IT人の政治リテラシー向上を目指して

元政治家秘書、現IT起業家が主にIT起業家、エンジニア、デザイナーなどIT業界人の政治リテラシー向上を目指して、日々のニュースや政治トピックについて言及。たまに起業ネタや映画ネタなども。5分で読める1,000文字、10分2,000字を目標。

ブロックチェーン その本質と社会的なインパクトについて

ブロックチェーンに関しては、日本では”Fintech”という言葉の中の特にビットコインとワンセットで用いられている。

 

ビットコインのイメージに関してはMtGoxの事件もあり、儲かりそうだがなんか怪しいという世間の印象であろうから、ブロックチェーンもその巻き込み事故に遭っているかもしれない。

 

まず始めにブロックチェーンは何か?を参考までにレベル分けして簡単に説明したい。

(よりブロックチェーンの仕組みに興味がある人は記末の参考書籍を参考にして欲しい)

 

理解レベル1(最低レベル)

ブロックチェーンとはビットコインの裏付けとなるセキュリティ暗号技術。

もっと噛み砕いて言えば、

「その仮想通貨は本物ですよって保証してくれる信用機関みたいなもの。」

 

理解レベル2(IT界隈レベル)

ブロックチェーンとはスクリプトカレンシー(ビットコインなどの仮想通貨の総称)のセキュリティ技術で、PtoP取引や分散台帳を可能とするもの。この“分散台帳”というのもFintechに含まれるため、ブロックチェーンと言えばフィンテックのイメージが日本ではある。ブロックチェーンにおいて、誰がセキュリティを担保してくれるかと言うと、マイナーという全世界にあるコンピューターのリソースを持つ人および機械。

※分散台帳に関しては他書籍参照。

 

理解レベル3(ITエンジニアレベル)

ブロックチェーンの方式は複数あり、スクリプトカレンシーも複数ある。マイナーは不特定多数の場合も、特定の誰かの場合もその合算も存在する。セキュリティ技術が高いため、実際はコイン以外にも電子送金、個人情報の保護や契約書などにも使うことができる。(分散台帳を含め色々な用途が期待されている)暗号技術自体はPKIという従来の技術を使用している。

 

理解レベル4(ブロックチェーンファウンダーレベル)

ブロックチェーンとビットコインを作ったサトシ・ナカモトの根本思想は”Decentralized”、すなわち、中央管理から分散管理システムへの移行を意図したもの。例えば、これまでは金融機関などが取引に介在することによって、その取引を保証してきた。しかし、こうした特定の誰かの保証が取引に存在すると、その特定の誰かに権力が集中し、社会構造がいびつになるためこの仕組みを改変するために作ったもの。その結果として“分散台帳”というようなものが具体的には出来上がる。

 

理解レベル5(システムアーキテクトレベル)

ブロックチェーンがクリアしている本質的な課題は“信用”である。

 

ご覧の用にブロックチェーンは単なるビットコインの相棒ではなく、実際は非常に深く、練られたアルゴリズムである。ちゃんと説明しようとすれば本が何冊も書けてしまうだろう。従って、今回は最後のレベル4、5のその根本思想と社会的なインパクトにだけ絞って説明したいと思う。

 

まず、ブロックチェーンの根本思想にあるのは、今の世の中を変えることにあるのは明白であるということだ。特にターゲットとしているのが人間の社会構造で歴史上克服出来なかった“権力の偏在”と“信用の保証”についてである。

 

どのような社会システムであっても、誰かに権力が集中し(社会主義でもファシズムでも、共産でも貴族制でも共和制でもそして民主主義でも)人間は機能化すると同一の機械的な意思決定構造を持つため、必ず権力は腐敗する。そのためまず、ブロックチェーンは分散型のモデルを用いて、中央集権、つまり権力を排した社会構造を作れないか、という問題提起をしている。

 

続いて重要なのは信用だ。私は以前ブログで、仮に進化したAIに資本主義の次にくるべきシステムはどうしたら実現できるだろうという問いを投げかけた場合、その解答は“互いを信頼することだ”と述べた。

 

これはあらゆる人間間の問題において相手を欺く動機が存在し、それを防ぐために我々は軍隊、法律、警察、信用保証などに多大な社会コストを払っているが、お互いが信頼できる社会においては、そうしたものが必要となくなるからだと説明した。

 

従って、ブロックチェーンによって信頼が保証されるのであれば、こうした信頼できないから払っている社会コストの大部分は排除することができる。(その意味においてブロックチェーンの思想自体はアナーキスト的なところがある。)

 

つまり、ブロックチェーンの登場の本質とは社会の変革の第一歩なのである。だが、それに気がついている者はほとんどいない。優れているのはまず思想であり、次にアルゴリズムがあり、最後にプロダクトがある。だが、巷ではプロダクトにばかり話題が及び、その本当に優れているのが「哲学」であるとの認識がされていない。

 

その一方で100%の信頼を担保できるか?という疑問が湧くが、それに対して既存のブロックチェーンシステムでは必ずしもイエスとは言えない。例えば量子コンピューターがあれば暗号システムは簡単に破られてしまう。その他にも、計算コスト、ハッキング対策、課題を挙げれば枚挙に暇がない。

 

(逆に言えば、今後ブロックチェーンが普及されば、よりネットワークや情報セキュリティに関連する仕事が増えるだろう。)

 

だが、それでブロックチェーンが無意味となるのかと言えばそうでもない。100%というものがそもそも既存の量子物理学理論的にあり得ないもので、それができないからといっても、既存のシステムよりも精度や信用が向上するなら採用する価値は充分にある。

そして、そもそもこれは社会構造変革のための一石であり、これを見て人々がどう反応するか、それこそが真に制作者が意図したところではないだろうか。

 

