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IT人の政治リテラシー向上を目指して

元政治家秘書、現IT起業家が主にIT起業家、エンジニア、デザイナーなどIT業界人の政治リテラシー向上を目指して、日々のニュースや政治トピックについて言及。たまに起業ネタや映画ネタなども。5分で読める1,000文字、10分2,000字を目標。

なぜテロリストと交渉してはいけないのか〜私人と公人の違い

世界の常識はテロリストからの身代金、その他あらゆる要求に応じていけないのは原則である。

 

その理由としては、一度テロリストの要求に応じてしまうと、また同じことができると思って、同様のテロが起きる可能性を増やしてしまうからである。

 

ただ、もう一つ違う側面もある。

 

その前に絶対にテロリストの要求に如何なる場合も応じてはならない、と私が公に言ったとする。

 

この時に一つの反発が予想される。もし自分や自分の家族、親しい人間が同じような目に遭っても同じことがお前は言えるのか?というものである。

 

率直に言おう。答えはNOである。

 

ここでまず最初に考えなくてはいけないのは、個人・私人としての考えと公人としての考えを分ける必要があるということである。

 

個人としては、正直誰が何を言おうが思おうが問題ない。私の場合、私の家族が同じ事態になったら、どんなことをしても解決しようと思うだろう。

 

そしてそうした私人としての考え、命はお金では買えない、尊いものだ。自分にとっては被害者は1人の他人であっても、被害者本人にとっては自分の命はかけがえのない、唯一絶対のものだ。だから、何としても助けなくてはならない。その考えは至極まっとうで筋の通った正論と言えるものだ。

 

しかし、公人として考えなくてはいけないのは、現実の利と非の選択である。救出した場合の利と非、そうしなかった場合の利と非を冷徹に計算して、判断しなければならない。それが政治家や官僚の仕事である。

 

思うに、最近の政治家や官僚はこの両者のバランスが崩れている場合が多いように思う。安倍総理や麻生大臣も、個人としては人の良い、熱い思いのある人物かもしれないが、公人としての判断に私人としての感情を入れ過ぎているように思う。憲法改正などは、利と非の計算からは出てこない発想である。逆に官僚は利と非ばかりで、そもそもの人間性が構築されていない人物が批判されることが多いのではないか。

 

話しを戻すが、個人としては助けたいと思っても、政治家としては利と非の計算をして意思決定をしなければならない。

 

今回の場合に当てはめると、数百億という金額を渡すとどうなるか、という問題だ。

 

テロリストは受け取った資金で盛大なバカンスでもするのだろうか?そうではないはずだ。受け取った資金で大量の兵器を購入するだろう。そして、その数十倍数百倍の人々を殺すだろう。

 

これこそがテロの要求に応じてはならないもう一つの側面である。

 

違う例をあげよう。最近日本から北朝鮮への資金の送金の緩和があった。その金額は、1人あたりは微々たるものかもしれないが、その資金を総額すると相当な額になる。その資金で北は核開発を進めるだろう。

 

そして何故日本政府が送金の緩和をしたかと言えば、拉致問題を政権がなんとしても進めたいからだ。

 

拉致問題をこのままにして良い、と言っているわけではないが、その代償が北の核武装なら、方法はもっと慎重に検討する必要があるのではないか。

 

同じような話しは実は原発問題にも言える。原発など無い方が良いに決まっている。だが無くなったらどうなるか、具体的な影響を比較衡量して、意思決定ができているか、ということだ。

 

しばしば、国民の要求と政治家の行為が乖離するのは、実は国民は私人としての考えを持ち、政治家・官僚は公人としての行動をするからであるケースも多い。

 

従って、国民も政治を考えるのであれば、ある程度個人の考えだけでなく、公人としてはどう考えるか、その思考が必要になってくる。

 

公人としての思考とは何か?それは利と非をできるだけ客観的に見る事、すなわちより広い全体の範囲を見ることである。

 

原発の例で言えば、原発を止めれば、その分エネルギーを他に頼ることになる。日本は石油が出ないから、諸外国から購入しなければならなくなる。それは外交に影響を与えないかなどといった考えである。

 

(一応断っておくが、私個人としての原発に対する意見は原発再稼働賛成ではない。ただ、原発そのものは慎重を要する問題だと考えている。)

 

今日のまとめ・ポイント

  • 国民も政治を考える時は、個人としての思考と公人としての思考を持つ事。
  • 公人としての思考とは、感情や偏見に惑わされず出来るだけ客観的に利と非を、出来るだけ広く全体の視点から見る事。