IT人の政治リテラシー向上を目指して

元政治家秘書、現IT起業家が主にIT起業家、エンジニア、デザイナーなどIT業界人の政治リテラシー向上を目指して、日々のニュースや政治トピックについて言及。たまに起業ネタや映画、アニメネタなども。ちょっぴり認識力が上がるブログ。

お金の本質

お金に関する重要な本質は3つあります。

信用創造

②交換(価値の主観性)

私有財産

 

この3つの概念がちゃんと理解できれば、投資でもビジネスでも資産管理でも、お金に困ることはおそらくないと思います。

(図らずもマルクス資本論の解説になってしまうかもしれませんが)

 

信用創造

お金の仕組みの本質の1つに、信用が高い方がお金を創造しやすい、という性質があります。

簡単に言えば社会的に地位も名誉も高い人の方が、お金を借りやすいし集め安いです。

例えば孫正義が新しいビジネスをやるから投資をしてくれ、と言えば数億円はすぐに集りそうですが、全くの無名の素人が同じことをしても、必死で説明を求められかつうまくいかないことが、ほどんどだと思います。

 

この一般の素人と孫正義との間に横たわる違いが「信用」なのです。

 

ですから、孫正義は信用によってお金を創造しているとも言えるのです。

 

この信用を実績という言葉に置き換えると、よりわかりやすいです。

 

ビジネスでは実績を見て仕事の発注をかけることが多いですが、これは言い換えれば、信用が売上を作っているともいえます。

 

東大に行っていい企業にあるいは、官僚になって、あるいは弁護士資格をとって、といういわゆるエリートコース的な考えもこれに基づいています。

 

名声をお金で買っても、借り入れで信用を買っても、それ以上の売上が見込めるなら、赤字にはならないのです。(例えば学費に投資し学歴を手に入れ将来回収する)

 

この信用をお金で買って、さらにお金を産む、ということの本質は、結構気が付いている人は少ないように思われます。

 

本当に名前だけ買って実際はできないのが詐欺師ですが、お金の仕組みを悪用しているのは、詐欺師の方がむしろ多そうです。

 

②交換(価値の主観性)

以前説明したので、前回話しきれなかった、「わらしべ長者」と相対価値の話をします。

http://itseiji.hatenablog.com/entry/2015/05/12/182322

まず、おさらいとして、モノの価格というものは基本的には主観で決まります。

ですから、原価が10円でも、買い手が1億の価値があると思うなら1億円でも取引されます。

 

この交換の時のもう1つのポイントは、お金の価値は人ぞれぞれ違うということです。

 

これも、結構気が付きにくいところなのですが例えば、お小遣いの貯金が総額1万円の人の100円と、総資産が1億円の人の100万円は、桁は4桁違いますが、総資産に対する割合はどちらも100分の1です。

 

よく大金持ちの1億と普通の人の1億は違う、という話と同じです。

1000億資産がある人にとって1億は失敗してもなんの問題もない金額ですが、全財産が1億の人にとっては、文字通り全財産をかけていることになります。

 

これは違う言い方をすると、お金を持っている人は、持っていない人に比べ、お金の価値がある意味希薄になる、つまり同じ1億円でも、感じる相対価値が、自分がいくら持っているかによって変わって来るのです。

 

これがいわゆる「わらしべ長者」の話でもあります。

 

なぜ、わらしべ長者が成り立つかと言えば、例えば食べ物を沢山持っているが、水を持っていない人は、食べ物を多少差し出しても水が欲しいですし、水を沢山持っていても食べ物を持っていない人は、多少水をあげても食べ物が欲しいのです。だから食べ物と水で交換が成り立ちます。

 

そして、お金を沢山持っている人にとって、お金を多少払っても欲しいものがあれば、取引に応じます。ですから、わら一本から最後は大金になるのです。

 

そしてこのわらとは、ビジネスでいえば、自分ができること、自分にしかできないこと、その何をわらとするかで、交換できるものが決まってくるのです。

 

最も付加価値が高いものを自分が提供できれば、自分がわらとなり、何も持ってなくてもわらしべ長者になれるのです。

 

私有財産

私有財産のテーマは簡単に言えば、「所有するとは何か」、ということになります。

 

例えば我々は通貨を持っているので、家に物がなくなっても、スーパーやコンビニに行けば必要なものが買えます。これは、我々がモノを所有しなくても、小売店がモノを代わりに仕入れ、倉庫のように保管してくれているとも言えるので、仕入れ代と倉庫代を払うよう側面もあります。

 

他にも、友達の家にただで泊めてもらうようなケースも、自身で土地も建物も持たず、あるいはお金を払わなくても、サービスを受益することができます。

 

図書館の本や公園も同じです。公共のものは、その地域の人はいつでも利用できるため、「所有」しなくても「使用」することは可能です。

 