ブロックチェーンを使ってお金儲けをすることもできるし、社会を変えることもできる。(逆に使い方次第で今ある社会構造をより堅牢にすることもできる)自分はその設計思想とアルゴリズムだけを提供し、後は全世界の自発的な参加者に委ねる。これからの課題を克服するのは、制作者自身ではなく、全世界にいるその思想を受け継いだ挑戦者に委ねたのではないだろうか。

 

世界の変革は誰かの押しつけや、一人の英雄や救世主などでは決して達成できない。そう作った人間はおそらくわかっているのだろう。

 

<参考文献などまとめ>

ビットコイン研究所ブログなど

(インターネットでキーワード検索して読める解説から抜粋。1~から)

 

●ブロックチェーンレボリューション ダイヤモンド社

(理解レベル1~5 まで網羅された良書、主にビジネスへと用途、社会システムへの応用例と課題などが書かれている。反面、コードの記載や細かいビットコインの技術的な記載はないためビジネス書籍)

 

●ブロックチェーン 仕組みと理論 リックテレコム

(前半はブロッチェーンの説明、後半はコード実装例などがあり、ビジネス書籍よりも理解が深いため、実際にブロックチェーンに携わる人向け。理解レベル2〜3向け)

 

●マスタリングブロックチェーン NTT出版

(同じくコードが掲載されているが、やや思想よりで数学的な解説が中心。レベル2〜4向け)

 

●サトシ・ナカモト論文 

(オンラインで日本版PDF入手可能)

 

※4、5が詳しく書かれた書籍は自分が知る限り存在しない。従って本ブログで扱ってみたのだが、仮に参考書籍を挙げるとすると、貨幣論関係の本の方が良い気がする。

マルクス資本論、あるいはその入門書、●柄谷行人トランスクリティーク、●マックス・ウェーバーの職業としての政治、といった貨幣論や社会構造論の書籍を推薦する。

それらを読んで見て、もう一度ビットコインとブロックチェーンの仕組みを読むと、このアルゴリズムに隠された思想が読み解け易くなるのではないだろうか。

 

その他の参考として主に思想面を受け継いだと思われるイーサリアムプロジェクトと

https://www.ethereum.org

予測モデルというアプローチから意欲的な試みをしているAugurなどを最後に紹介しておく。

http://www.augur-japan.com

 

トランプとTPP

トランプ次期大統領が早々に表明したTPP脱退についてですが、そもそもTPPとは何か?というのを元外交官佐藤優氏の解説を紹介したいと思います。

 

「基本的に自由貿易をやるなら、FTAないしはより広範囲なEPAをやればいい。それをわざわざTPPというものを持ち出すのは、ブロック経済圏の考え方にあり、その本当の意図は中国を封じ込めることにあります。」

 

確かにその意味においては、中国は反TPPであるトランプを支持する理由はありますが、ロシアと共にトランプ支持にまわったのはトランプの唱える「孤立主義」にあります。

 

ここで何故トランプか?という疑問も交えながら解説しますが

 

元々、アメリカには「モンロー主義」という考え方があり、ヨーロッパはヨーロッパ、アメリカはアメリカで。アメリカに害を及ばさない限り、他の国は勝手にやってください、という考え方が伝統的にあります。

 

これは勿論、イギリスから独立した経緯もありますが、アメリカは元々エネルギー資源も豊富で国土も非常に広大で、人口もあります。日本のような外貨を獲得し、石油資源を買わないといけない国とは異なり、自国だけで現代風な言い方をすれば引きこもっても充分、自給自足でいい暮らしができる国なのです。

 

それが世界平和だと言い、中東に兵士を送り膨大な出費と人名が損なわれ、自由貿易だと言い、国内の市場は安い海外製品に占められ、雇用も海外に流出している、これはおかしいではないか。著しくアメリカ人の考える「モンロー主義」に反しています。

 

そのように考えるアメリカ人がトランプ支持にまわっている支持者たちです。今回トランプ支持にまわったアメリカ南部、中西部の共和党支持州は元来こういう考え方をします。日本で言えば、東京と沖縄、京都と北海道などが県民性や考え方が異なるのと同じです。

 

日本人の多くが想像する「アメリカ人」というのは、主にニューヨークやカリフォルニアに住む、移民を含むアメリカに住む「グローバルエリート」が多いのはないかと思います。彼らはインターネットを駆使し、メディアにも露出し、日本人との接点も多いです。そして、軒並み彼らは今回の選挙で言えばクリントン支持です。

 

従って、普通に日本に来るようなアメリカ人やアメリカで観光や仕事で出会うようなアメリカ人と接していると、おそらくトランプ支持者というのは殆ど会うことはないと思うので、それ以外のアメリカ人の考えていることはわからず、トランプを選ぶなんて狂気の沙汰だ、という風に考えがちなのです。

 

さて話しをTPPに戻しますが、トランプがTPPを止めると言ったことはこれからどういう影響があるでしょうか。まず本当に中国にとってプラスになるのかから日本への影響も考えてみたいと思います。

 

まず、トランプはこれから自国産業と雇用を守る、いわゆる保護貿易政策に出る可能性があります。既にそれに関連し、アメリカ企業の株価は上昇していますが、そうすると国内から安い製品を閉め出す、特に中国製品に対して高い関税をかけてくる可能性があります。

 

中国経済というのはかつての日本がそうだったように、アメリカの市場に相当依存しています。従って、中国商品がアメリカ市場から閉め出しをくらえば、来年2017年は、かなりの程度で中国経済が不況に陥ることになります。

 

これを乗り切るために、中国は市場の拡大を東南アジアに求めることになります。主に標的となるのは人口も多く、それなりに経済も成長しているタイ、ベトナムインドネシア、そしてこれから伸びるであろうと言われるミャンマーなどです。これらの地域で日本と中国は利権が対立することになります。

 

こうしたアジア圏における中国の勢力拡大は、トランプの孤立主義と合致していますが、そのトリガーとなるのがトランプの保護貿易主義です。つまり、中国にとってトランプが望ましい、というメディアの言葉はやや複雑な意味をはらんでおり

