IT人の政治リテラシー向上を目指して

元政治家秘書、現IT起業家が主にIT起業家、エンジニア、デザイナーなどIT業界人の政治リテラシー向上を目指して、日々のニュースや政治トピックについて言及。たまに起業ネタや映画、アニメネタなども。ちょっぴり認識力が上がるブログ。

天才は語らない

天才は多くを語らない

 

最初に断っておくがこれは感情基軸の話しである。

 

それは話しても理解できないと知っている。それももちろんあるだろうが、語ることができないのだと最近気づいた。

 

例えば“経済的成功”について講演を頼まれた成功者がいたとしよう。もちろん、こういう講演は成功してない段階で頼まれることはあまりない。

 

しかしここで、成功した人間が成功したことを語ることについては、実際はある種の隙が生じることになる。

 

例えば上場して何億を稼いだ経営者であったとしても、それは過去のことで、講演の次の日にスキャンダルで逮捕されているかもしれない。あるいは財産を投資で失っているかもしれない。

 

つまり、成功とはあくまで一時的かつ主観的な問題で、そこに絶対性は存在しない。にも関わらずそれを講演することは、目的によって多少は異なるが、そこにはある種の傲慢さが見え隠れすることになる。

 

傲慢さは知性を妨げる最たるもので、本当に優れた頭脳を持つ人間がそれをするとは思えない。(似たような理由で作家の佐藤優氏も講演を有料ではしないことで有名である)

 

これは勿論全てに当てはまる。結婚で素晴らしいパートナーを手にした相手にその秘訣を聞くこと、あるいは天才的な発明のノウハウなど

 

これらは成功する前の状態の方が、実際は語ることは容易い。(しかし、その状態で語っても説得力がない、と一般には思われてしまうため、語ることがない)

 

人とお金の関係も似たような性質がある。

 

例えばベンチャー企業は資金を成功するためには欲しいが、成功するとむしろ銀行がお金を借りてくれと言ってくる

 

人も同じで、成功する前は見向きもされなくても、成功すると嫌でも人はよってくる。

 

しかし、その時に、それは必要ではない。どちらも。欲しいのは手前にあるときである。

 

ここにはある種のミスマッチのようなものが存在する。

 

つまり、決定的に重要なのは、一緒に汗を流せる人物、友人であること。これは相手が成功してようが、関係ない。

 

その人物だけが、本当の意味で必要な情報を見聞きすることができる。

 

更に人は成功すればするほど、あるいは知性、人間性が高まれば高まるほど、その人物は傲慢に何かを語ることや、相手に押し付けがましく見解を述べることはしない性質がある。友でない限りは。言うことに生じるあらゆるリスクを侵さなくなる。

 

つまり聞き手は決して成功者の本当の意味での話しを聞くことはできない。常に、挑戦者の意見、つまり他者の基準、社会の基準で担保されたものではなく、自分自身の目と基準を持ってあたるしか、本当の意味で価値のある情報は掴めない。

 

天才を模倣することはできない、というのは色々な意味があるが、これも含まれる。

 

極論だけを述べるなら、要するに己を持たない人間は人に相対しても本当の意味では、得るものがない。もっと俗な言い回しをすれば成功者の講演を聞いても成功者にはなれない。

 

それは決して成功者との才能の相違や、本人の分かり易い努力のレベルの問題ではない。本当に天才に習えば天才になれるだろうし、成功者に習えば成功者になるだろう。ただ、それを認識できる己にさえあれば

 

だからあらゆる点において、社会や第三者の保証による価値判断ではなく、己の信念、思いのようなものが重要であると言える。

 

天才は語らない、語ることができない。それはあらゆる理由から。

 

だから我々はゲーテの知性に触れるとき、それはゲーテエッカーマンに出した書簡からそれを知ることができる。

 

ゲーテはその問いかけを果たして、彼が成功者かあるいは有名人か、といった目線でもって眺める友でない人物にしたであろうか。

 

預言者の言葉も同じである。イエス・キリストの言葉、あれは誰に対して投げかけた言葉であったか。そして、主が誰に対して投げかけた言葉であったか。

 

人は言葉を選ぶことはできない。ただ言葉が人を選ぶ。

 

だから己にない言葉を人は聞くことができない。聞いてもそれはその本来の言葉の意味を知る事ができない。

 

故に人間に、知性、才能、それらが存在するとして、その本性は人間性にこそある。

恋愛マッチングアルゴリズムは必要か

人工知能を研究するにあたって、初期の段階で男女間の恋愛や結婚を最適化できないか考えていた時期があった。(我が国の離婚率が50%を上回っていることもあり)

 