つまり、多くのものは「所有」と「使用」という概念は実は分離することができる、言い換えれば、自分で購入しなくてもいいものは結構沢山ある、ということがいえます。

 

昨今のシェアリングエコノミーというのは、そうしたお金、財の本質を捉えた仕組みと呼べるでしょう。

 

もう少しビジネスの分野でいえば、自己資金がなくても投資家にお金を入れて貰えば、起業できるのと同じです。何もかも自分で所有する必要がない、ということです。お金がないと起業できない、という言葉の嘘はここにも含まれています。

 

では自ら所有することなく、サービスを受けられるのであれば、それが何によってなされるのでしょうか。

 

それが先ほどいったような友人関係、あるいは家族関係、あるいはビジネスでいえば共通の目的や利害関係です。

 

日本人はお金を稼ぐことが目的になり、お金を稼いで何をするかの質問に大抵答えられないことが多いです(以前のブログにも書きましたが、実際は100億位上あっても買えるのは土地か会社くらいです)

http://itseiji.hatenablog.com/entry/2015/02/11/231423

 

そして、実はサービスを受けることが目的なのであれば、むしろ重要なのは「関係性」であり、お金を払って所有する、あるいは私有する必要があるものはかなり限られてくることに気がつくでしょう。

 

(ちなみにお金を稼ぐ目的が貯蓄・投資という答えは使い道が決まっていないのと同じです。基本的にお金を稼ぐことが目的、金持ちになることが目的、というのは、結果的には納税することが目的、と同義なので、国としてはお金持ちになるのが目的の人を増やしたいのかもしれませんが。)

 

所有するのは本来は目的があるからであり、所有が目的になっているケースが多いのではないでしょうか。

 

基本的に私有財産の本質は土地にあります。土地は担保となり、信用を産み、財を産むからです。ですから、地主は何もしなくてもお金が入ってくるのです。

 

ですから、投資やビジネスで稼いだお金も一般的に土地、不動産に向かうことが多いです。これはバランスシートを見ても一目瞭然です。

 

土地は「資産」として計上され、それを担保に借入で現金を「資産」として更に増やせます。このようなことができるのは、基本的には不動産だけです。

 

言い換えれば、資本主義において、所有する最も価値があるものは不動産だけ、ということになります。

 

トランプやあるいは成功している資産家のほとんどはこの方法を使っていると言っても過言ではないでしょう。

 

もっと簡単に言えば資産家がやっていることは

信用創造②交換③私有財産

 

この3つの基本原則に忠実なだけだと思います。

 

そしてこれは努力というより、以下の3つの要素がより必要です。

①本質を理解すること

②知恵を使うこと

③不相応な感情に流されないこと

 

日本人は頑張ったら金持ちになれる、あるいは金持ちはみんな悪いことをしている、お金持ちは運がいいだけだ、とか思いがちですが、その辺は思い違いだと思います。

 

恋愛に例えると、相手のことを知らないのにいくら頑張ってもモテないのと同じです。相手、つまりお金の本質をよく知る必要があります。

 

悪いことをすれば、一時的に金持ちになることはありますが、上記の「関係性」が破壊されますので、暫くすると貧困に陥ります。アップダウンが激しい金持ちが多いのはこのためです。

 

お金持ちは運が良い人が多いのはありますが、例えば宝くじで1億円当たってもお金の使い方を間違えたら一瞬で無くなるので、運だけでは富を維持できません。

 

重要なのはお金の本質を理解し、適切に扱うこと、すなわち適切なフィナンシャルリテラシーとそれを扱う富の器を築くことだと思います。

 

トランプのロジックを理解し、世界情勢を読み解く②

前回、トランプと北のロジックでいくと、「歴史的な同盟」シナリオがありえるかもしれないが、それに絶対的な異を唱えるのが中国とロシアです。

 

まず、中国としては鼻先に敵の基地ができるので、全く許容できるわけはありません(とはいえすでに韓国にあるので似たようなものといえば似たようなものですが)

 

ここで、中国のロジックを整理してみましょう

 

基本的に中国はアメリカや北ほど綺麗なロジックはないです。

 

つまり、習近平は中国を一つにはまとめきれていないとみています。

 

まずよく言われる中国覇権国家説ですが、現状では無理です。

 

そもそも覇権国になるにはいくつかの条件があります。

①海洋覇権(マハンが言うように世界の海を支配すること)

基軸通貨を持つこと

 

この二つが大きな覇権国の条件です。

 

まず、海洋覇権はアメリカ(あるいは英米)と中国とでは、技術的にも世界に展開している基地、艦隊の数でも圧倒的な差があります。

 

アメリカは全世界に基地があり、そこが港にもなります。かたや中国は、海洋という視点でいえば、完全に太平洋側は日本とアメリカに抑えられていて、かろうじて、インド洋に出ているに過ぎません。