 

中国政府にとってクリントンよりもトランプの方が、中国の拡大主義にとっては都合がよく、習近平政権にとっては交渉し易い相手ではあっても、中国経済を冷え込ませ、中国の内政問題がより現出化し易いのはトランプであるため(ただ結果的にTPPが締結されれば似たようなことにはなる)比較した場合、トランプの方がマシというような支持で、ロシアのような積極的なクリントン拒否とは温度差がやや異なるのではないかと推測されます。その意味では中国とロシアはワンセットでトランプ支持という報道も、少しうがった見方も必要かもしれません。

 

そしてこうした中国の動きは当然、近隣諸国の警戒を産み、特に日本とロシアはプーチンが大統領にいる間はかなり接近すると考えられます。12月に北方四島交渉(おそらく二島返還)がなされれば、日本とロシアの距離はかつてなく縮まるでしょう。

 

一方で、中国が現在の国内における貧富の差や、内陸部の特にウイグル自治区の対応を誤るようなことになれば、大きな混乱を招き、それは世界情勢に大きな影響を与え、東南アジアにおけるパワーバランスが大きく変わる可能性があります。それは日本にとってはチャンスでもあり脅威でもありえます。

 

つまり、図らずとも、アメリカの孤立主義は中国の存在感というものを高め、来年以降、中国から全世界が、目が離せないことになると思います。

 

他の地域においてもトランプの孤立主義は影響を及ぼすことになるでしょう。

 

ただし、トランプが大統領になったからと言って、アメリカが中東から手を引く、あるいは世界の基地から撤退するというのは非常に考え難いです。それらは致命的なアメリカの権益に関わる問題だからです。(ただし致命的とは成り得ないイラクアフガニスタン地域からの撤退は条件次第で充分考えられます)中東に関してはイランが核武装化するという話しもあり、また別途考察したいと思います。

欲望関数から幸福関数へ

数式に関して

 

数式は書く側は容易いが読む側は苦痛極まりない。これは実は数式とは実際は全くユニバーサルな言語ではなく、内的な文字式よりももっと固有なものである事に気づいた。

 

例えば有名なE=mc2という公式が存在するが、これは

 

インパクトは質量と速度の自乗に比例して大きくなる”

 

という文字式で考えた方が圧倒的にわかりやすい。

更に言えば、スポーツや格闘技などをやっている人間は直ぐに実感できる。ウェイトを上げるよりも速度を上げた方が破壊力が増す。これは特に空手やボクシングのパンチの例が分かり易い。

 

そしてこの式で疑問に思わないといけないのは一点で、何故質量は整数なのに、速度は指数なのか、ということだ。これは速度は加速度の意味で、加速には再帰性が伴うからだが、何故c2微分すると2cになるかはニュートンライプニッツにでも聞かないとわからないらしい。(と、東大の教授もおっしゃってたのでこうなるものだでとりあえずよしとしよう)

 

同じように複雑と言われるナヴィエ=ストーク式や波動方程式の解説も、実際は本質的な意味合いから文字式で説明し、最後のアウトプットして数式はこうなると、という説明をした方が理解がいいような気がするが全くそういう書籍に出会った試しがない。大体の書籍はつらつらと数式が永遠と続いて、その記号までもがユニバーサル的に統一されている。が、実際は記号はどうでもよくて、本質的に考えたらこういう変数が必要でこう変化させたらこうなるよね、という理解を共通化させることの方が数学教育において明らかに重要ではないだろうか。

 

という前置きがあって本題だが

 

日本を含めた資本主義国の一つの大きな問題点として、欲望の最大化=幸福の最大化という誤解が無意識に内在していることである。

 

この傾向は同じ資本主義の中でも無宗教な日本が特に傾向が強く、ザックリと日本人の頭の中を関数で表現すると以下のようになる。

 

・欲望関数

(都市部)

 

“欲望(幸福)は金額に比例し、消費に依存する”

Gc(m)=pm3+(C+s+hr)m2+hm+ph

 

(田舎)

 

“欲望(幸福)はお金は必須だが特に人間関係に依存し、哲学は邪魔になる”

Gl(m)=m(C+s+h+p+hr2)-ph

 

(各変数の説明)

C=t+g+e+l(C=消費;旅行+グルメ+エンタメ+余暇)

Gc=都市

p=権力・名誉

m=お金

s=愛欲

h=健康

hr=人間関係(離婚含む)

ph=哲学(人間性、生き方など含む)

Gl=田舎

 

(数式解説)

都市部の場合、基本的にお金が高い乗数効果を持ち、消費の効用や健康、人間関係といった問題も概ねお金によって解決される。お金があればより楽しい旅行、より美味しい食べ物が食べれて私ハッピーという構図だ。僅かな生き方的な哲学は一回微分すると消える。

これが田舎になると、やや異なる。お金は必要だが、物価の関係でまずお金がそれほど高い乗数効果を持たない。むしろ、顔の見える付き合いから人間関係の要素が指数関数になる。哲学はむしろ、異端としてマイナス視される。

 

ちなみに自分が経験的に考える幸福関数は以下である。

 

“幸福は健康、愛情、お金が必要だが、生き方や哲学で決まる”

H(ph)=ph(H+L+M)(ph+1)+ph2

(各変数の説明)

ph=哲学

H=健康

L=愛情

M=お金

 

(数式解説)

上記との相違を説明する。健康が重要なのは変わらないが、お金がなくても知識があればある程度健康を保つことができると考える。お金が重要なことも変わらないが、お金の使い道を考えられる哲学、頭があって初めてお金に価値が産まれる。従って消費関数を含まない。愛欲ではなく愛情を幸福とする。Lは100乗くらいしてもいい可能性も含む。何はなくとも、自分は全力で幸せだとする意志があればある程度幸せになれる。哲学は二階の微分に耐えられる。逆に自分が幸福だと全く思わない、感謝のない人間は幾ら他の三項目が優れていても高い幸福値を示さない。お金や権力が幾らあっても幸福でない、という大富豪たちの気持ちを代弁。