結論からすると、あまり意味がないため自分でやらないことにした。

 

意味がない、というのは、この分野にやる余地が全くないのではなく、まず、人間のマッチングアルゴリズムが既に最適化されているからである。

 

カップル、特に夫婦間の近似性、類似性は驚くほどのもので、既に人間はパートナーを見つける何らかのシステムを内在しているとしか思えないほど、似たような人同士が結びついている。

 

例えば、ある種の家庭環境、思想、志向といった全てが一致していることはありえないが、驚くほど似ている箇所が見出せる。

 

カップルはどこで結びつくのか?それ自体は研究する余地がある。思想なのか、志向なのか、DNAなのか、あるいはその全てか部分ならどこか。

 

しかし、それが「何か」はわからないが、人間は既にそれを選ぶ能力を持っている。

 

根拠は?自分の観察と経験でしかない。だから、反証は大いに歓迎したい。

 

そして、100%の相手だと、マッチング推薦をAIが行った場合何が起こるだろうか?多くの人が、AIによって選ばれた相手を提示されても、これが本当に自分に合うの?が第一声だろう。

 

それは、人間は誰しも「欲」があり、自分の理想の相手というものがある。

 

従って、第三者からこの人がお似合いだ、と言われても納得できないのと同じで、人工知能によるマッチングというのは可能であってもそのようなものになる。

 

(もっと詰めれば、進んで主観的に選んだ間違ったパートナーと、客観的に推薦された気の進まないパートナーと果たしてどちらと一緒になることが幸福になれるのだろうか、というテーマも存在はするが。)

 

従って、ティンダーのようにひたすら出会いそのものを増やすことや、そもそも自分自身の恋愛のレベルを上げる教育、恋愛相談所のものの方がより意味があるだろう。(あるいはやはり義務教育に夫婦間の道徳や子育ての教育を盛り込むなど)

 

ただ幾つかの既存にはないアルゴリズムを導入することで、より精度の高いマッチングシステムを作ることはできると思っている。(主に教育システムベースではあるが)

 

例えば

 

①友人評価システム

シンプルに自分の友人にレコメンドしてもらう、および相手の友人を見て人柄を判断する、という両システムをアプリなどWebベースで構築する。つまり、どういう人間と友人であるかはその人となりを現す+友人からみてどういう人間が良いかを教えてもらう、の2つを組み込んで当事者のバイアスを低下させるシステム。

 

Facebook友人情報収集システム

お互いのFacebookの友人の中からAIがサンプリングして、どういう人が周りに多いかを特徴付けして、その知り合いの特性から自分と合いそうな人物をレコメンドするシステム。①と付き合っている周囲の人間評価から人柄を知る、というところは変わらないが、より機械学習的で、データマイニングが必要になる。また、Facebookの友人数に偏りがある場合など、精度にばらつきが出るため、最初はティンダーのように顔写真+何かというパラメーター設定になるだろう。

 

③写真不要の精度の高い項目設定データベース型

これは仮説として幾つかの項目でカップルが結びついているとする。例)価値観、金銭感覚、容姿など。それらを数値化して、いったんデータベースを作成し、そこから相関関係をデータマイニングし、改めて関数を組み直す。項目入力だけなので、顔写真なしのマッチングが可能となる。以下自分が試しに作ってみた関数をあげてみる。

);

 

○各項目0から100%までを持つ。

例えば女性恋愛の場合L10%、P70%、S40%、C80%もあれば全て100%もあり得る。%の初期値は本人主観。最も%が高いものを優先あるいは必須アルゴリズムとして、意思決定に最も影響を与える、と想定。

アルゴリズムカバー範囲

例えば女性結婚の場合基本のLPSCで60〜70%、FE項目追加で80〜90%の精度仮定。

 

○女性

libido、preference、stable、compatibility、(family)(enforcement)

恋愛は主にこの4つの関数で決まると仮定。

(関数解説)

・Libido

最も基本的な欲求。独占欲や性欲といった1人称の割と一方的なものが多く、幼少期に最も見られやすい最初の恋愛衝動。

 

・Preference

集団の中で優位に立ちたいという願望。最も基本的な関数。ルックス、金銭など含む。主に名誉や自己顕示欲に関連したパラメーター。

 

・Stable

安定志向とも言う。経済、職業、性格などを含む。主に生存に関連したパラメーター。

 

・Compatibility

相性。居心地の良さ、価値観といったパートナーとの関係性や家庭建設を重視する。

 

○男性

libido、preference、support、compatibility、(family)(enforcement)

(関数解説)

・Libido

女性よりも長くこの関数を男性は引きずり易く、結婚においても重視し易い。

 