 

基軸通貨という点はどうでしょうか。こちらはそもそも中国経済は、「基軸通貨でないことで経済的なメリット享受している国」です。

 

基本的に基軸通貨になると買われますから、当然、通貨は切り上がります。

 

中国は元安の輸出で国を潤す政策をとってきたので、元高になれば国が破綻します。いわゆる中国が引き金で、世界恐慌というのは元高からも起こり得ます。

 

それを自ら今のタイミングで中国がやるか、ということです。

 

基本的に中国が覇権国家となりたいのは「メンツ」の問題だけです。

 

覇権国となれば、アメリカのように世界に軍隊を送る必要もありますが、そのコストは膨大です。

 

加えて、中国はアメリカと違って、チベットウイグルという国内に独立しそうな国家を二つも抱えているようなもので、世界の平和を守るとか言っている場合の国ではありません。

 

基本的に今の中国にとって覇権国となる実益は何一つないのです。それでもそれが議論のテーブルに上がってしまうのは、一部のアナリストがポジショントークを含めて言っているのと、単なるメンツの問題だけです。

 

そもそも、中国は10億人以上の人口と全世界に華僑がいますから、そもそも今の中国のトップはそこから富を吸い上げるだけで充分潤います。

 

従って、国内のマーケットだけで充分にまわるし、むしろ内需をしっかりさせて、元高に備えよう、と考える方が現実的です。

 

その辺の現実派とメンツ派(中国でいえば、三代派閥の官僚系、軍人系、旧革命幹部の子孫たち)のせめぎあいがあり、だから中国のロジックは一本に見えないと思うのです。

 

ですから、仮にアメリカが北朝鮮と歴史的な同盟を交わしても、ロシアがクリミアを占拠したときのように、実際には中国は反応できないのではないかと思います。(あるいは変な暴発が起きる可能性)

 

一方、ロシアの方は北朝鮮アメリカの属国になると、完全に領土を接することになります。

 

基本的に日本にいるとロシアのことがよくわからないので、今のロシアのロジックがどうなっているかはわかりませんが、政治のロジックからすると絶対的に許しがたいと思われます。

 

とはいえ、プーチン自身もクリミア占領という戦後レジームではありえない禁忌をおかしましたし、ロシアがどのような反応をするかは予測しづらいところです。

 

しかしながら、このような方向に向かうと、北方四島返還などは、アメリカの外交とのセットの話になり、その属国である日本に譲歩するいわれはない、ということになり、四島返還に影響することは充分考えられます。

 

一連全て、これも個人的な予測に過ぎませんが、一連の韓国問題にしろなんにしろ、世論は政府を叩いていますが、政府側は、飛んだアメリカのとばっちりを受け、立場的には何もいえずできず、やはり憲法改正して一刻も早く真の独立国家にしたい、と歯ぎしりしている安倍総理の顔がなんとなく浮かびます。

トランプのロジックを理解し、世界情勢を読み解く①

ここしばらく起きている、韓国、香港、あるいは北朝鮮の問題は全て繋がっていると見ています。

 

ただ、これらが繋がっているというのは、いくつかの前提とトランプの頭の中(ロジック)がわからないと全くよくわからなくなります。

 

まず、前提としてアメリカと中国は経済戦争の中にあるということです。(個人的には覇権争いではないと思っています)

 

その経済戦争(戦争と言い換えても良いかもしれません)が表に現れているのが、韓国なり香港の問題です。

 

ここの重要なポイントは、一連の日本の韓国に対する対応は、基本的に後ろにアメリカがいます。

 

基本的にアメリカの承認なしで、日本が単独であのような行動を取ることはできません。

 

むしろ、アメリカが積極的なのか消極的なのかがわかりませんが、指示を出していると言っても良いでしょう。

 

その理由が韓国と中国があまりに近い、というのが一つあります。

 

ただ、このロジックはあくまで「政治家」のロジックになります。

 

つまり、韓国に何らかの制裁を加えるのは、中国から韓国を引き離す方角でなくてはいけないのです。

 

ですが、今回の半導体に関する規制は韓国経済に大きな打撃を与えます。

 

そうすると実際は韓国は、日本アメリカではなく、中国を経済的に頼ることになるので、実質的に韓国と中国の結びつきを深めてしまいます。

 

これは政治インテリジェンスからするとおかしなことです。

 

実はここが最大のキモで、トランプは大統領にも関わらず、「政治」ではなく「経済」のロジックで動く大統領なんだ、と見ると色々なことがスッキリします。

 

基本的にトランプのロジックは二つだけだと思います。

①自分が再選すること

②そのためにアメリカの景気をよくすること

 

完全に企業の経営者のロジックです。

 