 

以上の式は原型なのでこれから修正作業を必要とするが、大体の説明には足りるのではないだろうか。ここから研究としてやるべきことは、数式の精緻化、また何故日本の社会が欲望関数を持つ様になったかの研究および文字式が数式よりも人間が理解しやすい研究。

 

そして、実務としてしなければならないのは、日本社会に蔓延する欲望関数=幸福関数という無意識的な刷り込みを変えること。これは日本のテレビや新聞を目にすると、そうしたアルゴリズムが無意識下にインストールされてしまう。(こういうものが正しい、というのが欲望関数を基にしているためあらゆる情報がそれを元に構築されている。)

裏を返せばマスに乗ってくる情報の質が変わればこれはある程度変化させることができる。

 

欲望関数から幸福関数へのアルゴリズムの転換。行政、教育を変える必要がある。それは容易ではない。まずは、民間で幸福関数を採用した事業家やアーティスト、クリエイターが欲望関数を採用している人物よりも高い成果とパフォーマンスを発揮する必要がある。次にそれを可視化する必要がある。

 

現状、日本で唯一これを行っている会社はスパイバー株式会社一社だと思われる。よく、日本のベンチャー業界はスパイバーを単なる大規模な資金調達に成功した優良ベンチャー企業だと勘違いしているが、それは全く本質ではない。あの会社は従来型のアルゴリズムから脱却した、日本では現状、世界にパラダイムシフトを起こせる未来型の真のベンチャー企業であると思う。

ナレッジの時代とその次の時代

現代社会において最も重要なものは情報、ナレッジと言える。

 

あらゆる分野において、「勝者」となるか否かというのはナレッジによって決まる。にも関わらず、人々はそれを余り掘り下げようとしない。

 

理由は幾つか存在する。

①(ナレッジを)獲得する時間がない

②必要性あるいは重要性に気がつかない

③情報量が膨大過ぎて処理できない

④わかっているが行動しない

 

例えば、多くの人間がお金持ちになりたいと思っているが、世の中にお金持ちは多くはない。それは社会構造にもよるが、どこに行って何をすればそれが得られるか(しかも合法的に)それがわかっていれば実行するが、多くの人間はわかっていないからである。(あるいはわかっていても行動しないこともあるかもしれない)

 

現代社会というのは、ある意味、この情報格差、マッチングの不成立によって成り立っている。あらゆる情報が集約され、自身の願う指向性(何かが欲しい、何かを望む)事が全て最適化されていくのであれば、今の世の中というものは維持し得なくなる。

 

これを人工知能によって解決することは可能であろうか

 

まず、よく言われる記憶のチップを脳内に埋め込む場合を考えてみる。これは実際はただの記憶装置を外部か内部に持つかだけの話しで、広辞苑を購入して読むことと本質的には変わらない。ただ、参照の速度が秒からミリ秒以下に変わるだけである。

 

だが、逆にこれを思考できるコンピューターに処理させたらどうだろうか。例えば自分は金持ちに成りたいとする。そして、そこに膨大な株式投資に関わる情報を入力する。そして、確実に儲かるアルゴリズムを組んだとする。この場合起こりえるのは、そういうコンピューターは秘匿されなければ、誰もが同じ行動を取るため、結局は儲からなくなる、というジレンマに陥るだろう。

 

つまり、人工知能によって、ナレッジ・デバイドが埋まる、あるいは標準化されて誰もが同じ情報を入手できるようになるとき、ナレッジの差やマッチングの不具合を利用した現在の社会の仕組みは、維持できなくなるのである。

 

そもそも思考できるコンピューターが産まれれば、人々の仕事の大半コンピューターが担ってくれる。その世界は一見、誰もが働かなくても暮らせるユートピアに見えるが、富の資源配分というものは如何にして行われるというのであろうか。

 

現代であればそれは資本力で、例えば所有する土地のサイズを決めているが、誰もが労働しない社会では、資本力でそれを決定することはできない。人間性だろうか?美しさであろうか?いずれにせよ、そう簡単な問題でないことは間違いないだろう。

 

その時代にはナレッジというものが今程の意味を持たないだろう。全てのナレッジは共有化され、その情報の最適化もなされることになる。例えばどこに一番美味しいレストランがあるか、どこに行けば最も欲しいものが安く手に入るか、それが国境を越え、正確にわかるようになる。それだけなら、ある程度の正確さは犠牲にして現代でも実現しているが、今自分が取るべき最適な行動、自分の目的のために、あるいは欲するものが最適化されるようにもなる。(そこから行動および実現するかは今回は議論から省く)

 

これは裏を返せば、本当に優れた正確なマッチングシステムというものは、世の中を破壊しうる力を持つということである。

 

ナレッジが力とならない世界というのは、教育の分野で言えば、英語やプログラミング教育といった、今の時代で求められているようなスキルが必要ない世界とも言い換えることができる。同様に、医者、弁護士、会計士といった知識を生業としているような職業も今の形では維持できなくなるだろう。

 

そのような時代において、先ほども述べたが、何を持って資源の配分をするのか、まずそれが根本的な問題となるが、我々は次世代の人間に何を教えればよいのだろうか。それは親として、教師として、あるいは祖先として。個人に対しても社会に対しても。(教育ですら、標準化・最適化・機械化されているのかもしれないが)

 

労働しない時代においてよくSFなどでみられるのが、音楽や芸術にのみ没頭する人間が全く労働しないで趣味だけに人生を費やせる世界である。(だが現実は人は適度なストレスを求めて労働をしたがるような社会も描かれる時もある)

 

そういう時代に適した幸福の在り方であろうか、逆に原始時代のようなサバイバル能力を人間の本能に従って追究するのか。それとも、未開の宇宙や深海に注意が向けられるのだろうか。

 