・Preference

見栄えのよい女性を選ぶ、ということ、あるいは家柄などもこの要素になる。

 

・Support

原則として男性は質的に安定をしているため、上昇、変化、破壊を求める傾向がある。従って、自身の立場を強化するため、あるいは成長、野心や目的のために女性を選ぶアルゴリズムが存在する。女性の場合は同様の行為が見られても、目的はPに含まれる。また、女性でも男性と同じS関数があった場合、それは10%の例外域に含まれる。

 

・Compatibility

男性の場合、S関数に類似してくることが多い。

 

○結婚の場合

上記3つに下記2つのアルゴリズム追加

・Enforcement

強制。家庭の事情や様々な事情により、本人の意思とは無縁に結婚が決定する。

 

・Family

相手あるいは自分の家族を含めて考える。

 

○結婚に用いられるべき真関数

Integrity, Discretion, Conscience, (Compatibility), (Family)

・Integrity

誠実。Compatibility(相性)は変化する。そして、結婚当初に生じなかったことが、生じることがある。それに対する対応力

 

・Discretion

思慮分別。広い知性。女性、男性らしさも含まれる。

 

・Conscience

善良。

 

上記恋愛関数から結婚関数へと導く(教育)

・恋愛関数は相互に一人称視点。結婚は二人称を含んだ視点。

・結婚関数は上記項目を自分が満たすことための指標。

 

観察

・結婚に近づくとSやCシフトに変わり易い。逆に変わらないあるいはF要素を除くと失敗のリスクが高まる

 

○発展

・男女各変数をまず自分が記入、次に友人など第三者最低二人にその数値で合っているか聞く

・実際にカップリングもしくは結婚した人間同士がどういう数値関係であったかを蓄積してデータベースを構築する

・そこからカップリングの因果関係を見つける。例えば両方ともLが高い数値同士が結びつくのか、あるいは男性のLと女性のPが相関なのか、など。

・データを取り続けることで精度を向上させる。

・導入のためにはもう少し関数同士の整理・因果関係把握は必要である

 

○仮説としての関数使用

WTV(Women Total Values)=L+P+S+C

MTV(Men Total Values)= L’+P’+S’+C’

MTV≒WTVなら相性がよい、など。

 

人工知能領域に関する考察メモ②

人工知能研究に生化学と物理学が必要な理由

 

これは主に人間の脳を再現しようとすることから始まる話しである。

脳の構造を再現するわけだから、生化学は直ぐわかるが、なぜ物理学なのかと言えば、脳内における電子活動は物理学の量子論の振る舞いをするからである。

 

ここまでは一般的な話しなのだが、脳内の振る舞いだけでなく、人工知能そのものになると実際は2つの点において相対性理論の考え方が必要になると考える。

 

1つは人工知能アルゴリズムを設定する時、あるいはパラメーター設定をする時に、観測点が異なること、あるいは観測者が異なった場合、そのパラメーターがどう変化するか、あるいはその視点を組み込まないとどうしても精度の高いアルゴリズムが完成しないという点である。

 

例えば、幸福を係数設定するとして、簡易的に幸福パラメーターの内訳を仮に物質的な充実度からのみ成ると仮定して、それが100の場合であっても、観測者(他人)からみて幸福でない、と主観的に思われてしまうのなら、その係数だけをそのまま使うことは実用性に乏しい。

 

もう1つは、量子論がミクロ的な、相対性理論がマクロ的な振る舞いを記述するのであれば、ある意味、あらゆる統計分布の極大と極小における振る舞いはこの両者の理論によって説明されるとすると

 

統計学的に、正規分布の極大と極小の振る舞いを捉えるのに両方の理論を導入しないと、直感的にはだが100%の精度のものを作ることが難しくならないだろうか。これが、実際は脳の再現に物理学が全般的に必要になるということと、統一理論と人工知能がかなり近似してくるところではないだろうか。

 

そしてこれが名だたる科学者が、人工知能は不可能あるいは困難だ、という1つ根拠ではないだろうか。(いわゆるフレーム問題他、人間の思考が量子計算に似ていることも含まれる)

 

ただ、これまでの考察によると、数学的な証明は科学者に委ねるとして、仮説として偶然は存在しないこと、つまり電子の量子的な振る舞いにある種の規則性があることを仮定し、ある観察によって得られる化学法則を導入することにより、パラメーター設定とアルゴリズムに関する部分は、数学的な統一論の証明を待つ事無く、実務に導入できるのではないだろうか。

 

この偶然性を排除する、つまり物事には何らかの因果関係が存在するという考え方は極めて宗教的、哲学的なテーマつまり例えば神は万能であるか全能であるか、という話しにも飛躍するため、人工知能を思考することが生化学、物理学から神学や哲学へと繋がってくる。