これでみると、韓国への制裁は、韓国の製造業に打撃を与えて、アメリカのメーカーが潤う、つまりそこだけ(経済)しか見ていない、とするとスッキリ見えます。

 

香港はいってしまえば、米中の代理戦争の場のようなものです。

 

ここで北朝鮮に関して、トランプのロジック、あるいは金総書記のロジックを考えると、一つの大胆な予測もできます。

 

それは「北朝鮮アメリカが歴史的な同盟を結ぶ」というシナリオです。

 

トランプのロジックに対して、北のロジックは更にシンプルです。

 

金王朝が何なら日本の皇統のように生き残れば良い、それだけです。

 

つまり、トランプ側のニーズは

北朝鮮という歴史的に誰もがどうすることもできなかった問題を解決した

アメリカの企業、経済が潤う

 

北側のニーズは

・金総書記以下一族の命の保護

 

この二つが一致するシナリオが実は北朝鮮アメリカとの同盟、つまり極端にいえば北朝鮮が対アメリカに対して、今の日本や台湾のようになることです。

 

これが従属国ですと、金総書記は国内をまとめることが難しくなります。

あくまで、世界最強国のアメリカと対等に条件をまとめた英雄、このような見せ方である必要があるのです。

 

トランプのロジックをもう少し掘り下げますと、彼は不動産で財をなした人物です。不動産ビジネスで成功する大きな特徴は、バランスシートと損益計算書の両方を理解する必要がある、ということです。

 

つまり、彼は常にストックとフローで経済を考えます。更に不動産のもう一つの特徴は、減価償却と現在価値です。

 

つまり、トランプの意思決定はそろばんを弾くときに、フローとストックをNPVあるいはLTVで見ていることになります。(今のお金の価値と将来のお金の価値をちゃんと計算している)

 

その視点で考えますと、実は戦争で北朝鮮を吹っ飛ばす、というのはあまりないのではないかと思います(以前ブログでトランプの北朝鮮攻撃予測をしましたが、あの時はトランプのロジックが違うことを考慮していませんでした)

 

あまりこのような書き方をするのはよくないのですが、基本的に戦争で経済が儲かる、というのは世界大戦規模にならないとないと思っています。

 

データでも出るでしょうが、感覚的に世界大戦後の湾岸戦争イラク戦争アフガニスタンで米国経済が潤ったというのは限定的であると思います。

 

つまり、軍需産業だけが儲かっただけで、その後の駐留維持コストなどを加味すると、実際はコストの方が大きいのだと思います。

 

これはトランプのロジックで行くとやりたくない一手になります。

 

それよりも、北朝鮮アメリカ企業を進出させ、そこに基地を作らせ、基地の負担を北朝鮮政府に押し付けたら、勘定としては黒字になると思います。

 

そして、北朝鮮に基地ができるのであれば、韓国に基地がある必要はありません。そこに駐留している米軍をそのまま北に移動させるだけで、費用はなくなります。

 

もちろんこのシナリオを絶対許容できない国がいます。中国、そしてロシアです。

 

この説明が長くなりますので、それはまた次回に

Libra(リブラ)の衝撃

Facebookの発行する仮想通貨、Libra(リブラ)がもたらすインパクトは革命的なものになる、おそらくこれまでの世界観が一変するだろう。

 

なぜ衝撃的かといえば、リブラが信用力の高い通貨であり、様々なところで使える可能性があるからだ。

 

ビットコインの課題は基本的に裏付けとなるものがなく、信用力に欠け、使えるところが非常に限定されていた。

 

リブラはそういう意味では「本物の仮想通貨」がやってきた感がある。

 

まず、リブラは発行すると同時にドルを買うため、ドルベースの新しい通貨となる。

 

これがまず衝撃なのは、Facebook時価総額は軽く10兆を超える企業であり、世界の半分以上の国家のGDPよりも高く、GAFA全てに言えることだが、国レベルの経済規模を有しているということだ。

 

そのような企業がドルという基軸通貨ベースで通貨を発行するということは、大半の途上国にとっては自国の通貨を失うに等しいのである。

 

自国の発行するする通貨よりも、リブラの方が安全で便利で信用があるからである。人々は自国の通貨でなく、リブラでの決済を求めることになる。

 

また、Facebookが発行すれば、当然、GoogleAmazonGAFAの中ではAppleはあまり利点がない)、そして中国の百度、アリババ、テンセント辺りも間違いなくやるだろう。

 

これらが発行する通貨の総額はかなりのものとなり、全世界通貨安という事態さえ起こり得るだろう。

 

Facebookはドルベース、他の通貨はもしかしたらビットコインベース、元ベースと裏付けとなる通貨は異なるかもしれない(金を持ち出すところもあるかもしれない)

 