あるいは、労働しない社会においては、差別化された個性のようなものは、より社会を乱す性質として抹殺され、全てが標準化されてしまうのだろうか。

 

もう一つ、未来に関して考えることとして、もし人間が人間の遺伝子の複製なしに、人間を一から作れたとしたら

 

現在の人間は宗教で言うとキリストの「原罪」、祖先で言えばカニバリズムの伝統など、あらゆるものが遺伝子に組み込まれている。そして、それらが、暴力や犯罪を呼び起こすとするのであれば

 

「原罪」のない人間だけをビーカーの中から作り出し、新しい人類社会の住人に据える、という考え方がでてきてもそれほど不思議ではない(この辺は漫画、風の谷のナウシカでも描かれている)

 

上記に述べたことは現在的の価値観にしてみれば非常にグロテスクに感じるだろうが、未来の時代の価値観は今とは全く異なるから、例えば映画マトリックスで描かれた人間電池も、未来人にとってはそれがグロテスクなものとはならないかもしれない。(例えば今の我々の文化も昔の人からみれば随分グロテスクに間違いないだろうし)

 

いずれにせよ、人工知能によって社会が変化する時代になるのであれば、我々が次にしなければならないのは「社会のデザイン」である。そしてそれは合議によって、民主主義的になされることはないだろう。テクノロジーに理解のある人間、文系理系問わず優れた総合知を持つ世界的な一部のエリートによってなされるのか、あるいはそのプロセスすら人工知能に委ねられることになるのかはわからないが、そのいずれかに近い形にはなるだろう。

 

ナレッジ・デバイドがあるまま、テクノロジーによって突如としてナレッジ・デバイドのない世界に世界の人々は投げ込まれるかもしれない。

モナドから量子の海へ

レイ・カーツワイルの言う「シンギュラリティ」の最終ステージとされる、人間の知性が光速を越え(あるいは亜光速であっても)この宇宙を埋め尽くす、という箇所に言及したい。

 

仮に知的生命体にそうしたことが可能であるのなら、なぜ我々の住む地球に、もっと文明の進んだ知的生命体が到達できないのか?という疑問が沸く。

 

考えられる選択肢としては

①それは不可能である

②既に到達しているが今の人類にはわからない

③宇宙は広過ぎるので、たまたまこれまでのところ巡り会っていない

④なんらかの法則により巡り会っていない。

(自分は人間以外に知的生命体が宇宙に存在しない、という説を全く信じていない)

 

それぞれの選択肢を掘り下げることができるが、私が常に思うのは、人間が生身の肉体のまま宇宙空間にでることの無意味さである。

 

宇宙は肉体にとってリスクの塊でしかない、酸素が存在せず、極寒の有害な宇宙線が降り注ぐ中において、肉体はあまりにも脆い。

 

機械の方がまだ可能性はあるだろう。人間の脳の情報を電子頭脳にアップロードし、機械の体が宇宙を旅する方がおそらくもっと楽に遠くに行けるかもしれないが、所詮はエネルギーが尽きた時に機械は停止する。

 

だが、その一方で、光やあるいは電子はどうだろうか。既に人類は人工衛星を打ち上げ、そこから様々な情報を宇宙から受け取っている。光や電子は時間はかかっても、数光年を超えて旅ができることが既にわかっている。

 

仮に人間の情報を電子脳にアップロードし、それを遥か遠い惑星にある送信し、そこに同じような電子脳を設置して受信する方が、生物や機械が物理的な旅行をするよりは、よほど遠くへ行くことができるだろう。

 

つまりここでは②と④の可能性について言及している。

 

人間の最小単位はなんであろうか?実は未だにそれはわかっていない。実際は万物は素粒子なのか「紐」なのか、あるいは便宜上の概念としてライプニッツが言うところの「モナド」のような共通なもので、すべてのものに本当の意味で境界は存在するのだろうか。

 

しかし、人間の情報を電子に変換して送信できるとして、それは送信する途中にブラックホールや惑星があれば、その重力に引かれてそこに落ち、その電子はどう変位していくのであろうか。あるいは宇宙を旅する途中で宇宙線で電子が変異するのではないだろうか。

 

そして人間の情報を全て電子化して送信したとしても、全く同じ情報を送信する、ということはそもそもにおいて時間のズレが発生し得るため、不可能ではないだろうか。(つまり人間の電子脳化による再生産も、時間的な制限を突破する、つまり光速の壁を破らない限り、一度死んで限りなく自分に近い自分とは異なるゴーストが電脳上に存在するだけで、同一の意識は存在できない)

 

自分の1つの仮説に人間は死後、「量子化」される、という仮説がある。この説によれば、人々が「霊魂」と呼ぶもののことをある程度科学的に説明が可能だと思ってはいる。(今回は直感的な表現だけに留める)

 

なぜここで量子化仮説を持ち出しかと言えば、物質の最小単位が共通であるなら、人間は死後、あるいは生前も常に万物の中に溶け込んでいるとも言えるからだ。あるいは、「モナド」のように属性を持つのであれば、生前も死後も人々は「モナド」による属性を持つことで方向性を持つ事になる。

 

そして、人々が死後も量子化され、宇宙の海に溶け出すことが確信できれば、わざわざ知的生命体は、自らの情報を送信し、他の惑星で機械の体に、電脳の海に、自らを投げ出す必要性を感じないはずである。

そして、人間が量子化した際に、量子が肉体から持ち去るものは、「記憶」の電子情報ではなく、おそらく最も根源的な何らかの質をもった嗜好性のあるモナド的なものである。

 

量子化した人間にとっては、時間とはさしたる問題ではない。100万光年あろうが、機械の体を得られるような文明にとって、寿命などさしたる問題でもなく、むしろ長く肉体を持って生きるよりも、死を選ぶことを望むだろう。またエネルギー効率や、電子化して宇宙線ブラックホールのただよう宇宙空間に放り出すよりも、量子化した方が安全でもあるからだ。(量子化は電子化とは違うため、電子のような情報は保存できない代わりに、電子のような毀損をすることがないようなものと仮定している。)