 

ここにきて、人工知能を研究することは、一方で人の意識を研究することでもあり、それは人類全体が取り組んでいる大きな課題との結びつきが見てとれる。こうしたことは、今世紀において人類全体が人工知能を含め、人とは何か、という共通の課題に多くの問題が集約し、抱え直面しているのではと思わざるを得ない時がある。

 

また、ドイツの哲学者シュタイナーが、人間の脳は眠った時に活発に活動することを、おそらく観察により1世紀も早く近代科学よりも先に発見していたことは本当に驚嘆せざるをえない。

 

仮説が既に存在するなら、ビッグ・データをまず構築し、それを観察し、そこから何らかの関係法則を統計学で導くことも、実用的には充分に耐えられるだろう。(いわゆるデータマイニングというものになる)

 

しかし、人間に関する諸法則というのが仮に明らかになったと仮定して、その使い方を誤れば文字通り映画のような出来事が生じてしまうだろう。(例えば映画、マイノリティ・レポートのような犯罪係数の設定による事前逮捕)

 

この世に絶対的な善が滅多に存在しないように、絶対的な悪もまた滅多に存在しない。真理の発見や活用はある意味、トポロジー的であり、それは民主主義にも似ている。100人の救済は時に他の100人に不幸をもたらす。本質は変わらず、位相だけが変化する。そのような意志決定を人の身でありがなら下す事にためらいと、それに気づかない世の無神経さに驚きを覚える。

人工知能領域に関する考察メモ①

ディープラーニングに関して

 

人相学を例に考えてみる。仮にAIが人間の人相から、その人間の性格や嗜好、感情が読み取れたとする。(これは文字でも構わない)

 

そうするとAIによる処理は人相であれば人間の顔の部分部分を特徴抽出して計算することになる。まず眉毛、目そして鼻から口、とおよそ数十カ所程度の領域であらゆるサンプルを学習させた後、計算させる必要がある。

 

一方で、人間も卓越した捜査官などは直感で、人相で犯罪者がわかったり、あるいは一般的な人々も友人が悩んでいたらそれを表情や言動、行動で察したりすることができる。

 

この時に人間が行っているのは果たして“計算”なのかどうかはわからないが、顔を部分別パーツにして計算をしているのだろうか。あるいは、意識的に訓練してパーツ毎の特徴を捉えているのだろうか。

 

人間にとってこの場合観察される事態は、概ね、何となくわかる、ということだ。何故なら、意識的にこうした識別が行われているのであれば、容易に自身の下した結論を明確に言語化できるはずだが(目が3度傾き、唇が少し青ざめ頬がこけているから疲れている、など)こうした人間に対する評価をしばしば人間は明確に表現することができない。あるいは、仮に表現できたとしても表現できるからわかるのではなく、わかるから表現できるのである。

 

その“何となく”というのは、大部分は無意識領域によって蓄積された情報量を無意識的に計算している場合か、あるいは情報量の蓄積に依存しない無意識領域の計算のパターンと、あるいは“計算”とは違った方法で導出しているパターンと概ね四つのパターンがあり得る。

 

学問として表情学を学び、それによって意識的に理由を言語化できる場合もある。lie to meというドラマで描かれているのはその世界だが、体型化され意識化された場合、同じ結論を人間が下す速度と精度はどれほど向上するのであろうか

 

ここで指摘したいのは、AIに機械学習させて画像認識させてアルゴリズムによって人相を判断させた場合の結論と、人間が直感的に結論を下した場合の精度と時間、コストにどれほどの差異があるか、という点である。

 

例えば現在既に、風邪などの医療診断や車の運転はAIの方が、平均的には人間よりも精度が高く事故が少ないとされる。

 

つまりその分野において卓越した人間、例えば運転で言えばF1ドライバーのような(例えがやや適切ではないかもしれないが)人間のパフォーマンスの方が高い可能性がある。

 

つまり、計算、アルゴリズムを通さないシステムを、人間が持っていると仮定して、その精度は遥かに優れたものであるとすると

 

人間よりも優れたAIはプログラム言語あるいはアルゴリズムによっては記述できないという、AIが人間を超えられない決定的な問題に直面する。(この辺はロジャー・ペンローズが指摘しているところでないだろうか)この辺りはいずれまた深く論じたい。

 

商業的に言えば今のレベルのディープラーニングの普及というのは、平均的な人間の能力を上回るものを、普遍的に実現できる程度のもので(もちろんそれもかなりのインパクトはあるのだが)ある領域にコンセントレートした人間のパフォーマンスを上回ることはできないのではないだろうか。あるいは、人間が行うよりもコストが下がることが本当に起こりえるだろうか、コスト問題を解決したところから、参入されていくのは自然な流れであろう。