いずれにしても、そのようなことをされた場合、日本の円は完全に追い出しを食らうことになり、全ての仮想通貨がドルベースで発行されることになれば、ドル以外全ての通貨が切り下がることになる。

 

このシナリオになると、日本経済、および世界経済に与えるインパクトは計り知れないものになる。

 

一方でリブラに付属するブロックチェーンの話になると、これはまだ課題が山積みであろう。

 

これまでビットコインブロックチェーンがかろうじて使われていたのは、ビットコイン自体のユーザー数と決済数が少なかったからである。

 

ブロックチェーンの厄介なところは、取引されるたびにブロックが追加されて行くため、取引回数が増えれば増えるほど、通貨のサイズが重くなることだ。

 

ビットコインのようにほとんどが投機目的、あるいはイーサのような取引先が限定されるような仮想通貨ならともかく、例えばLINEスタンプのような100円単位の決済が大量に発生するような通貨には全く向いていないのだ。

 

もちろんそれを軽量化する技術などもあるが、結局セキリュティなどとトレードオフの関係になり、デジタルな絶対安全な通貨であろうとすることが、リブラ流通の妨げになるというジレンマが存在する。(無論以前指摘したように量子コンピューターができれば、ほとんどの仮想通貨は無謀になるが)

 

この流通・決済の視点からするとまだ既存の通貨に軍配が上がるように見える。

 

だがこの問題解決も手段は極めて単純である。

 

それはGAFAが仮想通貨ではなく、実物の通貨を何らかの形で発行し、その取引所を設ければいいのだ(もちろん多くの国において法律に抵触することにはなりそうだが)

 

この問題において、まず気づかなければいけないのは、日銀が円を発行しようが、FRBがドルを発行しようが、Facebookがリブラを発行しようが、もはや同じ「通貨」であるということだ。

 

以前指摘したように、「貨幣」そのものの価値は額面のものではなく、その価値は「主観」で決まる。つまり、多くの人が「信用がある」と思い、それに「多くの場所で使われて」いれば貨幣は価値を持つことになる。

 

その意味において、リブラは信用力、使用できる場所の多さ、いずれをとっても国家が発行する通貨と何ら変わらない。

 

元々サトシ・ナカモトは国家とそれに付随する金融システムから人々を解放するために、ブロックチェーンシステムを考案した。

その主要な目的は国家の持つ通貨発行の独占は幻想であり、通貨を人々の手に戻すことであった。

 

Facebookという一企業がそれをすることは、氏が目指していた世界観とは異なるかもしれないが、国家が持つ残り数少ない独占権、すなわち通貨の発行権が脅かされているのは事実だろう。

 

金融システムに与えるインパクト、国家システムに与えるインパク

このいずれをとってもリブラ後の世界は、いまとは全く異なる世界になっていると言わざるを得ないだろう。

切り取られた才能

前回

映画『THRIVE』と陰謀論。日本人が陥りがちな過ちについて - IT人の政治リテラシー向上を目指して

の「お前が正しいことを言え」はプレゼンテーションに関しても同じことが言えます。

 

我々はもう退屈な話を聞いていられるほど、気が長くなくなっています。

質の高いコンテンツ、プレゼンが溢れ返っているからです。

「面白い、短い、わかりやすいプレゼン以外聞く耳はもたない」です。

 

そうした表現力が磨かれていくことは素晴らしいことですが、一方で受け手の認識力の方はますます低下して行きます。

 

実はわかりやすく面白いプレゼンは、伝え手が伝いたいところだけを明確に伝えているだけなのです。ですからそれ以上に何かを受け手が得ることは難しいです。なぜなら、「伝え手が伝えたい情報」以外を完全にカットしているので、それ以外の情報を受け取ることが極めて困難なのです。

 

例えばサイモン・シネックの「ゴールデン・サークル」やガー・レイノルズの「プレゼンテーション・zen」は非常に完成度の高いプレゼンですが、そのプレゼンの内容以外のことは頭に入ってきません。彼らの非凡さは伝わりますが、その背景やどこが非凡なのかは、おそらく実際に話してみないとわからないでしょう。

 

さて、パワポやキーノートを駆使したプレゼンらしいプレゼンだけでなく、「私が何者であるか」という自己紹介のような広義のプレゼンに関しても、同じことを考えてみましょう。

 

我々が自己紹介をするときに、「名刺」というツールが一般的だとは思います。ここには「会社名」、「肩書き」、「名前」が書かれます。

 

ですが、それがわかったからと言っても、その人が何ができるのか、信頼できるのか、という情報はわかりません。ですからそこに、デザイナーやエンジニアといった、役割、スキルを書く人もいます。

 

ですが、その人が「デザイナー」であることはわかっても、何が得意なデザイナーかまではわかりません。そこからはどういうものが得意か、というものを改めて説明します。

 