 

以上のことが起きれば、光速を超えて宇宙を満たす、という必要性がそもそも起きなくなる。つまり、我々よりも優れた知的生命体はその可能性を選択している可能性がある、ということを示唆するに留めたい。

 

もう1つ、人間の意識について最近は随分と多くのことがわかってきていて、カーツワイルの言うように、人間の脳をリバースエンジニアリングして人工知能を作ることなく、どのようなものか明らかになってきている。

 

特に自分が「意識」に関して注目しているのが2つの性質である。

①分離不能性

②同時不存在性

 

①分離不能性

基本的に物質は分解できる。しかし、意識は決して分解して存在することができない。例えば小脳と大脳といったある一定の脳のパーツが揃った時に意識は発生すると仮定して、大脳を失えば意識はなくなる。これは車というものが分解して、エンジンとタイアになることはできても、「車」という存在ではなくなることと同じである。(もちろん、エアコンだけのない車は、車としての機能は果たしていることになるため、意識で言えば、「ある」状態になる。つまり、発生した後の人間の脳内における意識は強い、弱いという離散的よりも相対的・連続的なものであると考える方が自然である。ただし、意識が0の状態から発生する状態に移る状態は離散的か連続的かは議論の余地がある)

 

②同時不存在性

意識は二カ所に同時に存在することはできない。人は寝ている時に意識を失うことはあっても、例えばフランスと日本に同時に自分という意識は存在することはできない。なぜなら、上記のように意識は分割して存在し得ないものだからだ。(ただし、意識を離散的なものではなく、連続的なものだとすると、同時不存在性は、分離不能性の性質よりも、先ほど述べたような時間のズレ、相対性理論量子論からの方から導くのが正しいかもしれない)

 

これを工学的な世界、例えばロボットにおいてどのようなことになるのか、という話しに拡張すると

 

例えば無数のロボットを作成し、それらを人工知能によって動かそうとした場合、各個体にそれぞれ意識を持った人工知能を搭載しないといけない、ということだ。つまり、1つの意識を持った人工知能で無数のロボットを同時に動かすクラウドタイプの運用はできない。もしくは、意識の弱い人工知能、つまり今あるロボットによるしかないのだ。

 

人工知能研究の最大の課題である意識研究が一段落したところで、最近少し興味を持ったのが、脳のリバースエンジニアリングの成否よりもむしろそこから産まれるであろう副産物である。

 

その「脳のポテンシャル」と呼べるようなもの。例えば、人間の「目」の視力はアフリカなどでは、2.0を超える視力の人々がいるが、この現代化社会された日本ではまずそんな人間はいない。

 

これは、現代人の生活が、極度に近視化しており、遠くを見る必要性がないため、肉体がそう変化したからである。だが、実際の人間の肉体は2.0を超えることはできる。

 

同じ事が当然脳にも言える。例えば脳の機能に電磁波を感知できるものが備わっているとしよう。これだけ電波の飛び交う中でそのような機能がアクティブになっていれば、普通の人間は発狂するだろう。だからオフになっているのかもしれない。そうした脳の持っている本来の機能、眠っている役割というものを掘り出すことが、興味深いと考えている。全く新しいセンサー、テレパシーの解明。外部機能の作成よりも、それにより人間のポテンシャルを引き出すことの方に興味がある。

 

最後に、脳のリバースエンジニアリングがもし本当に可能であれば、人間が行っている殆どの仕事はロボットに置き換えることができる。

 

私は、世間で言われる、単純作業は機械が得意で、いわゆるセラピストのような、ソーシャルコミュニケーションの分野は人間の方が得意、という風には思っていない。脳のリバースエンジニアリングが成功すれば、バイアスや自己利益概念の少ない機械の方がソーシャルな領域にも優れたパフォーマンスを発揮できると考えている。それは、クリエイターの領域、音楽、芸術、文学も同様である。もっと言えば、人間の固有のものと思われる「快楽」や「幸福」の感受ですら、機械によって代用することができる。

 

そうすると残されたものは、人間に残っているものは何か。それは1つは人間同士の関係性。それだけが残されて肥大化した社会はグロテスクにならないだろうか。

 

人工知能による社会構造変化の議論はいつ巻き起こるのだろうか。

円高時代にすべきこと

イギリスのEU離脱を受け、日銀の追加量的緩和+マイナス金利政策を受けても円高は止まらない。

 

なぜ、アベノミクス景気対策のために円安誘導するのか、まずはこの基本的なことからおさらいしてみる。

 

これは公然と言われていることではないので、知らない人もいるかもしれないが、戦後から今に至るまで日本の経済政策は一貫として変わっていない「傾斜生産方式」である。

 

ではどの産業に絞っているのかと言えば、「自動車」と「精密機械(電子部品)」である。この両方を国があらゆる税制を含めたバックアップをして、輸出し、雇用を増やし、外貨を獲得する。これが戦後から一貫している日本のシステムである。

 

だから円高は困るわけだし、当然これらの産業が傾けば、関連企業が非常に多いため、景気も悪くなる。だから、逆に言えば別に輸出をしていない内需企業で働いていれば、株式や外貨投資をしていなければ、基本的に世間で騒がれている程の景気感を感じないことが多いはずだ。

 

つまり、一般的な有権者からしてみれば、何故自民党が大企業ばかり優遇して、など思うかもしれないが、要するに「傾斜生産方式」という経済システムを容易に変更できないでいるのが本質的な原因の1つであると考えた方が良い。

円安誘導で株価を上げる、というのは表層的な話しであって、実は本質はこっちなのである。

 

では、容易にシステムの変更ができない中でどうやって、景気を浮上させるか、という方法にイノベーションと観光業をとりあえず今回はあげてみよう。(他には例えば政府企業一丸のインフラ輸出や、税制の変更、財政政策動員などもあるが今回はそこには触れないこととする)