 

(調査および仮説検証する必要があること)

・人間の直感的なものは、無意識下に蓄積された情報を無意識で処理しているのか。これが正なら多量な無意識計算をディープラーニングで再現できる

・明示的に言語化できないが結論は出せることから推測すると、仮に無意識領域に学習経験が蓄積されているとしたら、その情報量は膨大であり、そのまま保存されていることはありえない。何らかの情報の“折りたたみ”がなされている可能性があり、それは遺伝子や言語学に繋がる可能性もある。つまり、人間はある特徴を最低限の容量で記憶する何らかの手段を持って、情報を圧縮する機能を先天的に持っている可能性が高い

・仮に直感が情報の蓄積を無しになされているとして、その精度が高い場合、外部に情報を保存しているか、蓄積した情報を変換できる強力なアナロジー機構があるか、あるいは計算によらないで結論を導ける何らかのシステムが人間に備わっている可能性があり、三つ目の仮説の場合、計算アルゴリズムでは再現できない。

人工知能がもたらすかもしれない恐ろしいテーマ10

①最強の軍事シミュレーションAI

Deep mindのデミス・ハサビスがGoogleと契約する際に、技術を絶対に軍事転用しないことを盛り込んだ。今彼らが開発している囲碁の世界チャンピョンに勝てるalpha goを軍事的に応用すれば、相手の出目を全部読んで完璧に勝てる戦略をAIができることになる。現在囲碁は対戦相手が1人だが、これが複数のゲームプレイヤーがいるポーカーのようなゲームでも圧勝できるようになると、より軍事AIとしては実用的なものになり、そうしたAIを持たない国は、核兵器を保有していないこと以上に、国際社会で弱体化するだろう。

 

②煽動アルゴリズム構築

人間の感情をAIが認識・分類できるようになると、人間をコントロールするには、どういう言い方をすればいいか、あるいはどんな広告を打てばいいか、が明確になる。これは同時にオンタイムの無駄のない広告を実現できるが、同時に、リテラシーの低い層を容易く誘導することができ、それは政治的に権力者が運用すれば、大衆を意のままに操作できるようになる。(実は今とそれほどの差はないが)

 

③人間の知性の堕落

人間が思考しなくなる。それは一般的な人工知能が考えてくれるから、という意味ではない。例えばセンサーにより、今日は血圧が高い、その原因は昨晩食べたトンカツが原因です、と人工知能からアドバイスとその解決のための薬品や運動の提案がされる。しかし、世の中には同じトンカツを食べても血圧が上がらない人間もいるが、その因果関係は無視されたままである。懸命な人間がいれば、そうした新たに蓄積されたビッグ・データの矛盾から新しい人間法則を見出すことができるが、いなければ、全く誤解された自然法則がまかり通るようになるだろう。これはアメリカ主導の人工知能開発ではより起こり易いと予想される。

 

④人間意思の無視

人間のゲノム解析と感情評価が実現すると、人間の適正職業やカップリング、マッチングの精度が絶対的に上昇する。だが、例えば本人が野球選手になりたい、というのに公務員が適職だ、とコンピューターがはじき出したとして、本人の意思を無視したまま、公務員に強制就職させた場合と、才能はないかもしれないが、本人が望む職についた場合とどちらが成果が上がるのだろうか。これは人工知能の精度が高くないレベルにおいて、高いと人間が勘違いしてシステムに組み込んだ場合に発生する問題である。おそらく、直感的にAIが単独で相対性理論量子力学を完全に理解できるようにならないと、実際はシステムに組み込めるようなレベルにはならない。要するにゲノム解読とAIによる定性評価の組み合わせでは不足している。他のケースは例えば映画「ガタカ」やオルダス・ハクスリーの小説「素晴らしき新世界」アニメ「サイコパス」などディストピアSF人工知能フィクションに見られるものは、大体この問題を人間が過信していることに生じる世界を描いている。

 

⑤そもそも不可能であること

上記のように完全なる人工知能の再現は、実は限りなく神を創造するのに近くなる。それは不可能とは断言できないが、それほど容易いはずが無い。人工知能が人間を超える、と謡われているが、何十億年かけて自然が今の人間が作ったことを思うと、たかだか100年で人間がそれを超えるものを作れると考える方が実際は傲慢でもある。だが、肯定的な見方をすれば、人間は1人1人は極めて精度の高い量子コンピューターのようなものなので、その機能を人間自身が使い切れていない。つまり、人工知能を研究することは人間を研究することであり、人間の性能を引き出して、つまり人類の1割でもスーパーコンピューターのような性能を持つ人間を産み出し、その総力を持って例えば核融合なり、ナノマシンを開発させる方が、実際はずっと低コストで早いかもしれない。人工知能ラプソディーは、そうした事に気づかせてくれる現象かもしれない。