それは、商材を売るときに説明することと一致しています。自分の中のスキルで最も売れるものを切り取り、説明します。このとき、人は人から単なる商材へと変化します。

 

そして、受け手に認識力が乏しければ目の前の人間は、その人がプレゼンする、切り取られた才能だけを見て商品として扱います。

 

しかし、それは大きな木の葉の一部を見て木の価値を決めているようなものです。

 

その人が信頼できるかどうかは見るかもしれません。ですが、その人が自身で語ること以上に何ができるのか、どのような才能があるかをあまりみようとは

しません。

 

我々がこのような時にしているコミュニケーションとはお互いの指先を見つめ合いながら、この指先にできることは何か、と論じ合っているようなものなのです。

 

人が人を知り合う時に、相手をよく見る人間は本当に多くのことを見ます。その人の人格のみならず、才能、役割、そしてそれを時系列に見ることもできます。

 

そこには認識力の差があります。指先だけを見るのか、人という全体をみるのか。

 

同時に「見方」というものもあります。花を見てその美しさを見るか、儚さを思うか、蜜が売れるのかと考えることには大きな違いがあります。

 

そうした広さ、深さ、見方、同じ人を見る時にも認識力の違いで大きな差が出ます。

 

詐欺師を見れば詐欺師とわかる人とわからない人がいるのもこうした認識力に関連づけられるでしょう。もちろん経験からの判断能力の向上もあるでしょうが。

 

我々が気をつけなければいけないのは、「目の前にある人の素晴らしさを見損なうこと」です。特に謙虚な人間は自らの素晴らしさについて、自ら言及したりはしません。

 

その人の素晴らしさ、才能をその人が気づいている以上に見出すこと。経営者であれば特にこうした能力は必要になってくるでしょう。

 

自己のスキルを適切に評価し、表現できる人であっても、本人では気がつかない才能を隠し持っていたりします。それに気がつくか否かは我々次第なのです。

 

人は遠くに財宝を求めて冒険に行きがちです。しかし、目の前にもっと価値のある財宝が、実は存在することにはなかなか気がつかないのです。

なぜ同じ服を着てもイタリア人はお洒落に見えるのか

日本でも一時期雑誌「レオン」を代表するように、「ちょい悪オヤジ」が流行った時期があった。

 

もちろん今でも一定数都会にはいるが、ことファッション業界という視点で見ると、日本のちょい悪オヤジのファッションはダサいという評価が下されている。

 

基本的にファッションはブランディングが重要で、「どのような服」よりも「誰が着ているか」が特に流行には影響を与える。

 

つまり、イケてる人が着ているファッションならみんなそれを真似して、特に若い子は買いたがるし、逆にダサい人が着ている服はそのために売れなくなってくる。(以下基本的に若者も男、ブランドもメンズブランドを想定しての話)

 

ちょい悪オヤジが着ている服の大半は、ほとんどがイタリアのブランド品である。その質は変わらず世界最高峰であり、服自体のクオリティはほとんど変わっていない。

 

また、同じ服を着ていても、イタリア人が着ていると格好いい。

 

一体この差はどこからくるのか、またなぜ日本ではちょい悪オヤジの着るイタリア服はダメになってしまったのか

 

まず、日本の若者がなぜちょい悪オヤジをダサいと思っているかといえば、結局、彼らはセンスでなく、金にものを言わせた生活をしているからである。

 

美女とブランド服とスポーツカーと高級マンションと海外旅行と別荘という、お金持ちのパッケージをセット買いすることに、品の無さを感じている。

 

また、本来はファションはより個性、オリジナリティを重んじるはずが。お金持ちパッケージを誰もが購入することにより、全くの個性が乏しくなり、それが「ダサく」見えるのだ。

 

その他にも、自分をブランディングするのではなく、ブランド品を身に付け、格を上げようとする、高いものを買えばお洒落だと思っている、などあらゆるところが今の若者にはダサく見える。

 

どちからと言えば、今のファッションに興味がある若者はライフワークバランスや、持続可能性といった言葉に感度が良く、また、機能性や実用性を重視するため、そもそもそこまでブランド品に関心がない。

 

また、一部お洒落で感度が高く、高級品を買える若者はちょい悪に毒されていない、アメリカ、イギリス、ヨーロッパでもアントワープ系のブランドをセレクトすることが多い。そして、更に一巡して、日本のブランドやスポーツブランドが再評価されている現状で、イタリアは蚊帳の外におかれてしまっている。

日本にあるメゾンのイタリアハイブランドは、結局主にバブル世代を中心とした、ちょい悪オヤジ層をターゲットにせざるをえなくなっている。

 

その一方で、イタリアブランドが実際は流行りに遅れているかと言えば、全くそんなことはない。それこそレオンスナップで見ても、日本では見たことがないようなお洒落なイタリア人はたくさんいて、彼らはイタリアの服を多かれ少なかれ着ているし、それが似合っている。