 

まず、イノベーションだが、傾斜生産方式とイノベーションは非常に相性が悪い。先ほど、日本は戦後ずっと「傾斜生産方式」というシステムを採用している、と簡単に述べたが、実はその意味は深いところにあり、実際は日本の教育システムもこれに含まれている。

 

もちろん、戦後の日本経済を牽引したのはイノベーションがあり、高い商品力があったから世界で売れたわけだが、その後の「労働者を大量生産する教育システム」で育った層が増え、その世代が権力を握る年齢に達すると、容易に物事が動かなくなる。

 

日本人の特徴の1つは常に周りと同じ行動、言動パターンを取る事が確実な特徴として上げられる。これは教育政策の悪さというよりもむしろ、名目上の単一民族国家だから生じるデメリットの1つである。

 

面白いと思うのは、バブルの時代、お金を使わない、あるいは遅くまで一生懸命仕事をしている人間など狂気の沙汰だと思われていただろう。だが、景気が悪くなると、途端、一生懸命遅くまで働いて倹約していることが美徳であり、無駄遣いをする、働く時間が短い人間はどのような形であれ叩かれることになる(ニートという言葉も不景気が産み出した言葉である。)という多くの日本人の現金なマインドというのは滑稽ですらある。宗教に対する無頓着と同じ、歴史や過去を省みないのだろうか。

 

少し脱線をしたが、日本人のマインドセットが一律労働者で固定されている現状で、与党含め本当の意味でイノベーションを支援するシステムは日本には整っていない。イノベーションは、今あるものを打ち壊すものなので、現状を肯定するだけの今の教育システムからすれば、そもそも相反する概念である。本気でイノベーションをやるなら、考え方や技術教育、つまり教育システムを変えないといけないが、誰もそれに言及しない。

 

とりあえずゆとり教育は失敗(私は失敗だとは必ずしも考えていない)だと言い、元に戻すとか全くわけのわからないことばかりやっている。

 

結果的にイノベーションという言葉ばかりが踊り、技術もロクにわからない役人と金が余っている金融機関がITなら将来性がありそうだと、対して必要もない大企業の劣化版か小ロット過ぎて出来ないサービスを提供する会社に、湯水のように投資をしてお祭り騒ぎをしているだけなのが、現状の日本のベンチャー界隈で起きていることである。それも今。

 

従って、実際に日本でイノベーションをしているベンチャー企業は実際は数社程度しかなくて、それらは皆軒並み、そうしたお祭り騒ぎからは一歩引いたところにある。だが、イノベーションにはインフラが必要なことを思うと、この現状は最早絶望でしかない。とりあえず、数社の奇跡にイノベーションは最早国としては賭けるしかないだろう。とても円高対策としては間に合わない。

 

従って、観光を盛り上げる方に話しを移す。円高というのは、外国人観光客(いわゆるインバウンド)にはマイナスなので、もちろん訪日客を増やさないといけないが、日本人が観光にお金をもっと使う様にする、つまり内需を高めることが円高では必要になる。しかもただでさえ、円高で海外に皆が出易い状況下で。

 

そのためには大きな変更と小さな変更が必要である。まず大きな変更は、日本にもドイツ・フランスのような長期休暇制度を国が採用し、企業に強制的に導入させることだ。(これは友人のアイデアであると断っておく。)

 

例えばフランスは非常に観光産業が発達している。それは何故か、と言うと、1ヶ月単位で人々が移動し、そこに滞在し、お金を落とすからだ。街全体が観光地であり、かつ長期滞在するための設備が整っている。日本の場合は、とにかく宿泊費が高く、かつ滞在日数が常に数日単位なので、長期的な滞在をするための観光が育たないのだ。

 

基本的に観光ほど、お金が消費されることはない。移動、宿泊、食糧、観光、あらゆるものお金が使われる。1つ1つの額は車やパソコンを買うよりは小さいが、車と違い、一般的に数年に一度買う、というようなものでもない。その気になれば、毎月、毎年、観光は行くものだ。

 

観光白書のデータによると、日本人の2015年の平均国内観光回数は1.4回、2.3泊、金額にすると日帰り・宿泊合わせておよそ年間20兆円である。(2015年度)

http://www.mlit.go.jp/common/001131317.pdf

 

単純に計算し過ぎるのは良くないが、これが回数が3、4倍、あるいは宿泊数が20泊となったときの経済効果は100兆円くらいになる可能性もあることがわかるだろう。そして消費税が8%のままだとすると、政府はおおよそ、8兆円の増収となり、概ね消費税率を4〜6%上げる分の増収効果がある。この方が無駄に税率を上げるよりも、よほど乗数効果もあり、景気対策にもなる。

 

労働者は余暇が増え、企業は収入が増え、政府は増収で誰もが得することになる。休暇が増えた分、会社の仕事が滞るという問題は、実際は起こらないと思っていて、逆に日本の非効率の、過剰に無駄な労働が整理される効果もあるのではないかと見ている。結局こうした政府の強制がないと、逆にいつまでも企業は無駄を減らそうとしない。

 

次に小さな変更、これは規制緩和である。まず、観光に関わる多くの許可制を見直し、airbnbなどの民間サービスを一定の枠組みで容認することだ。そして、ホテル業界は室料を人数割から世界標準の部屋割に変更すべきだ。結果的に複数で旅行した方が安くなれば、その地域全体に落ちる金額は上がり、回転率が上がれば結果的に増収になるだろう。(でなければ部屋割りを採用しているairbnbに押されるだけだが)

 

次に国内エアライン各社およびJRは価格の協定を止めるべきだ。現行は東京大阪間で新幹線でも飛行機でも変わらない値段であり、そして東京から大阪に行く金額で韓国や台湾に行けてしまう。円高が進む中、ますます国内旅行のニーズが下がるのに、こんな高い料金形態では、ビジネス出張客のみしか見込めなくなるだろう。

 