 

⑥テクノロジーを制御できない

仮にAIが核融合を開発してもそれを人間が制御できなければ、事故でおしまいである。同様に全てのテクノロジーは「制御」されて初めて使うことができる。制御を機械に委ねた世界が「マトリックス」や「ターミネーター」であることを思えば、制御は委ねられない。つまり人間の知性が人工知能に匹敵するものでなければ、どの道使うことができない。

 

⑦金融市場の崩壊

常に人間に勝つことができる投資アルゴリズムができた時、金融市場は機能しなくなる。(逆に言えば得体の知れない凄まじいパフォーマンスが上がる投資ファンドがマーケットに現れたら、それはある種のサインであるが)仮定として、人間1人当たりの分析に1スーパーコンピューターが必要だとすると、マーケット参加者分のスーパーコンピューターが用意できた時、マーケットは別世界になる。だが、それはAIというよりハードウェアとエネルギーの問題になるため、実際に実現するのは困難ではあるが。100億近いスーパーコンピューターを揃えるコストとエネルギーがないからだ。

 

⑧人間の個性の喪失

マッチングアルゴリズムの適正化にも関わるが、あらゆる物事に最適なアルゴリズムが存在し、それをコピー、トレースし、かつ遺伝子操作によってあらゆるデザイナーチルドレンが誕生する時、全ての人間は目的に対して最適化される。そこは「個性」というものが存在しない社会となる。6時起床7時食事9時仕事〜23時就寝。バイタルが完全に安定。パフォーマンスレベル最高。これはある種の成功と幸福を人間にもたらすことはできるが、個性という面白さは消失する。この社会を肯定するか否か、次世代は試されることになるだろう。

 

⑨知性の統制が効かない

凡庸人工知能のようなものが全世界にバラまかれた場合、人間1人1人に凄まじい権限を委ねることになる。極端な例を言えば一人一人がスーパーハッカーになるようなものだ。そうした技術は常に良識ある人間に渡るとは限らない。知性は秘匿すれば権力者に乱用され、分散すれば心ない者に悪用される。この矛盾を解決できなければ人工知能の分散は兵器拡散となりえる。

 

人工知能は幸福をもたらすか

総じて、人工知能は人間に改めて“幸福とは何か”を突きつける問題提起をする存在となるだろう。極めて高度なAIの誕生は上記の恐ろしいリスクを持つが、結果的に人間をより内面に向かわせる可能性も秘めている。その意味において、人工知能の開発は“Yes”と言えるだろう。“核開発”が人間に幸福をもたらしたか、あるいは他の技術は。全ては人間の扱いにかかっている。“人工知能”というソフトウェア開発だけを進めても意味がない。“人間”というユーザー、人間のハードウェア、ソフトウェアの更なる更新と発展が、人工知能が産まれた社会の課題となるだろう。

ヒトとAIの境界にあるもの、リテラシー問題について

人工知能の急速な進化によって奪われる仕事や、新たにできる話しでしばしば世間は盛り上がってはいるが

 

実際、進化しているのは人工知能だけではないのではないか

 

インターネットによって、大抵の情報は、現在は入手可能になっている。例えば、アインシュタインの発見した相対性理論だが、当時はその理論を理解できた人間は10人に満たなかったとされる。

 

だが、現在、相対性理論に関する質の高い情報は書籍、ネット問わず簡単に入手することができ、習得することも可能である。もちろん全ての人間が理解できるような代物ではないが、発見された当初よりも理解できている人間の数は明らかに多いであろう。

 

レイ・カーツワイルが言うような、ムーアの法則によるコンピューターの急速な進化、という話しは実際にはコンピューターだけではなく、人間にも起こりえているのではないだろうか。

 

どちらかと言えば人間に起きている深刻な問題は「リテラシー問題」である。

 

今や、科学、コンピューターは勿論だが、一般社会人は自分が口に何を入れているかすら、容易に知ることはできない。

 

学習する意識と時間、環境がある人間のみが、例えば英語を学び、プログラミングを習得し、「ビットコイン」というものが実は何であるか、を知ることができる。

 

各分野、テクノロジーにおける進化のスピードは早く、最先端にいる人間と、素人との間では深刻なギャップが生じ、それは賃金という実生活の面に反映されることもある。

 

政治に起きている現象も正に同じで、素人と政治のスペシャリストとの間の知識量の差は膨大で、この間のコンセンサスを選挙で取ることはますます容易ではなくなっている。

 

リテラシー・デバイドというのが現代社会に起きている様々な問題の大きな原因であると私は分析する。

 

では、人工知能というのはこのリテラシーを埋めるだろうか?