 

その違いは何か、それは服を選ぶ「動機」にあるのではないだろうか

 

そもそも、イタリア人は、美意識やデザイン、芸術に対して非常に感度に優れた土壌で育っている。生まれた時から美に囲まれて育ち、親どこらか祖父母の代、何世紀前の祖先からお洒落な環境で育つため、おそらく自分たちでもあまり言語化できないような、意識があるのだと思う。

 

そんなイタリア人の無自覚なお洒落の本質は「愛」と「ファションの本質」であるように思う。

 

まず、ファションの本質とは「TPO」である。

「どのような環境で」

「どのような目的で」

「誰と何をするのか」

本来、ファッションというものは、デザインと同じで、目的のための指向性を持つ、ある種の手段の一つである。

だから、アメリカのセレブリティは、LAでハンバーガーを食べる時と、アカデミー賞のレッドカーペットを歩く時のファッションは違うし、欧米人のファッションには常に「オン」と「オフ」が存在する。それはファッションとは本来「TPO」がベースという文化が染み付いているからである。そのため、彼らはどんなにお金を持っていても、オフで必要がない時まで、高級品を身につけていたりしない。

 

それが全身ブランド品で、どこで何をするのにも高級品を身につける、日本の一部の金持ちのお洒落との違いである。(いわゆる学生がルイビトンのカバンを持って旅行や、学校には行くのは彼らには奇妙に見える)

 

そして、どんなファッションも自己満足ではただの奇抜な人になってしまう。

 

イタリア人がお洒落に見えるのは、そもそも美しい地中海の青さと、自然、そして古都に溶け込んだ装いを、自分の体格、個性にあった服装を選び、それをTPOに合わせて着ているからではないだろうか。

 

そしてそのTPOには一緒にいる相手に対するマナー、つまり「愛」が動機にあるのではないだろうか。イタリア人が欧米人の中でも突出してお洒落に見えるのは、イタリア人に「アモーレ」すなわち愛の文化が根付いているからではないだろうか。

 

例えばパーティーに参加すること一つ取ってもパーティーの趣旨、参加する人、その中での自分のメッセージなどある種の緻密な計算、気遣いがそこにはあるのではないだろうか。デートでも、相手のために服を着るような感覚である。

 

同じお洒落であっても、イタリア人が日本の東京の原宿や代官山、青山といったエリアで見られるような、奇抜なハイブランドファッションで街を歩いていることはないだろう。

 

それは、彼らにとって装いの基本とは、個性にあるのではなく、愛やTPOにあるからである。

 

それに対して日本人のファッション観と言えば、まず、社会全体が「とりあえずスーツ」ではないだろうか。そして、貧富の差の是正という名の、没個性の制服の強制を小学校からされては、イタリアのようなお洒落な人材が育つはずもない。

 

そしてそれに対抗、反抗するかのように若者は「個性的」なファッションを「お洒落」と位置付け、奇抜なものに走ってないだろうか。イタリア人のような「愛」や「ファッションの本質」という概念が抜けたままなのが日本人のファッションではないだろうか。

 

そして、そのような両極端なファッションに疲れ、とりあえず本質に近いところの「リアルクローズ」を本能的に嗅ぎ取ったのが、今の若者の主流ではないだろうか。

 

日本の場合、冠婚葬祭もダークスーツ。パーティーもダークスーツ。(たまにタキシードか、モーニングがあるがどちらも系統は同じようなもので、それをそういうものだから、と着ているだけ)

 

つまり、社会全体のファッションが「とりあえずスーツ」お洒落や儀式的な場も「なんとなくスーツ」で、金持ちがとりあえず「ハイブランド」を買うが基本で、そこに存在する動機、行動原理は「思考停止」と「人と違いたくない恐怖心」と「無難に見せたい射倖心」または「見栄」である。本質がそれでは、どんなに見てくれをよくしても「格好良く」見えるわけがない。なぜなら、ガワは中身の表現でしかないからだ。若者は特に感性が良いため、言語化はできなくても、鋭くそれを捉えている。

 

またファッションの本質から考えると、日本人が全く同じようにイタリア人と同じ服を、例えば東京で着ていて似合うわけがない。

 

日本人が特にイタリア服と認識するような、イタリアらしい服装の一つに、明るい、ビビッドな色使いの服がある。それは、イタリアの特に南部の特徴で、地中海の夏の青さとマッチして映えるようなもので、東京の港区でフェラーリが窮屈そうにカーブを曲がるように、都心で映えるような装いではない。

 

少しテーマを逸れると、IT業界ではむしろスーツ出なくてジーンズが制服のようになっており、今度は「とりあえずジーンズ」が主流になりつつある。

 

