては考えることができないからである。
まずマルクスだが、マルクス自身は資本主義の分析家と言っても良いらしい。従ってマルクスの資本論を読むことは、タイトル通り資本主義を理解することに繋がる。そして現在の日本は当然資本主義である。
そしてプロテスタントとは何かという話しだが、佐藤優の流派は分からないが、今のアメリカを作ったのはピューリタンと呼ばれるヨーロッパのプロテスタントの人々である。
そしてアメリカは二つの世界大戦の後に、覇権を手にし、全世界の影響を与え、特に日本には戦後の間接統治という形で日本に強い影響を与えてきた。自由や平等といった精神もそうである。
従って、マルクスとプロテスタントの文化や趣旨を理解することは、現在の日本、世界を理解するのに非常に役に立つ。これも佐藤優の受け売りではあるが。
例えば今の日本。どういう人間が尊敬されるか?基本的には『成功者』である。しかし、成功者とは何かと言えば、その基準は大体『金儲け』ができているか否か、金持ちであるか否かである。
例えば私がここでどれだけ意見を述べようが、まず読者が思うのは本質的に私が成功者であるか否かであろう。実際に「何を」言っているかよりも、「誰が」言っているかの方が、人間は説得力を感じやすい。
(実際、中身があれば成功するわけだから、あながち基準として間違っているわけではないが、上澄みだけ見る人間が多いのではないかということ)
だが、実際のところ、人間は「何を」言っているかで判断する能力も持っているし、他の基準で人間を評価するレーダーも持っている。人間性や人格で評価することもできるのだ。
にも関わらず、大半の日本人は貨幣を中心に物事を考えている。これは、実は日本人が無意識的に拝金主義に陥っているからに他ならない。
おそらく大半の日本人に、あなたは拝金主義者ですよね?と質問すると私は違う、と露骨に嫌な顔をして否定されるだろう。にも関わらず、金持ちと結婚したいと思い、あるいは大企業や有名人を心では崇めている、そんな人は少なくないのではないか。(むろん、そうでない人間もいるがまだ少数派ではないだろうか)
それは自身が拝金主義に陥っていることに無自覚であるからである。
日本には西欧イスラムのような国家宗教はない。神道国家ではあるが、原則は政教分離であり、神道にはユダヤ教のタルムード、キリスト教の聖書、イスラム教のコーランに匹敵するような人々の生き方を示した普遍的な書物はない。
従って、日本人は知らず知らずのうちに、無神論と言うより、テレビのようなメディアや社会の蓄積が宗教に成りやすい面を持っている。それが今日では拝金主義というわけだ。
同様に、日本人の勤勉さ、少し度が過ぎているように思える文化も実際はピューリタンの文化の影響が大きい。元々ピューリタンは禁欲と勤勉を美徳とし、それにより勢力を拡大した宗教でもある。
普通の日本人に何故、勤勉で禁欲でなければならないのか?と質問していても、何となくその方が良い、位の答えしか返ってこないだろう。しかし、一生懸命働くという日本のいわゆるサラリーマン文化はピューリタンの文化そのものであると言っても良い。
更に言えば、現代の日本を作っている憲法もピューリタンの影響を強く受けたものである。
従って、ピューリタンを理解することは、労働者の文化、自由や平等といった価値観、大半の日本人に刷り込まれている、今の日本の社会の「当たり前」を理解することに繋がる。
そしてそれを理解した上で、西洋あるいはイスラムを見ると、何故文化が、どこが違っているのかを理解することに非常に役に立つ。
そしてここからは完全に私の意見になるが、要するに資本主義の限界が今の社会問題の大半を引き起こしているのだから、少なくとも新しい文化を創出することがあらゆる社会の問題解決の一つとなり得るのではないだろうか。
そのためにはまず、現状を知り、自覚すること。そのためにマルクスやキリスト教を理解すること、そして佐藤優の書籍を読むことは、知らず知らずの内、この両方を学ぶことになるのではないかと思う。
今日のまとめ・ポイント