 

それは原則、使い手に委ねられるだろうが、リテラシー・デバイドを加速させる方向に圧力が働くであろうことは容易に推測がたつ。

 

例えばデータを分析し、人工知能が発見したデータの相関、それがどういうことなのかわからないが、とりあえず有効なデータ相関だ、というようなことがこの先起こりえるだろう。

 

だが、例えばディープラーニングやデータマイニングというものは、人間の無意識領域に近い話しであり、人間がそうした作業を完全に代替できないものというわけでもないのだが。

 

もう1つ例をあげると、人間の言語を理解できるコンピューターができたとして、そもそも人間同士がお互いの言語を現時点で理解しているとは到底思えない。

 

例えば「幸福」「信頼」「友人」「愛」こうした単語から連想されるものは、概ね人間同士で共通はしている。(友人という単語から普通はケーキを想像したりしないように)

 

しかし、本当のところでお互いの認識する言葉の意味は違っている。例えば、家族が幸福であることが自分の幸福である、という人間もいれば、自己実現が自分の幸福だいう者もいるように。

 

こうした「枠組み」は似ていても「細部」は違うような事柄を、どう人工知能に認識させるのだろうか?この辺が人工知能に言語理解させることが、ハードルが高いと言われる理由の1つである。

 

まず考えられるのは、人間の方で概念を細部まで統一することである。(俗にいう機械学習における教師あり学習である。)

 

もう1つは、むしろ人工知能によって、言葉を定義させることになる。(教師なし学習)

 

後者は特に、ヒトとAIのインタラクティブ・コミュニケーションを発生させ、むしろ人工知能により、ヒトが進化する構図を秘めている。

 

先ほどのリテラシー・デバイドに絡めて話しをするなら、あまりにも人工知能が素人にとってわからないものになるとき

 

人工知能はある種の神のように、権威としての存在となる。つまり、今で言う、政府が言うから、専門家が言うから、新聞がメディアが、というように、人工知能が判断するから正しい、という風潮が形成されるようになる。

 

その神格化の度合いはこれから産まれる人工知能の精度にもよるが、それは神や宗教に似ていて、一部の特別な人間、あるいは誰もその実態はわからないが、それはたいてい、ヒトよりも正しい結論を下し、人々の幸福に寄与する。その時、ヒトはある種、自発的にマトリックスに身を委ねることになるだろう。

 

逆にリテラシーの差を埋めるために、人工知能は人類に寄与することはできないか?

 

この答えはイエスでもありノーでもある。

 

人工知能によって、人々が今より働かなくて良い社会になり、その時間を人々がリテラシーの獲得に使えるなら、あるいはリテラシーを容易に学習できる仕組みが作られればイエスであり

 

全てを人工知能に任せて、ヒトは何も考えることなく暮らすならそれはノーとなる。

 

あるいは、人工知能そのものを先ほどの言語定義のように、人間が人間を、世界を知るために活用し、その循環がシステムとして成り立った時、人間社会は新たな飛躍を得ることは間違いないだろう。それは、非常に緩かではあるが、望ましいシンギュラリティの形の1つである。

ドナルド・トランプに見る、今アメリカで何が起きているか

久しく政治に触れてなかったのは、特に敢えて自分が解説するような問題がなかったからである。(日本の政治については論じるようなことすらない)

 

アメリカ選挙、ドナルド旋風についても基本的なことは特に解説しない。

 

ただ、簡単に触りだけ説明すると、アメリカは元々そろそろ白人がマイノリティーに転落し、白人が支持母体である共和党は選挙に最早勝てないと言われていた。そこに現れたのが、ドナルド・トランプだ、ということだけ最低限の前提として必要な知識である。

 

つまり、現状のトランプ旋風は、元来の共和党にはできなかった、非白人、ヒスパニックなどの民主党支持層を喰っているということになる。

 

これは、かつての「自民党をぶっ壊す」と言って、非保守層から支持を集めた小泉純一郎に非常に似ている、と言えば日本人には分かり易いだろう。

 

さて、では問題は何故、ヒスパニック層を始めとする非白人層がトランプを支持しているか、注目すべきところは、民主党内における指名争いの激化である。

 

明らかにヒラリー・クリントンに対するアレルギーが特に若年層を中心に広がっている。

 

クリントンに対するアレルギーとは何か。それは、有権者クリントンオバマと同じ、あるいはそれ以上に失望させる人物だと見ていることだ。

 