もともと、エンジニアは座り仕事が多く、高級な生地のスーツでは磨り減ってしまうためジーンズが増えたのだろうが、「とりあえずスーツ」から「とりあえずジーンズ」に移行するのは、どこか思考停止、宗教的で残念でならない。

 

そうではなく、イタリア人のようにファッションの本質、愛から日本人のファッションも再構築できないだろうか。

 

基本的に、日本には四季があり、四季によって装いも変え、また世界の流行にも敏感で、実際は日本人は世界で一番お洒落である、という評価も世界からも受けているしまた、世界で評価されるデザイナーも何人も排出している。

 

その外からの評価と、ちょい悪オヤジ現象に代表される内側の残念感のギャップは、社会の中でまだファッションの中に本質と愛が抜けていることが原因である。

 

つまり、日本の場合はどこの業界も変わらず、世界から見ると高いポテンシャルはあると思われているが、愛と本質は抜け、自己評価が低いため残念になっている状態である。

テレビの価値観は、もはや社会の価値観ではない

かつて(主に昭和、平成)はテレビの中の価値観と社会の価値観が一致していた。

 

なぜなら、テレビはほとんどの日本人が見ていたものだったからだ。

 

そんなテレビのルールと世の中のルールが微妙にずれだしている

 

最近のニュースを見るとそのようなことを感じることが多い

 

例えば松本人志の不良品発言にあるような一連の失言問題も、数十年前だったら問題にはなってないのではなかろうか。

 

とんねるず石橋貴明がテレビから姿を消したのも、大きく笑いのトレンドが変わってきたからだと言われている。

 

イジることは昔では面白い、弄られて美味しい、が、イジるが今の時代の特に若者には、やり過ぎ、イジメに見えるのだ。

 

ダウンタウン松本人志の発言も昔だったら、「面白い」で終わる、というその世界観のまま、プロデューサーや番組関係者含め観ていてオッケーだと思っていたのではないだろうか。

 

その視点で言えば、30代から下、主にSNSを主体とする世代と、今のテレビとは価値観がズレ始めている。

 

また、それは単なる世代のズレに留まらない。#me too問題に代表されるように、パワハラやセクハラというものも、時代として全世界規模で許されなくなっている。

 

LGBTなどの新しい価値観も形成されてきており、これは時代の流れ、トレンドである。

 

率直に言えば日本のテレビ、マスコミが、時代のトレンドのコンテンツではない

 

昔のようなテレビの価値観=日本の社会の標準的な価値観では最早ないのだ

 

それはKAT-TUN田口淳之介の土下座に関する世間のリアクションからも見て取れる。

 

田口淳之介は世代的には30代のSNS世代にあたるが、テレビの世界で生きてきた人間である。

 

だから、土下座というものが今の時代ではどのように映るかというものがわからなかったのではないか(ジャニーズから離れブランディングができてないというのもあるだろうが)

 

島田紳助から始まり、最近だとカラテカ入江の問題もそれに近い

 

昔は芸能界と裏社会の繋がりは密が当たり前だったが、今はそうではない、ということが業界の中にいると鈍くなってくるのだろう

 

また、テレビタレントたちも、もっと自由に番組つくりができるネットへとシフトしている。だが、若い層にも一定数そうした過激なコンテンツを支持する人がいても、それがトレンドに変わるものにはならないだろう。

 

自分たちが面白いと思っているもの、オッケーだと思っているものは、一部ファンがいるだけで、時代には合ってない

 

それは、ネットでテレビを作り、twitterで情報配信しても同じである。

そこだけ時代に適合しても、どこかでボロが出る。

なぜなら頭の中身までは変わってないからである。

 

少しずつテレビタレントが裸の王様と化しつつある。

 

そして裸の王様と化したテレビタレントは、SNSにとっては絶好の餌食である

 

そしてそれは政治家にも同じことが言える

 

例え政治家が若手であっても、永田町、霞が関の文化は古いままである

芸能界と同じように、そこに若くても順応していると、政界の常識が社会の非常識であることに気づきにくくなる

(ちなみに今話題の丸山穂高は、本人の政治家としての資質の問題であり、世代とか政界の文化とは無縁である)

 

これが民間企業のレベルになってくると、更に話はセンシティブになる

 

若手は若手で年長者が何を考えているかわからないから怖いが

 

実は企業のトップたちも今の若者は怖いのだ

 

なぜなら、SNSという未知のツールを駆使し何をするかわからないし、そもそも採用しないといけないし、育てないといけないが、自分たちの世代とNGライが違い過ぎて、どこまでがセクハラ、パワハラなのかがわからないからだ

(例えば昔は先輩の酒が飲めないのか、がいまは完全にパワハラどころか飲酒強制は場合によっては犯罪)

 

時代の流れが変わってきている、少し前の当たり前は今の非常識にもなり得るのだ。