それは地域くるみで行う、あるいは例えば高齢者や家族連れといった特定の層への割引や、長期休暇シーズン中だけの特例でもいいだろう。例えば東京から大阪に往復5000円で行ける。あるいは福岡、北海道に往復1万円で行けるとしたら、その観光に関わる経済効果は非常に大きなものになるだろう。都市から地方に資金の移動も地方消費税などを通して行われることになり、交付金などよりもずっとフェアである。

 

とは言え、現状、日本の家計はますます可処分所得が減っており、それに取り組まなくては、そもそも旅行に行く資金もない。

 

それの本質的な原因は国としての輸出の鈍化も勿論あるが、新自由主義的な政策で貧富の差が拡大している、つまり政府の分配としてのファンクションがうまくいっていない、間違った所に資金が蓄積している事に原因の1つはあるだろう。日本の場合アメリカと異なり、極端な富裕層の財産を全て没収して分配すれば賄えるようなことではなく、おそらく法人に資金が集まり過ぎているのではないかと考えている。世界的な現象としても。

 

世界的な貧富の差の拡大、一般的には一部の金持ちによる搾取、のような話しがどうも目に付くが、もっと根深いところ、実際は法人という組織体が富を吸い上げ、それが強くなり過ぎて政府と組み、政府の分配機能を阻害し、個人や家計に分配されていない、というのがもっと真実に近いところだと私は考えている。

 

そこはまた別途、機会を設けて分析することにするが、参院選、都知事選とほとんど政策が議論されなかったため、有権者にはピンとこなかったかもしれないが、今回述べた様に、政策は政府与党だけがやるものではない。野党、官僚、民間企業、そして当然有権者が一体となって本来はやるものだ。

 

従って、政府与党だけ入れ替えたら、世の中変わりますなんて言っているのは、甚だ詐欺もいいところで、もしそういう有権者に耳障りのいいことばかり言うような候補者・政党があったとしたらそれは、極めて質の低い無責任な集団か、嘘つき集団だと見做して間違いがない。

 

個人の立場、企業の立場、政府の立場、それぞれの立場で物事を考えないと、日本のシステムも見えてこないし、どう投票すべきかも見えてこない。そして、最後は、政治家、官僚、権力者に責任をなすり付けるだけの子供のような無責任な人間になってしまう。

 

だから、投票に行かなくてもいい。でも有権者の政治への無関心と不勉強だけは真に民主主義を滅ぼすものだと確信するわけである。

説得力の嘘

前回から続く話しにもなるが、某元大手コンサルの方が書いたブログを読んでいてふと感じたことがある

 

内容は要するに、自分はお金も美女も手に入れ、これが幸せではないと思ったので田舎に引っ越したなどなど

 

同様に、ひろゆき氏が以前インタビューで自分はお金があっても幸せになれないのは、お金持ちにならなくてもわかっていたが、自分が金持ちで当時はなかったので、言っても説得力がないと思わなかったので言わなかった。今なら金持ちだから言える、と

 

両者の話しに共通するのが、成功者や金持ちにならないと、それらに関する事柄について語ったとしても、説得力がない、というところにあると思う

 

おおよそのところは自分も共感しているのだが、よく見ると、実はこれはどちらもそんなに説得力のある話しではない、ということを指摘だけしたい

 

まず、前者はお金や欲望で幸せが買えないことを実証してここには幸せがないことがわかった、かのようなことを言っているが

 

実際一介のビジネスマンが仮に某大手外資コンサルとは言え、20代ならもらえて1000〜2000万の給料なので、幸せになれなかったのは、単に稼ぐ金額が足りなかったという可能性もある。(女性に関しても同様の議論ができる)

 

すなわち、定量的に幾ら稼いだら幸福ですという値がない限り、その値設定は主観値なので、結局のところ、400万でも1000万でも1億でもいいということになる。(女性に関しても同様である。芸能人やモデルと付き合うのか、100人の美女がいいのか、1人でもいいのかなど)

 

要するにこのコンサルの方は自己基準を満たして満足した、と言っているに過ぎず、そこに世間は何となく、特に日本はぼんやりと共通のスタンダードがマスコミによって形成されてしまっているから、何となく聞いている側もその通りだ〜と感じてしまっているに過ぎなくて、実際は反証可能性だらけなのだ

 

では後者はどうだろう。

 

これも同じで、金持ちにならないと説得力はない、という以前に幸せが何かのコンセンサスが今の所、人類にはない。

 

更に前者と同様、ひろゆき氏も稼ぐ金額が足りなかったかもしれないし、もっと言えば100億円あっても、幸福のための使い方を知らない、あるいは間違えたのかもしれない。(使い方の問題であったかもしれない)

 

繰り返しになるが、基本的に自分はこの二人の主張をディスるつもりはなくて、むしろ大体言いたいことは分かるって側なのだけど

 

「説得力」という視点で物事を考えると、それほど精緻な議論をしているわけではない、という格好の材料になったので使わせて頂いた

 

同じ様に、よく成功した経営者のセミナーとかも、それはたまたま運がよくて成功しただけかもしれないし、その人自身が成功した要因と思って語っていることが、実は違っていたり

 

最もなことを言っているようで、実はあまり説得力のないことも多いと思っていて

 

幻冬社の見城さんが、自分の講演など聞いても意味がない、だから講演などやらない、といった趣旨の発言をしていたが、ある意味その通りだと思う。

 

人間観察の視点からすれば、人間の理解度や有意義というものは、ほとんどが本人の主観で決まると思っていて

 

本人が本気で聞く「姿勢」を持って入れば大抵のことからも学ぶことはできるが、もの凄いことを言っていても、本人に姿勢や理解力が伴わなければ、どんな素晴らしい話しもただのBGMになる

 

つまり、我々が「説得」とか「納得」とか言っているのは限りなく主観的なことで、本当の意味での精緻な説得力など滅多に存在しない、ということを指摘したかったのです。