理由は単純である。オバマになってもアメリカは何も変わらなかった(少なくとも、アメリカ国民が期待するような”change”は起きなかった)

 

これは極めてシンプルな理由で、アメリカは元々大国過ぎて行動を逆に制限されている(例えば嫌でも中東に介入せざるを得ない)のと、オバマの最大の資金源、後ろ盾はウォールストリートにあるからだ。そこに逆らうような政策はことごとくできない。

 

クリントンオバマと全く同じ資金源を持つ。従って、その事実を知るアメリカの知識階級、本質的な改革を望む層は当然支持しないだろう。

 

若者が抱える問題はとてつもなく開いた経済格差だ。だが、クリントンになれば、その体制はまず変わる事はない。むしろ、中東でもっと面倒事を起こすだろう。そう見ている若者層は決してクリントンには投票しないだろう。

 

おそらく、クリントン、トランプに両代表が決まった場合、無党派層がこれまでにないほど、拡大もするだろう。

 

そして、どちらになってもそれがアメリカの最後の大統領になると私は見ている。

 

それは、文字通りアメリカが崩壊する可能性、それも決して0ではないが、要するに今我々が見ているアメリカではなくなるということだ。(アメリカ崩壊は、南北に分裂することではない。アメリカ内部における権力構造が変化する、ということだ。外観のアメリカ合衆国という看板を残したまま)

 

理由は2つある。1つは国内で貧富の差によるトラブルを抑えきれなくなる。これは、単純に現状国民の不満というコップの水が一杯のところに、両候補者の態度が強硬であることが、そこに水を注ぐ行為となるからである。従ってどちらの候補者でも結末は変わらない。

 

もう1つは、既にアメリカが世界をコントロールできていない。ウクライナ、シリア、が最たるもので、南沙諸島もそれに入る。

もしトランプになれば、中東から軍を引き、それで中東は混乱し、違う勢力が入り込み、その後ろ盾となる国(ロシアや中国)の国力が増大する。イスラエルの地位も脅かされるかもしれない。

もしクリントンになれば、シリアへの介入を強め多正面作戦となり、アメリカは相当な消耗を強いられ、国内、海外共にかなりの反発を受け、最後はテロによる甚大な損害を被ることになるだろう。

 

つまりどちらにせよ、既にオバマ、あるいはもっと以前にアメリカの土台がぐらつく前提は用意されていて、誰が大統領になってもどうすることもできないのだ。

 

アメリカはこの現状に陥らないようにする最も大きな機会は、ここ数年では2度存在した。ブッシュ大統領イラクに地上部隊を送りフセイン政権を倒したこと、そしてもう1つはシリアの内戦をコントロールできなかったことである。

 

結局のところ、どちらも中東における失敗が大きな原因と言えよう。

 

だが、これは大国のジレンマというものであり、どの国が覇権国となってもそれを回避できるという代物ではない。(中東に介入しなければいい、という理屈は通じないということ)また北極海航路開拓のような致命的な事が起きなければ、内部の仕組みが変化してもアメリカが世界最大の覇権国であることに揺らぎはない。

 

私はトランプ、クリントン、どちらもアメリカという国に“引導”を渡す大統領に見えてならない。片方は今の体制を壊すことで、もう一方は今の体制を守ろうとすることで。(これは仮に万が一他の候補者が出て来ても変わらない構図であることも、容易に想像ができるだろう)

 

タイトルに戻るが、結論を言えば、トランプという人物が支持を集めている、ということ自体に、要するにアメリカの終焉を見なければいけない、ということだ。(勿論これを読み解くにはアメリカの選挙システムや政策など幅広い理解が必要となる)

 

勉強を必要としない理解、もっと単純化して説明するなら、現状の体制に不満のない国民であれば、トランプのような過激な改革を叫ぶ人間は、土俵にすら上がることはできないはずだ、ということ。(国民が改革を望み、優秀なエリート候補者は皆、改革ができない、と国民に思われていなければ、彼のような過激な改革を叫ぶ人材は出れない)

 

これはクラウゼヴィッツ的に言えば、アメリカは民主主義制度における行動の限界点を突破している、ということだ。極端な事例を出せば、ヒトラーが誕生したドイツに近い状態にある(もちろんかつてのドイツと現在のアメリカには地位も国力も大きな隔たりが存在するが)

 

そして、もう1つ、今世界を大きく揺るがそうとしているのが、クルド人の問題ではないかと私は見ている。これはもちろん、アメリカの問題と無関係ではない。もう少し世の中に解説が出揃ったら、この問題は足りなければ補足しようと思う。