田中芳樹作品は基本的にナンバー2論である。
両者とも極めて主君に忠節で有能であり、ラインハルトが覇道を、アルスラーンが王道を為したのは、彼らナンバー2の存在あってのことである。
ここでラインハルトが覇道に進み、途中でナンバー2がいなくなったことと、アルスラーンが王道を歩み、最後までダリューンが共にいたのは偶然ではない。
覇道には絶対的な覇者がいればよく、ナンバー2は不要である。そしてラインハルトは自身が有能過ぎるために、ナンバー2がいなくても良い人材であった、という点も見過ごせない。
これは企業で言えばワンマン社長に当たる。優秀であるがゆえに、なんでも自分でできてしまうため、必要なのは、自身の命令を忠実に実行できる部下だけである。
この点、途中からミッターマイヤーは名実ともにナンバー2にならず、ラインハルトの最も忠実かつ優秀な部下であったのも頷ける。
また、ラインハルトがこれまで王道を歩んでいたのに、オーベルシュタインが授けた非道な策を受け入れ、覇道に舵を切ったという点も注目すべき点である。
ラインハルトが覇道に舵を切った時点で、覇道を為すための汚れ役としてのオーベルシュタインは必要になったが、王道を守るナンバー2のキルヒアイスは不要になったのだ。
これに比べて、アルスラーンはある種の凡庸さから覇道を歩もうとしてもできなかったことは、王道を守る要因にもなった。
自身が脆弱であることを認め、ある意味ダリューン無しでは、生きてこれなかった状況、また権力を握った後でも自身の弱さを認め、他者を必要としたことがアルスラーンが最後まで王道を貫けた一因だろう。
会社組織も大きくなると如何に社長が優秀であっても、限界がある。アルスラーンはダリューンというナンバー2を信じ、また同様に家臣たちをうまく使うことで、王国を納めていくことになる。
これに対して、覇道を走るラインハルトは、結局最後まで敵を求め続け、最終的には腹心中の腹心のロイエンタールの反乱、という事態を迎える。
これは最も強い者が王にあれば良い、というラインハルトの概念にロイエンタールが部下として忠実に応えたものではあったとも言えるが、それは君主の論理であって民の論理ではない。(社長の都合であって、従業員や関わる企業に必ずしも益のあるものではない)
これは経営に置き換えるのなら、必ずしも極めて優秀な人間が組織のトップに立つことが、その組織にとって最高益でないことを暗示している。
同時に、王道を歩む者にとって、ある種のナンバー2という者が必ず存在することも示唆している。
話をラインハルトが王道から覇道に至った地点に戻ろう。ラインハルトはオーベルシュタインの戦争が長引けばその百倍以上の犠牲が出るため、少ない犠牲で戦争を終わらせるために、必要な犠牲だとして民を見殺しにする策を提案する。
これはFate-zeroで衛宮切継が聖杯から問いかけられた話と同じである。すなわち、100人乗った船と200人乗った船のどちらかしか助けられないとしたら、どちらを助けるのか、と。
これは最小の犠牲で最大の効力を産むことを考えるマキャベリズムの基本だが、その考え方そのものに、覇道が根底にある。
王道を行くアルスラーンであれば、ベスターラントは容認しなかったであろう。そして、甘いと罵られたであろう。
では王道であれば100と200どちらを救うのか?という問いにどう答えるのだろうか。その答えは、そもそも数の比較で考えない、ということである。
Fate-zeroに再び言及すれば、衛宮は自分の師のナターシャを撃ち落とす、という選択肢をする時に、王道か覇道かを選ばせる試練に逢っている。
自分にとって大事な人であるのだから、数の計算ではなく救う、という選択肢をしたときに、そのあとにそれでも他の人も救える可能性も導き出せた可能性もある。
その意味において、覇道は二元論的である。未来を所与のものとし、選択肢が二つしか存在しないかのように思わせる。
逆に王道は愛があり、可能性がある。
だが、もしベスターラントでオーベルシュタインの言うようになっていたら、ラインハルトは後悔したかもしれないし、彼が玉座につくのは遅れたかもしれない。
だが、少なくともラインハルトはキルヒアイスの提案を聞くべきであっただろう。またもっと言えばベスターラントの前、民の犠牲を強いる策を採用したアムリッツァ戦から、ラインハルトは覇道に歩み出してしまっていた。
また数の上でも、彼が覇道を歩んだために戦死した数も相当数いることを考慮すると、果たしてオーベルシュタインの策が長い目で見たときに、本当に犠牲者が少なくなるものだったかも疑問がある。
覇道の恐ろしいところは、一見すると「1万人の犠牲者と100万人の犠牲者どちらをとりますか?」という問題にすり替えて見せるところである。
現実には、このような選択肢は同時に二択で与えられる得ることはなく、見積もりや幾つかのファクターの中から、有力説として時間経過後に生じることが多い。
そして、あの時「1万人か100万人か提示したはずですよ」と万が一事が起きたら正論で非難をすることにある。
劇中で多くの将校がオーベルシュタインを嫌うのは、こういうところに彼らが気づいているからだろう。
そして、最終的にベスターラントで犠牲者を減らしたつもりになっても、結果的にラインハルトが覇道を選んだことにより死んだ将兵の数は多いのではないだろうか。その意味では「1万か100万か二択」というのは極めて稚拙な問いかけと言えよう。
オーベルシュタインもオーベルシュタインで、彼自身が覇道に導いたにもかかわらず、結果的にラインハルトを止める者(ナンバー2)がいなくなってその後のヤンとの無為な戦争を結局止めらなかった、というのはやや稚拙であったように見える。
ちなみに、もう一つの田中芳樹の有名作タイタニアは、後継者争い、経営で言うところの事業承継論である。